映画『雨あがる』黒澤作品を昇華した小泉作品です?!
『雨あがる』は、2000年公開され、主演は寺尾聰、宮崎美子、監督は小泉堯史の映画です。原作は山本周五郎の同名の短編小説で、1951年7月にサンデー毎日増刊号に掲載され、単行本では「おごそかな渇き」に収録されています。1964年に「道場破り」のタイトルで映画化され、1976年にフジテレビの時代劇『夫婦旅日記 さらば浪人』では、藤田まこと、中村玉緒が主演でした。
この映画の脚本を書いていた黒沢明は脚本を完成させることなく他界し、助監督として脚本の制作を手伝っていた小泉堯史監督が、黒沢明から聞いていた構想や残されたノートをもとに補完してつくりあげたそうです。
小泉監督はこの『雨あがる』で、黒澤明の映像テクニックを駆使し、まるで黒澤が監督作品の再現しているようとの高い評価を受けています。
黒澤明の通夜の時、長男の黒澤久雄が「長年黒澤の側にいて尽くしてくれた小泉さんに、恩返しの意味も込めてこの作品の監督をしてほしい」と語り、さらに数日後の黒澤のお別れ会のとき、黒澤組の皆に、小泉堯史にぜひ協力してほしいと呼びかけました。その後監督として小泉は準備し、8ヶ月後にクランクインすることになりました。
映画「雨あがる」は、第24回日本アカデミー賞の最優秀作品賞をはじめ、最優秀脚本賞(黒澤明)、最優秀音楽賞、最優秀撮影賞、優秀監督賞(小泉堯史)などを多数受賞しまし、さらに、第56回ヴェネツィア国際映画祭の緑の獅子賞も受賞しています。
黒澤明の寡黙な参謀と言われた小泉氏は、黒澤明監督の晩年まで最も側に居た人で、最後まで黒澤明に全幅の信頼を受けていた人でした。黒澤明の遺稿の脚本を映画化するのに、確かに小泉氏ほど適任な監督はいなかったでしょう。
黒澤明は脚本のノートに「見終わって、晴れ晴れとした気持ちになる様な作品にすること」と記していたといいます。この映画の持つ爽やかさ、優しさ、柔らかなそよ風のような雰囲気は、まさに見事にそのノートが現出されています。
黒澤監督の最盛期の作品においては、観る側にさえ緊張感を強いるような厳しさがあって、それはある種観ていてちょっと辛くなるような部分でもありましたが、晩年いたっては、作品にはそういった部分は薄らいできましたものの、それでも監督の個性がビシビシとスクリーンから発射されるような感じはありました。
強烈な個性で自分の思った通りの映像を強引に我が侭なまでに撮ろうとした監督なのだから、「映画には全てが出てしまうんだ」と黒澤監督本人が言った通り、その個性が作品にも滲み出ていました。
この映画は、非常に良く出来た脚本で、黒澤監督が晩年に撮りたいと煮詰めていた脚本であり、それは確かに文句の無い出来ではありますが、もしこの作品を黒澤明がそのまんま監督をしていたら、はたしてこんなに優しく、柔らかで、爽やかな作品になっていたでしょうか?
前述のノートにあった様に黒澤明自身が「晴れ晴れとした気持ちになる様な作品に」と記しているのであるから、小泉監督はきっとそういう部分を忠実に映画を撮ったのでしょうが、もしこの作品を黒澤明が監督していたならば、黒澤明のアクの強い棘と言っていいかも知れない個性も作品に宿って、大筋では同じだろうけれど、小泉監督の『雨あがる』とは受けるニュアンス、雰囲気、優しさ、そういった色彩が違う作品になっていたのではないでしょうか?
この「雨あがる」は小泉堯史が監督したから故に、この優しさ、柔らかさ、清々しさ、爽やかさが作品に宿っているのだと感じました。
黒澤組が再び集まって、黒澤明の作品として。黒澤監督流のやりかたで、『雨あがる』を映画化したのですが、これは黒澤作品を越えた、もっと素晴らしい小泉堯史監督作品に昇華していると言えるでしょう。
黒澤明の元で長年に渡り助監督を勤め、黒澤明の映画の撮り方を肌で学んできた小泉堯史がすべて黒澤流を踏襲して作り上げた作品、そうして出来あがった映画は、小泉監督の優しさ、温かさ、清々しさを備えて黒澤明が監督する以上の質に仕上がってきました。
この『雨あがる』は黒澤明を越えたというより、黒澤明を踏まえ原作から昇華した小泉堯史作品として輝いていると言えるでしょう。それはきっと師匠黒澤明からも賞賛されるに違いありません。
時代考証、美術、撮影、文句のつけようがありませんが、三船史郎のキャスティングと寺尾聰の立ち廻りが残念で、ご縁が故の配役と寺尾聰当時53歳の殺陣では無理があったのか、やかましいだけのセリフ回しと、達人であるはずの寺尾聰に掛かる敵の切っ先が最初から目標を外れているのが、ちょっと興を削ぎました。
もちろん、この作品が寺尾聰あっての映画であることに間違いはなく彼の演技はそれを補って余りあるものでした。
ただ、驚くべきはこの映画が小泉堯史の初監督作品であるということです。ひょっとしたら、助監督としての小泉堯史の存在があってこその黒澤作品であったのではなかろうかと思わせるほどの完成度と言えるでしょう。