凸凹玉手箱

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映画『殿、利息でござる』感動のドミノ倒しです!!

 

タイトル「殿、利息でござる」、主演阿部サダヲ、キャッチコピー「ゼニと頭は、使いよう。」とくれば、コメディ・テイストの映画と勘違いしていました。

そういう意味では実に期待外れで、ダブル主演の瑛太の方にクスリとした笑いがあって、阿部サダヲには一切コミカルなところがない映画でした。

 

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それはともかく、こんな夢みたいなお話が実話を元にしていて、哀しみや憐れみでもなく、感動で涙腺を緩めてしまうなんてことは滅多にないことです。

2014年、東日本放送が開局40周年記念事業の一環として、映画製作を中村義洋に依頼することになりました。原作者・磯田道史は、この映画の完成までの流れを「感動のドミノ」と称しています。

宮城県大和町の元町議の吉田勝吉氏が、映画『武士の家計簿』を見て、原作者・磯田道史に「この話を本に書いて広めて欲しい」と手紙を託したのがきっかけで「穀田屋十三郎」含めた『無私の日本人』が出版されました。

『無私の日本人』を読んで感動した京都の読者が東日本放送に勤務している娘に送り、これに感動した娘が同社勤務の同僚に薦めました。その同僚がさらに元同僚に薦めました。そして、その元同僚が中村義洋の妻で「無私の日本人」を夫に見せました。

「無私の日本人」に感動した中村義洋東日本放送に映像化を掛け合いますが、最初は時代劇に難色を示します。映画化の決め手は、東日本放送社長が「無私の日本人」に感動して映像化を許可したことでした。

 

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物語は、250年前の江戸時代、重い年貢と使役により夜逃げが相次ぐ仙台藩の宿場町吉岡宿(現宮城県黒川郡大和町)に住む穀田屋十三郎(阿部サダヲ)は、知恵者の菅原屋篤平治(瑛太)から町を救う妙案を聞きました。それは藩に大金を貸し付け、利息を受け取って「庶民がお上から年貢を取り戻す」という逆転の発想でした。

こんな計画が明るみに出れば打ち首になるかもしれないという状況の中、十三郎と仲間たちは必死の説得を重ね、町のため、人のために、私財を投げ打ち、一千両という現在の貨幣価値にしておよそ3億円もの大金を水面下で集めると言うものでした。

 

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この様な大金を集めるのは並大抵のことではないし、仮に集められたとしても仙台藩がこの申し出を受け入れるかどうかもわかりません。菅原屋篤平治は仙台藩が資金不足に陥っていることを正確に見抜いていましたが、出入司の萱場杢(松田龍平)のようにこのプランを邪魔する役人も現れます。

ともあれ、企てに賛同し、尽力するものいて、困難を乗り越えついに藩への貸し付けを成功させた吉岡宿の町人たちの意志力と知恵は半端ではありません。特に、父親の先代浅野屋甚内(山崎努)の代から吉岡宿のために銭を貯めていた浅野屋の自己犠牲の精神は感動的で、この人物は磯田道史の原作のタイトルとおり、まさに「無私の日本人」です。これほど立派な人が本当にいたのか、と信じ難い驚きです。

しかしながら、この作品で一番驚いたのは、藩からの利息の取り立てに成功したことではなく、それ自体ももちろんすごいことなのですが、それ以上に凄かったのは、この計画を実現させた町人たちの謙虚さです。

大肝煎の千坂仲内(千葉雄大)は、肝煎遠藤幾右衛門( 寺脇康文)以下、出資者の7人を集めて「慎みの箇条」に署名させています。

慎みの掟
一、喧嘩口論はあい慎む
一、此度の嘆願について、口外することを慎む
一、神社仏閣等へ寄進致しき折もその名を出すことを慎む
一、往来を歩く際は、礼を失することにならぬようこれを慎む
一、振る舞いなどの寄り合いでは、上座に座らず、末席にて慎む

これは、子々孫々の代にいたるまで、上座に座らないことを約束させたもので、つまりは、吉岡宿を救うために資金を出したことを誇ってはならない、ということになります。

出資したお金は一分も帰ってくるわけではないし、出した側にはなんの利益もありません。仙台藩から取った利息は村民に分配され、吉岡宿を救済されるために使われるからです。せめて名誉くらい求めたっていいではないかと普通は思うでしょう。

しかしながら、吉岡宿の出資者たちは自分を誇ることすら認めませんでした。これは、共同体を維持していくための深い知恵なのでしょう。

 

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実際に穀田屋が資金を集めているとき、出資を断った商人たちの悪評が吉岡宿で流れました。出資者が赤穂義士にように讃えられるようでは、狭い共同体の中に格差が生まれ、暮らしにくい世界になってしまいます。

それではいけないと考えた大肝煎の千坂が、出資者に己を慎むことを求めたわけです。吉岡宿を救えても、そのあとの町の雰囲気に考慮し、ギスギスしたものにならないよう配慮したものです。

共同体のために自分を犠牲にするだとか、周囲の空気を読むと言った日本人の特性は、美徳のようで、一方では、あまり良くないものと言われることもあります。この場合、あまり個を強く押し出すことを良しとしない日本人の性質はプラスに働いたともとれます。

かつてこの国には、ここまで「無私」になれる人々がいました。その事実に涙が止まらなくなると同時に、今日のあまりにかけ離れた現代の惨状を観ると強く打ちのめされてしまいます。

 

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現代社会においては、自分さえ儲かればいいとの強者の論理が破滅的な格差を生み出し、後の時代のことを考えないその場限りの自己保身が正直な社会活動を阻害しています。

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しかしながら、昔の日本に、その先駆けというべき素朴な基金を発明し、皆で実現した人々がいたのです。はるか江戸時代にひとつの経済的社会的奇跡を起こしていたのでした。