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映画『武士の家計簿』と歴史学者磯田道史!!

この映画、2003年(平成15年)に新潮新書で発刊された歴史学者磯田道史の著書『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』を原作としています。この原作は一般向けの教養書で、ドキュメンタリー的なノンフィクションですが、2010年に監督森田芳光、主演堺雅人で『武士の家計簿』として製作されました。

 

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歴史学者磯田道史の著書といえば、『無私の日本人』所収の「穀田屋十三郎」が『殿、利息でござる!』として映画化されています。その『無私の日本人』の著作のきっかけとなったのが、この『武士の家計簿』でした。

 

宮城県篤志家吉田勝吉氏が、映画『武士の家計簿』を見て、原作者・磯田道史に「この話を本に書いて広めて欲しい」と手紙を託したのがきっかけで「穀田屋十三郎」含めた『無私の日本人』が出版され、『殿、利息でござる!』に展開しました。このように、斬ったはったのない地味ぃな物語が人の心を打ち、更に心揺さぶられる物語を紹介させるに至ったわけです。

 

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原作者磯田道史はこの物語を発掘するに至った経緯を次のように述べています。

 幕末激動の時代を、刀ではなくそろばんで、家族を守った侍がいました。知恵と愛で生き抜いた家族の物語が、168年前の家計簿から今、よみがえったわけです。「金沢藩士猪山家文書」という武家文書に、精巧な「武士の家計簿」が含まれていることを知ったのは、まったくの偶然であった。長年、武士の家計簿を探していた筆者にとっては、僥倖そのものであった。本書は、この武士家族の家計簿に焦点をあて、江戸時代から明治・大正にかけて、武士・士族がどのような日常生活をおくったのかを描くものである。

(中略)
私が、猪山家文書に出会ったのは、平成十三年の夏のことである。暑い日であったが、私は噴き出る汗もぬぐわず、地下鉄の階段を駆け上がって、神田神保町古書店をめざしていたのを憶えている。ポケットには現金十六万円がねじ込まれていた。言うまでもなく古文書を買い取る代金であり、一刻もはやく目的の古文書をみようと、急いでいた。そして、古書店につくなり、主人にこういった。「見せてください。目録四番の金沢の古文書です。お願いします」。

古文書を調べるにつれて、この家族の経験した歴史が次第に浮かび上がってきた。驚いたことに、猪山家は、すでに幕末から明治・大正の時点で、金融破綻、地価下落、リストラ、教育問題、利権と収賄報道被害……など、現在の我々が直面しているような問題をすべて経験していた。
古書店で購入した古文書には、すさまじい社会経済変動を生き抜いた「ある家族の生活の歴史」が缶詰のように封じ込められていたのである。

 

 物語は、幕末から明治。激動の時代を知恵と愛で生き抜いたある家族がありました。代々加賀藩の御算用者(経理係)である下級武士の家で、父親の猪山信之(中村雅俊)、その妻、常(松坂慶子)主人公の猪山直之(堺雅人)とその妻、駒(仲間由紀恵)さらに、直之の祖母のおばばさま(草笛光子)で、平和でつつましく暮らしていました。御算用者には珍しく知行を得た家ではありましたが、この時代の下級武士の常で、親戚付き合い、養育費、冠婚葬祭と、武家の慣習で何かにつけ出費が増え、いつしか家計は火の車となってしまいました。

 

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1842年(天保13年)、借財が大きくなった猪山家が借金整理を決意し、家財を売り払い収入、支払いを記載する入払帳がつけられることとなりました。仔細に書き残された収入、支出の項目から武士の暮らし、習俗、とくに武士身分であることによって生じる祝儀交際費などの「身分費用」に関する項目や、江戸末期の藩の統治システムが実証的、具体的に描かれています。

一家の窮地に直之は、「家計立て直し計画」を宣言。家財を売り払い、妻のお駒に支えられつつ、家族一丸となって倹約生活を実行していきます。見栄や世間体を捨てても直之が守りたかったもの、そしてわが子に伝えようとした思い、世間体や時流に惑わされることなく、つつましくも堅実に生き、家業のそろばんの腕を磨いて生きてゆきます。

 

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猪山成之(伊藤祐輝)幼少時:猪山直吉(大八木凱斗)のお披露目に際し祝の膳に鯛を付けられずニラミ鯛と称して駒の書いた鯛の絵で代用するに始まり、父親は、お方様からの下さりものの棗(なつめ)、母親は直之元服の時のみに着たお宝の小袖、などなど、他にかけがえのない品々を「子か鬼か」と母親からなじられつも「泣かせておけば収まる」と父親が納めたりと、何とか皆でこの危難を乗り越えます。

借金でやり過ごしても解決にはならず、借金の元金の4割をこれで返済し残りを無利子の10年賦とソロバン侍らしく究極の交渉で両替屋を説得してしまいます。「生まれてくる子の顔をまっすぐ見ていられる親でいたい」との一念で下した決断でした。期しくもその日に長女が誕生しました。

食事のおかずもみそ汁と香の物、弁当に至ってはおにぎりとふかし芋と、周囲の目も、なり振りもかまわず節約に努めた。面目大事の侍にとって、こんなことをなし得たのは、実直な御算用者であったからからこそなのかも知れません。

 

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猪山家に残された、約37年間の入払帳や書簡が神田の古本屋を経て歴史学者磯田道史のもとにいたり、幕末の加賀藩御算用者三代の生涯におけるこの家族の経験した歴史が浮かび上がって、現在の我々が直面しているような問題をすべて経験していたということが明らかになりました。そしてそのような問題を、家長の決断を家族の思いやりと協力で乗り越えた事実の物語が現代に蘇ってきました。