この映画『亡国のイージス』は、1999年に講談社から刊行された福井晴敏の小説を原作として、真田広之を主演、監督阪本順治で2005年に公開されました。
キャスティングは、真田広之をはじめ寺尾聰、中井貴一、佐藤浩市という4人の日本アカデミー賞最優秀主演男優賞受賞者の揃い踏みとなっています。しかしながら、逆に主役が多くなると人物像が散漫になってしまう危険がでてきます。
しかしこの映画では、阪本順治監督がこの4人の役柄を見事に振り分け、登場人物が多く、映画では原作ほどプロフィールを語り切れないところを俳優の貫禄と実力でしゃしゃり出ることもなく、それぞれが実にいい味を見せています。
そして防衛庁、海上自衛隊、航空自衛隊の協力を得て実現した本物のイージス艦や実物大のオープンセットを建造しての映像は圧倒的な迫力とリアリティを持った作品となっています。
原作者の福井晴敏自身はこの作品をジョン・マクティアナン監督、ブルース・ウィリス主演の『ダイ・ハード』(1989年)をイメージして書いたそうですが、実際に観た印象はマイケル・ベイ監督、ショーン・コネリー、ニコラス・ケイジ主演の『ザ・ロック』(1996年)にそっくりで、生物兵器の収納方法や終盤の爆撃回避のシーンも発煙筒か手旗信号かの違いはあってもイメージは「そのまんま」です。
先にも述べたように、いろんなところでエピソードを割愛しているためか、原作を読んだ人にとっては物足りず、読んでない人には、意味不明や解釈のできないところがところどころ出てきます。
つまり、受け手の反応はどうであっても、「単なるアクション映画」になってしまったのは、ある意味「ほぼ原作者の意向通りに映画が仕上がった」ということではないでしょうか。実際、この映画に関する福井氏の発言からは、満足そうな反応が見て取れます。
逆に原作を読んでない人には(上記の問題点を除けば)なかなか好評のようで、すなわち本作は、「原作を読んでいるかいないか」で大きく面白さが違ってくる映画と言えるでしょうね。
この作品のテーマである「護衛艦の副長が幹部自衛官達を従えて日本政府に対し叛乱を起す」というアクション・エンターテインメント的な内容ではありますが、一方で「国家としてのありようを見失った日本に、はたして守るに値する価値があるのか?」と、問いかける作品になっています。
しかしながら、実写化にあたっては上映時間などの制約上、原作の内容をすべて盛り込めず、前述の問いかけに対する原作終盤の仙石の返答と行動は全て無くなっています。その他の重要なエピソードについても原作者自身の判断によって削除されたそうで、原作者サイドからのクレームは当然ありません。
とはいうものの、このテーマに関してまず思い浮かんだのは、「イージス」すなわち「楯」で、原作が出る30年も前の「三島事件」というものでした。作家の三島由紀夫、以下「楯の会」のメンバー5名が市ヶ谷駐屯地内の東部方面総監部を襲撃し、益田兼利総監を拘束。幕僚らを斬りつけ、三島がバルコニーで自衛官に決起を促す演説をし、その後総監室で三島と森田が割腹自殺、というものでした。
『亡国のイージス』が自衛隊最強のイージス艦を占拠して国に問おうとしたことの意味に通じるものがありました。三島は違憲下であることの自衛隊を憂い、本作の原作では自衛隊を通じた国家の在りようを問うたわけです。
原作と実写は映画化という作業において当然に異質なものとして出来上がってきます。それぞれの良さ短所があるわけでそれはそれとして楽しんだら良いわけで、つまるところ原作にこだわると作るほうも観るほうも面白さが半減してしまうように思います。
この映画は軍事アクション・エンターメントとしてよくできていて『ダイハード』や『ザ・ロック』に迫るものと言っていいでしょう。