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映画『壬生義士伝』新選組最強の男がみせる壮絶「家族愛」と武士の「義」!!

この映画『壬生義士伝』は、浅田次郎歴史小説を原作に2003年に松竹配給により映画化されました。
滝田洋二郎が監督を務め、中井貴一の主演で、佐藤浩市が共演しています。

目次

 

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1.紹介

南部地方盛岡藩の脱藩浪士で新選組隊士の吉村貫一郎を題材として、新選組守銭奴や出稼ぎ浪人などと呼ばれながら近藤勇土方歳三斎藤一沖田総司など新選組の名だたる隊士が一目おいた田舎侍・吉村貫一郎が繰り広げる武士としての義、家族への愛、友との友情という人間ドラマを描いた作品で、原作は、2000年に第13回柴田錬三郎賞を受賞しています。

なお、2004年の第27回日本アカデミー賞において、最優秀作品賞、中井貴一佐藤浩市がそれぞれ、最優秀主演男優賞と最優秀助演男優賞を受賞しています。


2.ストーリー

1)プロローグ

明治32年東京市・冬、大野医院では大野千秋(村田雄浩)が満州への引越しの準備に追われていました。そこへ斎藤一佐藤浩市)が熱を出した孫を背負ってやってきました。
治療を嫌がる孫がはずみで荷造り中であった写真立てを落としてしまい、拾い上げた斎藤はその写真にくぎ付けになってしまいます。
その写真には奥州盛岡出身の下級武士で新選組の剣術指南役を務めた吉村貫一郎中井貴一)が写っていました。
それは斎藤が最も憎んだ男であり、幕末の狂った戦乱を共に戦い壬生浪(みぶろ)と恐れられた男たちの1人でした。


2)気にくわない奴

幕末、京の片隅、壬生で産声を上げた新選組はその頃、池田屋だなんだかんだと天下を剣でねじ伏せたつもりの怖いもの知らずの集まりでした。

 

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斎藤が吉村を見たのは新選組の新入隊員の練習試合の時だでした。北辰一刀流の免許を持つ吉村の構えを見た斎藤は一目で人を切ってきた剣だと見抜きます。
永倉新八(比留間由哲)との試合で互角の戦いを見せた吉村は近藤勇塩見三省)により新選組の剣術師範に任命されました。

その夜、宴が催され、吉村は斎藤に酒を注ぎながら南部盛岡のお国自慢から家族自慢を始めます。斎藤は鼻持ちならない田舎侍の吉村を切ってやろうと思いました。吉村に屯所まで遅らせる途中、斎藤はいきなり刀を抜き吉村に切りかかります。理由を聞く吉村に気に食わないからだと答えた斎藤は攻防の途中「冗談だ」と刀を降ろしました。

 

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3)守銭奴

ある日平隊士の背山多喜人(矢吹蓮)が隊の規律違反を犯し切腹となり、その介錯沖田総司堺雅人)の進言で、新入隊員の近藤周平(加瀬亮)と吉村が務めることになりました。だが白装束の背山が土壇場で逃げ出そうとしたため吉村は追いかけ一刀のもとに背山の首を刎ねました。

その後お清め代として周平と吉村には2両ずつ土方歳三(野村祐人)より差し出されますが、周平は断り吉村は刃こぼれが生じたため刀代が欲しいと図々しくも要求し、10両ほどの金を手にしました。吉村はついでに周平の前に置かれた2両まで掴むと「では」と言って一同唖然とする中、部屋を出て行きました。

 

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4)脱藩のわけ

実は吉村の刀には刃こぼれなどなく、新選組・幕末の動乱の仇花、吉村はその新選組の中でせっせと吝嗇(りんしょく)に努める珍しい男でした。だがそれは盛岡の家族に送金するための吝嗇であったのでした。

盛岡での吉村は下級の武士でありながらその学才と剣術の腕前を認められ、藩校の教壇にも立っていました。武士としての体面を何とか保ちながらも実は食べていくのがやっという経済状態だったのです。
それでも家族仲睦まじい生活を送っていました。だが吉村はある日脱藩し、残された家族は藩の住居から追われ遠い親族を頼って引っ越して行きました。

その頃の南部盛岡藩では数年にわたり慢性的な飢饉が続いていて、四俵弐人扶ちしかない吉村は生活が立ちいかなくなっていたのです。


5)分裂

新選組の隊士・谷三十郎が斬殺されました。谷の素行に反発する者も隊員の中にいたため、犯人は内部にいると考えられました。その切り口から犯人は左利きの斎藤と見当をつけた吉村は口止め料として斎藤に金を要求しました。

このころすでに新選組は二つに分裂していました。日本そのものが薩長と幕府二つに分かれ互いに衝突し始めていたのです。新選組もその流れに抗えませんでした。

ある日、伊東甲子太郎斎藤歩)から新選組を抜けることに誘われた吉村は新選組の俸禄の倍をもらえると聞いても頑として首を縦に振りません。斎藤もあの吉村が金に転ばないことに驚きました。

斎藤も伊藤について新選組を抜けましたが、近藤と土方の間者として。斎藤は伊藤から信頼されていました。

斎藤の密書は愛人のぬい(中谷美紀)に持たせ吉村に届けられ、吉村から土方へ渡される段取りになっていました。


6)暗殺計画の陰に

伊藤たちによる近藤暗殺計画、そして武力討幕の妨げとなる坂本龍馬の暗殺さえ企んでいることが密書には書かれていました。

さすがに近藤に手をかけることはできない斎藤は、このままではぬいまで危険にさらすことになるとぬいに手切れ金を渡しここから逃げろといいます。

だがぬいはこんなものはいらない、そのかわり今夜は一杯可愛がってくださいと斎藤に身を任せ、後日ぬいは斎藤が出て行ったあと中庭で自害したのでした。


7)苦渋の決断

それを発見したのは吉村でした。発見した時吉村は盛岡に残した妻のしづ(夏川結衣)のことを思い出さずにはいられませんでした。盛岡で暮らしているころ貧しさのあまり食べるものもなくなり、志津は入水自殺を図りました。既のところで吉村がしづを抱きかかえ助けたが、吉村が脱藩を決意したのはこの瞬間でした。

 

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子供たちに道を説き剣術を教える吉村が、この盛岡で銭が欲しいとはだれにも言うことはできず、だが銭がなければ家族に冬を越させることもできないと苦渋の選択をしたのでした。


8)時代の崩壊

斎藤は逃げ回ることがバカバカしくなり、ぬけぬけと新選組に戻ってきました。新選組がもうすぐ壊滅することは分かっていたのですが、いや分かっていたから死に場を求めて戻ってきたのでした。

そして、ぬいの死を伝えられ、この時の心情を察したのは吉村のみであったと、後に斎藤は述懐しています。

ある晩、新選組新選組を出て行った伊藤たちを取り囲み、伊藤は斎藤の手によって斬殺されました。

世の中は確実に動いていました。大政奉還王政復古の大号令新選組京都守護職を解任され将軍も京を離れ新選組は守るものを無くしたのです。

天下のみなしごとなった新選組は最後の見せ場を求めるかのように、幕府対薩長の戦いに参戦します。新選組にできることは戦しかなかったのでした。

 

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9)敗走の中で

思えばお笑い種の戦いでした。刀に鉄砲では勝負は見えています。剣を頼りに命を張っていたのは遠い昔のようにその頃の斎藤には思えていました。

新選組幕府軍とともに敗走を重ね、諸藩の寝返りも相次ぎ、とうとう崖っぷちに追い込まれた新選組は、待ち伏せての殲滅に最後の札をかけました。

その時、吉村は隊士たちに握り飯を配って回り最後の一つを斎藤に差し出しました。貪り食ってしまった斎藤は、それが最後の握り飯で吉村も食べていないことを知り激怒します。

斎藤は吉村に掴みかかると。
「たかがくそ袋がなぜ他人の腹を気遣う! 人が人を憎み恨み合って殺し合う世の中だというのにお前はなぜ己の腹すら満たそうとしないのだ!」と。

 

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気を落ち着くと斎藤は吉村にお前は逃げろといいます。
「俺達には嘆くものも惜しむ者もいない、だがお前は死んではならん。お前のような奴は死んではならんのだ」と。

しかし、吉村は落ち着いた声で
「斎藤さん、私は南部の侍です。われら南部武士は女子供まで曲げてはならない義の道を知っています。ならば私は南部の先駆けとなって戦います。斎藤さんのお気遣いは涙が出るほど嬉しいけれど義に背くような真似はできません」と答えました。

その時、斎藤は吉村を本当の侍だと感じたのでした。


10)吉村の突撃

その後薩摩軍との激しい戦いとなりますが、いったん静まったと思ったところに錦の御旗がやって来て馬上の男が今すぐ兵を引けば賊軍の汚名は免れようと叫びました。

それを聞いた吉村は、天皇様に弓引くつもりは無いが拙者の義のため戦はせねばならない。いざお相手いたすと鉄砲隊の前へ飛び出していきました。

 

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斎藤が最後に吉村を見たのは、敵中に飛び込んでいくその吉村の後ろ姿でした。

大野医院の千秋は斎藤に吉村のその後を語り始めます。


11)吉村の最後

千秋の父・大野次郎右衛門(三宅裕司)は吉村とは竹馬の友で同じく貧しい産まれでしたが、大野家に養子に入ったことで召し抱えるものと抱えられるものという立場に変化しました。
しかし、次郎衛門は組頭になっても吉村との友情は大切にしていました。吉村が脱藩の決意を告白したときも必死に止めはしたが道中の手形を用意するほどの関係でした。

吉村は敵陣に突入するもなんとか生き延び南部盛岡藩大坂蔵屋敷にたどり着きました。そこで次郎衛門に盛岡に帰りたいと訴えるが、次郎衛門は「お前と南部一国を秤にかけるわけにはいかない。自分一人がお前ひとりのために死ぬことはできてもお前ひとりのために南部20万石を朝敵とするわけにはいかない」と自分の刀を渡し、切腹を命じました。

 

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だがその刀は息子の喜一郎(藤間宇宙)にやりたいから血で汚すわけにはいかないと、自らの刀で自害してはてました。


12)エピローグ

千秋(青年期:伊藤淳史)は吉村の喜一郎とも親友であった。喜一郎は父の死後、五稜郭へ行くと千秋のもとに挨拶に来ました。

喜一郎の妹・みつが行かないでとすがるが決心が硬いことを知った千秋は滝の水を両手で救い、お互いに飲ませ水杯を交わしました。

 

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その後、千秋と長じたみつ(夏川結衣、二役)は所帯を持ちここ東京で医院を開いていたのでした。

孫の治療が終わった斎藤は、孫の手を引き雪の中をとぼとぼと歩いて帰って行った。吉村が語っていた盛岡の美しい風景を諳んじながら。

 

3.四方山話

1)吉村貫一郎とは

新撰組に関する資料は随分曖昧で、多くは明治になってからの生き残り隊士達の回顧録が主体で、吉村貫一郎という南部脱藩の隊士は実在し、剣術指南をしていて、鳥羽伏見・淀の戦いに参戦し、その後、大坂の南部藩邸に一人の新撰組の敗残兵が逃げ込み、そこで切腹をした、もしくはさせられた。そしてそれが誰かは判っていない、というところのようです。

一般に流通する吉村像は、幕末の京都西本願寺侍臣、西村兼文による記述をヒントにした子母澤寛の『新選組物語』「隊士絶命記」による創作が元になっています。子母澤の描く吉村の姿は以下の通りです。

三十七、八歳。痩せ形で背が高く、左の目の下に小さな傷跡があった。おとなしい性格で学問があり、剣術も使えた。特に書をよくした。盛岡藩出身の微録の扶持取りで、漆掻などをして妻子五人を養っていたが、どうしても食えないので妻と相談の上、文久2年に脱藩し、単身で大坂に出た。その後も仕送りは続けていた。翌年に新選組が京大坂で隊士の募集を行ったのを聞きつけて、応募した 。見廻組並に選ばれた時、土方より三十俵二人扶持を頂き、うれし泣きをした。新選組が伏見奉行所に引き移る際に貰った百両を妻子に届けた。鳥羽・伏見の戦いの後、味方にはぐれ、新選組が大坂を離れている事を知った吉村は網島の盛岡藩仮屋敷に身を投じ、留守居役の大野次郎右衛門を前にして、勤王のために奉公したいと言うが、結局は妻子を養ってくれる俸禄が欲しいだけであり、妻子に忠義を尽すのだと吐露する。大野は君は武士の魂をもっていない、南部武士にこのような人がいるのは、わが藩末代までの恥だと言って、外に出ればすぐ縄目が掛かるからと、切腹するように仕向けたので、吉村は屋敷内で腹を切った。その部屋の床の間には、小刀と二分金十枚ばかりの包みが置いてあり、傍らの壁には「此弍品拙者家へ……」と記してあった、という。

後に水木しげる浅田次郎は上記の子母澤の創作を下敷きにして吉村を主役とした作品を発表しており、水木は漫画『幕末の親父』、浅田は本作の『壬生義士伝』を執筆しました。


2)斎藤一

この物語の語部の斎藤一が、吉村の娘・みつに、最初で最後に会った時の心情にこそ本作品の神髄が見えてきます。
彼女は小さい頃から父や兄との別れを経験し辛い思いをしてきたが、何とか吉村の仕送りで生きてきました。
斎藤の属した新選組、彼らはお国の為に死力を尽くしてきたけど、時代の流れに巻き込まれて最後は国賊として敗走しました。斎藤一という人間はそこまで愛国の思想があるわけではないし、ざっくり言えば命を惜しまない生き方に憧れていた人です。その憧れの生き方を通した吉村は斎藤にとってかなり特別な存在でした。
その吉村が守銭奴とバカにされても守り抜いた愛娘・みつと会った時の斎藤はどれほど嬉しかったでしょうか。どれほど悔しかったでしょうか。そして、どれほど救われたことだったでしょうか。

「おもさげなござんした、吉村先生。」


3)「おもさげながんす」

この作品の中で、特記すべきは、「おもさげながんす」おもさげねがんすとかんちがいすることもあるようですが、ながんすがただしいようで、吉村がいたるところで発しています。

これは、「申し訳ありません」という意味と「ありがとうございます」という意味を持つ言葉です。

方言というのは、「おもさげながんす」のようにその一言で、二言も三言もいろいろな意味を表現します。たくさんの意味を一言で表すことが出来て便利といえます。

無理に標準語に当てはめると、言葉としての意味しか持たないけれど、その言葉の一言には、意味だけでなく相手を思いやる温かい心が込められているとか言葉で表現できないものがあります。


4)山田辰夫

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大野家の中間佐助として、全編で登場している山田辰夫ですが、滝田洋二郎監督とは高岡商業高校で3年間同じクラスの同級生で、上京も一緒でした。
本作から共に仕事をするようになり、山田の急逝の報に「もっと山田を撮りたかった。一緒に映画をやれたことが誇り」と友人の死を悼みました。

 

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4.まとめ

「本当の侍とは何か?」というテーマを描いた名作です。確かに吉村が本当に守りたかったのは、国よりも家族だったのは間違いないのですが、命を賭して国と侍の矜持を守ったのも間違いありません。