凸凹玉手箱

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映画『羅生門』言わずもがな日本映画の金字塔です!!

この映画『羅生門』は、1950年(昭和25年)に公開された日本映画で、大映の製作・配給で、監督は黒澤明、出演は三船敏郎京マチ子森雅之志村喬でした。

芥川龍之介の短編小説の『羅生門』(1915年)と 『藪の中』(1922年)とを原作に、橋本忍と黒澤が脚色し、黒澤がメガホンを取りました。

目次

 

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1.製作経緯

1949年(昭和24年)、橋本は芥川龍之介の短編小説『藪の中』を脚色した作品を執筆、師匠筋の佐伯にこの脚本を見せたところ、かねてから付き合いのあった黒澤明の手に脚本が回り、黒澤はこれを次回作として取り上げました。

橋本の書いたシナリオは京の郊外で旅の武士が殺されるという殺人事件をめぐって、関係する三人が検非違使で証言ますが、それがみな食い違ってその真相が杳として分からないという人間不信の物語でした。

しかしながら、映画にするには短すぎたため、杣(そま)売りの証言の場面と、芥川の『羅生門』のエピソードと、ラストシーンで出てくる赤ん坊のエピソードを付け足しました。


2.ストーリー

1)発端

平安時代の京の都、打ち続く戦乱と疫病の流行や天災で人心も退廃を極めていました。荒れ果てた羅生門で3人の男たちが雨宿りしていました。そのうちの2人、杣売り(志村喬)と旅法師(千秋実)はある事件の参考人として出頭した検非違使からの帰途でした。そこに雨宿りに来たもう1人の下人(上田吉二郎)の詰問に、実に奇妙な話を見聞きしたと語り始めました。


2)杣売りの証言

一昨々日のこと、薪を取りに山に分け入った杣売りは、侍・金沢武弘(森雅之)の死体を発見し、検非違使に届け出ました。そして今日、取り調べの場に出廷した杣売りは、当時の状況を思い出しながら、遺体のそばに市女笠、踏みにじられた侍烏帽子、切られた縄、そして赤地織の守袋が落ちており、そこにあるはずの金沢の太刀、女性用の短刀は見当たらなかったと証言します。

 

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また、道中で金沢と会った旅法師も出廷し、金沢は妻の真砂(京マチ子)と一緒に行動していたと証言しました。


3)盗人・多襄丸の証言

山で侍夫婦を見かけた時に、真砂の顔を見て欲情し、金沢を騙して捕縛した上で、真砂を手篭めにしたことを語りました。

 

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その後、凛とした真砂が両者の決闘を要求して、勝った方の妻になると申し出たことから、多襄丸は金沢と正々堂々と戦い、激闘の末に金沢を倒したといいました。ところが、その間に真砂は逃げており、短刀の行方も知らないと証言しました。


4)妻・真砂の証言

手篭めにされた後、多襄丸は金沢を殺さずに逃げたといい、真砂は金沢を助けようとしましたが、眼前で男に身体を許した妻を金沢は軽蔑の眼差しで見据えました。

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その目についに耐えられなくなった真砂は自らを殺すように懇願しました。そのまま気絶してしまい目が覚めると、夫には短刀が刺さって死んでいて、自分は後を追って死のうとしたが死ねなかった、と証言しました。その語り口は悲嘆に暮れ、多襄丸の証言とはあまりにかけ離れていたのでした。


5)侍・金沢の証言

最後に巫女が呼ばれ、金沢の霊を呼び出して証言を得ることになりました。金沢の霊曰く、真砂は多襄丸に辱められた後に、彼に情を移し、一緒に行く代わりに自分の夫を殺すように求めましたが、その浅ましい態度に流石の多襄丸も呆れ果て、女を生かすか殺すか夫のお前が決めて良いと金沢に申し出ました。

 

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それを聞いた真砂は逃亡し、多襄丸も姿を消し、一人残された自分は無念のあまり、妻の短刀で自害したと言い、そして自分が死んだ後に何者かが現れ、短刀を引き抜いたが、それは誰かわからないと答えました。


6)杣売りの言葉

不審に思った下人に詰問された杣売りは、実は事件の一部始終を目撃していたが巻き込まれるのを恐れ、黙っていたといいました。杣売りによれば、多襄丸は強姦の後、真砂に惚れてしまい夫婦となることを懇願しましたが、彼女は断り金沢の縄を解きました。
ところが金沢は辱めを受けた彼女に対し、武士の妻として自害するように迫ったところ、真砂は笑いだして男たちの自分勝手な言い分を誹り、金沢と多襄丸を殺し合わせることになりました。
戦に慣れない2人はへっぴり腰で無様に斬り合い、ようやく多襄丸が金沢を殺すに至りましたが、自らが仕向けた事の成り行きに真砂は動揺し逃げだしました。そして、人を殺めたばかりで動転している多襄丸も真砂を追うことができませんでした。


7)もう一つの事実

3人の告白は見栄のための虚偽であり、情けない真実を知った旅法師は世を儚みます。すると、羅生門の片隅でふと赤ん坊の泣き声がしました。何者かが赤子を捨てていったのです。下人は迷わずに赤ん坊をくるんでいた着物を奪い取ると、赤ん坊は放置しました。

 

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あまりの所業に杣売りは咎めますが、下人はこの世の中において手前勝手でない人間は生きていけないと自らの理を説き、さらに現場から無くなっていた金沢の太刀と短刀を盗んだのが杣売りだったのだろうと指摘し、お前に非難する資格はないと罵りながら去って行きました。


8)終焉

旅法師は思わぬ事の成り行きに絶望してしまいました。そこで、おもむろに杣売りが赤子に手を伸ばしました。一瞬、赤子の着物まで奪うのではと疑ってその手を払い除ける旅法師でしたが、杣売りは「自分の子として育てる」と言い残し、赤子を大事そうにかかえて去っていきました。旅法師は己の不明を恥じながらも、人間の良心に希望を見い出すのでした。

 

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3.評価・影響

日本では公開時は不評でしたが、海外では高く評価され、ヴェネツィア国際映画祭でグランプリにあたる金獅子賞を受賞しました。日本映画として初めて海外映画祭でグランプリに輝き、世界における日本映画の評価が高まるきっかけとなりました。また、第24回アカデミー賞で名誉賞(現在の外国語映画賞)を受賞、翌年の第25回アカデミー賞では美術監督賞(白黒部門)にノミネートされ、この授賞式には淀川長治が出席しました。

この本作のグランプリ受賞により黒澤明監督と日本映画は世界で評価されていき、日本映画も黄金期へと入っていきました。本作の受賞は、当時まだ米軍占領下にあり、国際的な自信を全く失っていた日本人に、古橋廣之進の競泳世界記録樹立、湯川秀樹ノーベル物理学賞受賞などと共に、現代では想像も出来ぬ程の希望と光明を与えました。

 

 

 

4.公開秘話

1950年8月25日、大映本社4階で試写会が行われました。しかし、試写を見ていた永田社長は「こんな映画、訳分からん」と憤慨し、途中で席を立ってしまい、さらには、永田は総務部長を北海道に左遷し、企画者の本木荘二郎をクビにさせています。
翌日8月26日に本作は公開されましたが、難解な作品ということもあり、国内での評価はまさに不評で、この年のキネマ旬報ベスト・テンでは第5位にランクインされる程度で、興行収入も黒澤作品にしては少ない数字でした。

同年末、ヴェネツィア国際映画祭カンヌ国際映画祭から日本に出品招請状が届きました。先に開催されるカンヌ国際映画祭の候補作を選ぶため、各映画会社からお勧めの作品を選ぶこととなり、大映からは吉村公三郎の『偽れる盛装』と『羅生門』を選出しました。
その中から関係者による投票を行い、上位2作品『また逢う日まで』と『羅生門』が候補作として選ばれましたが、『また逢う日まで』は製作会社の東宝が争議の影響で出品費用が捻出できないため辞退し、『羅生門』が残るも、こちらも辞退してしまっていました。
そんな中、イタリフィルム社長のジュリアーナ・ストラミジョーリは、ヴェネツィア国際映画祭の依頼で日本の出品作を探すこととなりました。何本と候補作を見ているとその一本である『羅生門』を観て感激し出品作に決めましたが、大映側がこれに反対しました。そこでストラミジョリは自費で英語字幕をつけて映画祭に送ったのでした。

当時、大映の重役をはじめほとんどの人々が作品の受賞を期待していなかったのですが、ヴェネツィア国際映画祭で上映されるや否や大絶賛され、1951年(昭和26年)9月10日に金獅子賞を獲得したのでした。
しかしながら、日本人の製作関係者は誰一人も映画祭に参加していなかったため、急きょ町を歩いていたベトナム人の男性が代わりにトロフィーを受け取ることになって、この姿は写真報道され、この無関係のベトナム人が黒澤本人であるとの誤解を招いたこともあったそうです。


5.みどころ

1)真実の視点

本作では4つの証言が出てきますが、それらは全て嘘が混じっていて、登場人物の中で、ただ1人下人(悪者)だけが真実にたどり着くのです。
ここにこの映画の妙があるようで、善人は正直ではなく、また真実を見抜けるのも善人ではなくて、彼らはただ凡人で、本作に登場するのは愚かな者たちなのです。

 

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旅法師を登場させた意味は、1つは、愚かな人間のサンプルで、あと1つの理由は、検非違使庁での3人(盗人、妻、侍)の証言の信憑性で、杣売りの記憶違いや嘘が入らないよう、旅法師も目撃したことで客観性を増すことにしました。日本人は見過ごしがちののですが、欧米人は真っ先に気にする点です。何しろ本作は、平安時代とは言え法廷劇のようなものでもあるのですから。


2)撮影

本作はカメラマン宮川一夫の一世一代の傑作でしょう。秀逸なのは、杣売りの志村喬が冒頭、森に分け入る姿を追うカメラの自在な動きとまつわりつきです。ステディカムもアクションカメラもなく、コンピューター操作のクレーンカメラもない時代にあの撮影は驚異的です。
また、森の中の、侍、真砂、多襄丸を照らす、ギラギラした光は、自然光を生かすためにレフ板を使わず鏡を使ったり、当時はタブーとされてきた太陽に直接カメラを向けるという撮影を行ったり、その画期的な撮影手法でモノクロ映像の美しさを極限まで映し出しています。


3)音楽

そして特筆すべきは劇伴。黒澤の盟友、早坂文雄ボレロが作中に流れ続けます。
カメラとボレロの劇伴のおかげで、本作はまるでサイレント映画のようで、そのシーンの雰囲気、空気までを見事に演出しています。

 

 

 

6.考察

1)リドル・ストーリー

そもそも、この映画の原作である「藪の中」は視線によってつくりあげられた決着のない、リドル・ストーリーでした。章ごとに異なる語り手が現れ、杣売り、多襄丸、真砂、巫女 (侍)と、一つの事件について語っているはずなのに、その内容は語り手によって全く違っていて、「語り」が「騙り」となっています。


2)騙り

映画『羅生門』もこの構成を踏襲していて、小説と同じように一人ずつ語り手が登場し、そこで語られることがその都度映像化されます。多襄丸編では多襄丸と侍は激しく剣戟し、しかし巫女 (侍) 編では二人は刀を交えずに去ります。多襄丸の言によれば気性の荒い真砂も、検非違使の前に呼び出されるとおろおろと泣いている。何がほんとうで、何が嘘なのか。その語り (=騙り) から知ることはできません。


3)決着

謎が謎のまま終わる「藪の中」に対し、『羅生門』では一つの解答が提示されています。実は杣売りの男が草葉の蔭から一部始終を見ていたという設定で、多襄丸や真砂、巫女 (侍) が語り (=騙り) 終わった後にそれは語られます。
この「真相」の暴露があって最後の杣売りの男の赤ん坊を引き取るという決意が、旅法師の感動的な言葉「あなたのおかげで私は人間を信じることができる」 があるわけですが、この映画を「視線の物語」として捉えようとすと、ここである疑いを差し挟まずにはいられません。杣売りの男が語ったことは、ほんとうに「真相」だったのか、と。


4)疑惑

それまでの語りが全部騙りであった以上、杣売りの男のかたりだけが語りであるという保証はありません、現に彼は下人に指摘されるまで自分が刀を盗んだことを隠していました。彼の話が「真相」である証拠などどこに見出されましょう。

同じ理由で、赤ん坊を引き取って育てるという杣売りの言葉をも信じることができません。旅法師から手渡される前、彼はじっと赤ん坊を見つめます。その視線は赤ん坊ではなく、その子の衣服に注がれているのではなかったでしょうか。いや、これはさすがに穿ち過ぎかもしれませんが、しかしながらそれどころか、我々は、本作と時代も同じ、ジョージ秋山の「アシュラ」の世界を知っています。


5)視る者

最後のシーンが印象的です。雨が止み、晴れ間がさしてきた羅生門の外に、赤ん坊を大事そうに抱いた男が時々後ろを振り返りつつ歩いていきます。その背中に、羅生門に残った旅法師がじっと視線を注いでいました。

この旅法師こそが重要で、『羅生門』において「羅生門」にない要素を見つけようとするならば、第二の下人としての杣売りの男よりも、この「視る者」としての旅法師を挙げるべきでしょう。

示唆的なのは、この旅法師が最後まで羅生門に残り続けることで、言うまでもなく、この羅生門は暗喩(メタファー)として機能しているのです。
すなわち下人は善悪の「外」に行き、杣売りの男は善悪の「内」へ、表面的には行きました 。しかしこの旅法師だけは門の下に留まり、態度を保留しています。ほんとうに人間を信じていいものか、未だ決めきれずにいるのです。


6)困惑

そのことは旅法師の視線によく現れていて、人間を信じたいと願う彼の視線は、門を出て行く杣売りの男へと注がれますが、そこではきょろきょろと後ろを気にする男の仕草がすべて怪しいものに映り、やがて焦点が旅法師から杣売りに移動してその顔がおぼろげになるにつれて、そこから向けられる視線には疑いが根ざしているのではないかという印象をどうしても拭い去れずにはいられないのです。


7)真実の行方

こうした不穏な疑念を残したまま、物語は静かに幕を閉じます。だからこそこの物語を反芻し、自らにこう問わなければなりません。自分は何を見たのか、と。

 

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7.まとめ

黒澤明は、前半生の映画は、ヒューマニズムに溺れ過ぎると批判されましたが、今のコロナと世界情勢と政権末期の先の見えない、ある意味、混沌とした、この時代ならばこそ「人を信じるな、そして人を信じよ」なのです。こういう時代にはこういう映画も、もっと再評価されるべきなのでしょう。