凸凹玉手箱

A Post-Baiby Boomer

映画『ヒトラー暗殺、13分の誤算』歴史が変わったかも知れません?!

 

1939年の11月。対ポーランド戦の圧勝に意気あがるナチスドイツ、ヒトラーミュンヘンにおける恒例の演説で、爆発物による暗殺未遂事件が起こりました。偶然13分間早く切り上げたためヒトラーは難を逃れました。

 

    f:id:mattyanp2016:20181215111152j:plain


平凡な家具職人であったゲオルク・エルザー(クリスティアン・フリーデル)は、いったいどうして彼はこの事件の犯人となったのか?。その過去をこの映画は明らかにします。


この映画のテーマを一面で象徴しているのが、逮捕後の取調べを行う刑事警察局長アルトゥール・ネーベ(ブルクハルト・クラウスナー)とエルザーの駆け引き、そしてネーベのその後です。

 

     f:id:mattyanp2016:20181215111333j:plain

 

ポイントはネーベが善悪の境界線に立つ人間として描かれている点で、ナチスの「悪の論理」を軍服を纏っていながら容疑者エルザーをなんとか助けてやりたいと感じさせるところを垣間見せます。

 

そして、後に、反ヒトラー派や地下組織とも通じ、1945年1月にはゲシュタポにつかまり、3月2日に民族裁判所の法廷にかけられ、3月21日にヒトラー自身の指示によりピアノ線による絞首刑にあっています。

 

さて、主人公エルザーが、明らかに何らかのきな臭さを感じたのでしょうか。ワルキューレ作戦はじめ、ほとんどのヒトラー暗殺未遂は戦争突入後なのですが、まだナチスプロパガンダ映画の上映会に村人がうかれているような時代に、ヒトラーの危険性をいち早く察知し、暗殺まで決意したのは大きな謎ではあります。

 

エルザーは、多少反ナチの帰来はあったものの自身でナチ派の住民と立ち廻りをするほどでもない程度でしたが、友人や身内がナチの圧迫を受けたり、拘束されたりし、仕事も思うようにいかない環境となってきて、変質狂的な素養があって、思いつめれば、爆弾テロに走ってしまったのかも知れません。

 

ただ、いくら反ナチの正義といえど、爆弾テロはいかがなものか、という意見はあって、確かに正しいことですが、同じくヒトラーの爆殺テロを計画し、同じく失敗し、同じように巻き添え死を発生させたワルキューレ作戦のクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐についてそのような批判は聞かれません。むしろ大人気なのです。

 

この事件が、ポーランド侵攻まもなくの時期であまりに時期尚早なのと、シュタウフェンベルク大佐のような「ドイツ伝統上流社会」という後ろ盾があるのと、エルザーは、孤立無援で素行も芳しくなかったようなところもあったので、ナチにとっても反ナチにとっても評価しがたい人物となって、それをどう描くかというのもこの映画の大きな注目点です。

 

     f:id:mattyanp2016:20181215111555j:plain

 

コネもなく、天才でもない、平凡な家具職人が振りしぼりだした「歴史的」な勇気と行動を、もちろんその是非はともかくですが、今一度、歴史の正面から直視したのが、『ヒトラー暗殺、13分の誤算』なのでしょう。

 

          f:id:mattyanp2016:20181215114200j:plain

 

かの、エルザーを尋問した刑事警察局長ネーベの、エルザー事件から5年経った、処刑シーンは、皮肉な意味合いが痛いほど伝わってきます。


ヒトラーの危険性に気づいていたという意味がこの映画には含まれていて、この男のそれまでの立場、エルザーへの態度を思い起こせば、彼の姿こそ、気づいても、また、それでも何もできなかったのが歴史の流れそのものの象徴だからです。