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映画『ジョーズ』いつ観ても、何度観ても面白い、スピルバーグ映画の原点です!!

この映画『ジョーズJaws)』は、スティーヴン・スピルバーグ監督による1975年のアメリカ映画で、1974年に出版されたピーター・ベンチリーによる同題の小説が原作となっています。

目次

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1.スピルバーグ伝説

1946年12月生まれの、当時は弱冠28歳だったスピルバーグが、ハリウッドの頂点に上り詰めていく第一歩となったのが、本作『ジョーズ』です。

一体、どういう経緯で映画化されたのか、また、20代の若僧が、なぜ監督を任されたのか。その舞台裏をミュージカルの舞台化が企てられているほど、それ自体が「劇的」な出来事の連続だったのです。

少年時代から父の8㎜カメラを奪って映画を作っていた、スピルバーグでした。そんな彼がハリウッド入りを果たすきっかけとなったエピソードは、もはや伝説と言うことができそうです。

 

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1)きっかけ

18歳の夏、ロサンゼルスの「ユニバーサル・スタジオ」の観光ツアーに参加したスピルバーグは、そのツアーを抜け出して、観光客には立ち入り禁止のサウンドステージや編集室などを見て回りました。

その際に、偶然出会った映画ライブラリー館長から3日間のパスをプレゼントされ、連日の撮影所通いが始まります。それは3日間の期限が切れた後も、ゲートのガードマンに黙認されて続きました。


2)成長

そうやって撮影所のスタッフと知り合いになり、諸々雑用なども言いつかるようになったスピルバーグは、自ら監督したインディーズ作品でお偉方にアピールし、やがてTVシリーズの一編やTVムービーなどの監督を任されるようになっていきました。

その中の1本『激突!』(1971年)は、あまりの出来の良さに、アメリカ以外の各国では劇場公開に至りました。そして『続・激突!/カージャック』(1974年)で、正式に劇場用映画の監督としてデビューを飾りました。


3)認知

邦題に相違してよくある受け狙いの、『激突!』とは全く無関係の『続・激突!…』は、新人監督の作品として批評が良かったにも拘わらず、興行はぱっとしませんでした。しかしながら、プロデューサーを務めたリチャード・D・ザナックとデヴィッド・ブラウンは、スピルバーグの力量を認めることとなり、それが『ジョーズ』に繋がっていったのでした。


4)映画化への抜擢

本作、ピーター・ベンチリ―の原作は、1974年2月に出版され、大ベストセラーになったもので、ザナック&ブラウンは、その出版前に権利を買って、映画化の準備を進めていました。

スピルバーグは、ブラウンのデスク上にあった、出版前の原作ゲラ刷りを何気なく読み始めたところ、結果、自分の次回作として、『ジョーズ』を撮りたいと希望するに至りました。ところがその時は既に、『男の出発』(72)などのディック・リチャーズが、『ジョーズ』を監督することが、決まっていたのでした。

数週間後、リチャーズがレイモンド・チャンドラー原作の、ロバート・ミッチャムが探偵フィリップ・マーローを演じる『さらば愛しき女よ』(1975年)を監督するために、降板したことで、お鉢はスピルバーグへと、回ってきたのでした。

 

2.キャスティング

1)警察署長ブロディ

主演級である3人のキャストは、いずれも第一候補ではない者に決まっていきました。夏場の稼ぎで1年間を過ごす町アミティの警察署長のブロディ役には、スティーブ・マックイーンチャールトン・ヘストンの名が上がりました。

しかしながら、スピルバーグはヘストン案に関して、「彼なら勝つに決まっているって誰でもわかるじゃないですか!」と、異議を唱えたといいます。なるほど、ニューヨークの警官の激務に嫌気が差して、のどかなリゾート地の警察に身を移した設定のブロディ役には、マックイーンやヘストンのようなヒーロー俳優は、確かにそぐいません。この辺が、観客側に立ったスピルバーグの慧眼が伺えます。

結局ブロディには、スピルバーグが推した、ロイ・シャイダー(1932年~2008年)が決まりました。シャイダーは舞台で高い評価を受けた後、『フレンチ・コネクション』(1971年)でアカデミー賞助演男優賞の候補になった辺りから、映画界で存在感が高まりつつある頃でした。

 

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2)海洋学者のマット・フーパ

海洋学者のマット・フーパ―役の有力候補は、当初はピーター・ボグダノヴィッチ監督の『ラスト・ショー』(1971年)で評判になった2人の、ティモシー・ボトムズジェフ・ブリッジスでした。

結局、スピルバーグの盟友ジョージ・ルーカスが監督した、『アメリカン・グラフィティ』(1973年)の主演、リチャード・ドレイファス(1947年~ )に決まりました。

若僧ということで、撮影現場では、どうしても出演者たちから舐められがちだったスピルバーグでしたが、同年代で相談相手にもなったドレイファスの存在には、かなり助けられたということです。

 

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3)漁師のクイント

サメ捕りのプロ、漁師のクイント役は、リー・マーヴィンスターリング・ヘイドンに断られた後、『スティング』(1973年)でのギャングのボス役で評判を取った、ロバート・ショウ(1927年~1978年)に。暗く、激烈な過去を背負って哀愁すら漂わせる荒くれ男となると反ってショウが適役だったようです。

 

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3.禍転じて福と為す

1)ブルースの不具合

経験不足のスピルバーグの前には、多くの困難が待っていましたが、とどめになりそうだったのが、「サメ」でした。スピルバーグの弁護士の名に由来して、「ブルース」と名付けられた全長7m以上、重量1.5tの機械仕掛けのサメは、最初のカメラテストの日に海面に浮かばせると、水面を切って疾駆する筈が、動き出すや否や、海底へと沈んでいってしまったのです。

修理には3~4週間を要し、しかも現場に戻ってきても、期待通りの動きは望めそうにありません。このままではスピルバーグの降板、或いは製作を中止するしか、手段がないように思われました。

早急に代替案を考える以外に、撮影を続ける道はなかったのです。悩みに悩んだスピルバーグでしたが、そこからが「天才」でした。翌日採るべき道を見付けたのです。

「サメを見せず、その存在だけを暗示する、ともかく全身は見せない」

かくて、サメの襲撃シーンなどで、そのヒレや尾、鼻先など、一部しか見せない演出となりました。サメの全貌は映画の後半、ブロディが船上から撒き餌をしているところに出現するまでは、一切画面に現れないのです。

この演出が成功する鍵となったのは、ヴァーナ・フィールズによる見事な「編集」と、ジョン・ウィリアムズ作曲の「テーマ曲」があったからこそ、映画史上に残るサスペンス演出が完成したのでした。


2)原作からの脱皮

最終的には、サメとの最後の対決シーンを原作から大きく改変したことが、「映画版」の大勝利に繋がったと言えるでしょう。原作でクイントは、「白鯨」のエイハブ船長さながらにサメに銛を突き立てるも、そこに繋がったロープが足に巻き付いたため、海へと引き摺り込まれて、溺死してしまいます。そしてサメも、クイントのその一撃が致命傷となって、絶命します。ブロディは対決の傍観者として、生還するというラストです。

当初は映画でも、原作に準拠したラストにするプランでした。しかしスピルバーグは原作者の反対を押し切って、クイントを噛み殺したサメと、ブロディの直接対決という大興奮の見せ場を作りました。

ブロディが、「笑え化け物!」と叫んだ後の怒涛の展開に、多くの映画館では大拍手が起こりました。それまで警察署長でありながら、市長や町の有力者、クイントやフーパ―にさえないがしろにされていた男が大逆転したわけです。

 

4.後日譚

さて撮影期間13週、製作費230万ドルの予定で始まった『ジョーズ』は、最終的には20週で800万ドルまで膨れ上がりました。撮影が終わってロケ地の島を出る時、「2度と戻らん」とまで言ったスピルバーグは、その後の作品では、すべての撮影基盤が完璧に整うまでは、決して製作に入らないようになりました。『ジョーズ』の苦い経験があったが故に、クリント・イーストウッドと並ぶ、「早撮り」の巨匠となったわけです。

 


5.ストーリー

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1)死体の発見

朝、海の見える一軒家で、警察署長のマーティン・ブロディ(ロイ・シャイダー)目覚めました。妻のエレン(ロレイン・ゲイリー)や息子のマイケル(クリス・レベロ)と会話をしているところに、電話がかかって来ました。

海に入ったまま行方不明の人物がいることを聞いたブロディは、車で現場に向かいます。現場の浜辺に到着したブロディは、通報者のキャシディ(ジョナサン・フィレイ)と話をしていました。警官のヘンドリックスが吹く笛の音が聞こえ、2人は走って向かいました。そこには、多くのカニが群がったクリッシー(スーザン・バックリニー)の死体がありました。
  

2)死因はサメの襲撃

警察署で、ブロディが事件の書類をタイプしていると、検視をした医師から電話で報告を受け、死因に「サメの襲撃」とタイプします。

ブロディは海岸の封鎖を決意します。独立記念日のお祭りに向けて、観光客の受け入れ準備に忙しい町の中を歩いて雑貨店に向かい、海で遠泳をしている人物がいることを知ったブロディは、やめさせるべく浜辺に、「遊泳禁止」の立て札を作るために木や絵の具を買いました。

そこにヴォーン市長がやって来て、市長は、年で一番の稼ぎ時なため、海岸の封鎖を中止するようにブロディを説得しようとしました。医師も、死因は船のスクリューと意見を変えてしまいました。
  

3)少年が犠牲に

浜辺では多くの人々が平和に海水浴をしています。ブロディ署長は、不安な様子で監視をしました。ゴムボートで遊んでいる少年に、海の中から何者から近づき、足に噛みつました。真っ赤な血が海面に広がりました。

少年の母親がサメ退治に3,000ドルを賞金として出すと発表。ヴォーン市長(マーレイ・ハミルトン)やブロディを含めた多くの人々が、市庁舎に集まります。浜辺を閉鎖すると発表するブロディに、議論は紛糾すします。その時、1万ドルと引き換えにサメを退治してみせると、サム・クイント(ロバート・ショウ)が名乗りを上げました。

 

4)桟橋を破壊するほどの力

本でサメの恐ろしさを学ぶブロディは、岸辺のボートで遊ぶ息子たちを呼び戻しました。一方で、3,000ドルの賞金目当てに、2人の男がサメを捕まえようと桟橋にやって来ました。

鎖の先の大きな針の先に巨大な肉をつけ、海に沈めると、鎖が引っ張られましたが、あまりの力の強さに、鎖を結びつけた桟橋の一部が壊れ、片方の男ともども海の中に引っ張られましたが、なんとか途中で、脱出して泳いで岸に戻りました。
  

5)サメを捕獲する

桟橋には、賞金目当てでサメを退治しようとする多くの男たちが、ボートで海に繰り出しています。ブロディは対応に追われているところに、海洋学者のマット・フーパー(リチャード・ドレイファス)が到着しました。

クリッシーの遺体を調べたフーパーは、遺体の状況から、死因はサメの襲撃と断言します。サメ退治に海に出た男たちが、サメを捕まえて戻ってきて、町民や市長は大喜びですが、サメの口が小さすぎるため、クリッシーや少年を襲ったのとは別のサメであると、フーパーは指摘します。

1日では消化されないため、胃の内容物を調査することをフーパーは求めますが、市長は難色を示します。そこに、サメに食べられた少年の母親がやって来て、ブロディの頬を張りました。「クリッシーが犠牲になったことを公表せずに、息子を殺した」とブロディを責めました。
  

6)人間を襲ったサメは別にいる

ブロディは夕食後のテーブルでも考え込んでいました。そこにフーパーが訪ねてきます。エレンも加わり、3人でサメの話をしました。サメはエサがある場所から離れないため、犠牲者が増える可能性があることなどを話します。ブロディとフーパーは、捕まえたサメの胃の内容物を調べに行くことにしました。

サメの腹を切り裂いてみると、中からは魚や車のナンバープレートなどが出て来るが、人間の肉体はありませんでした。
  

7)海中での調査

夜にもかかわらず、ブロディとフーパーは、探査機器を満載したフーパーのボートで、海を調査することにしました。船が苦手なブロディは、ワインボトルを片手に船に乗っています。

ソナーに気になる反応を見つけ、船を向けると、そこには、なぜか漁師のベンの船が浮かんでいました。フーパーが調査のために潜水しました。船の穴の空いた部分に、巨大な歯を見つけたフーパーですが、別の穴からベンの死体が顔を出し、驚いたフーパーは歯を落としてしまいます。

翌日、ブロディとフーパーは、ホオジロザメの危険性をヴォーン市長に説明し、海開きの延期を訴えます。巨大な歯を落としてしまい証拠がないため、稼ぎ時の海開きの延期を市長は認めませんでした。
  

8)海開き

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多くの観光客たちがアミティ島にやって来きました。ブロディやフーパーは監視員の増員を手配し、海上には多くの監視ボートが浮かび、ヘリも飛んでいいます。砂浜には多くの人々が日光浴をしていますが、物々しい雰囲気になりました。海に入るのをためらっている、その様子を見た市長は、知り合いの家族に頼んで、海に入ってもらい、他の人たちも次々に海に入っていきます。

友人たちと海で遊ぼうとする息子マイケルの姿を見つけたブロディは、入り江で遊ぶように言いました。海の中にサメの背びれの姿が見え、監視員たちが笛を吹き、一目散に浜に向かう人々で、海は大混乱になりましたが、背びれは2人の子どものいたずらでした。
  

9)入り江で男が犠牲に

入り江にサメの背びれを見た女性が大声を上げました。ブロディはいそいで入り江に向かいました。入り江にはブロディの息子マイケルが、友人たちとボートに乗って遊んでおり、近くには別のボートに乗った男もいました。

サメがボートにぶつかり、マイケルたちと男の乗るボートは転覆して、サメは男の足に食いつき、海に引きずり込みました。マイケルは無事に浜辺に引き上げられましたが、意識がありません、マイケルは病院に運ばれ、無事を確認されました。

病院内にヴォーン市長の姿を見つけたブロディは、サメを退治するために、クイントを雇う契約書にサインをさせました。
  

10)クイントにサメ退治を依頼

クイントの住む小屋で、クイントはブロディから提示された契約を受け入れました。同船したいと申し出るフーパーだが、クイントはフーパーをヤワな男として扱い、1人で行くと主張しますが、ブロディの説得で、クイントはブロディとフーパーの同船を認めましたが、「船長は自分」と宣言するのでした。

クイントの船にフーパーが運び込む機材の中には、潜水した時にサメから身を守るためのオリもありました。クイント船長の「オルカ号」が出港します。

 

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11)巨大な姿を現すサメ

サメをおびき寄せるためにエサをまくと、クイントが垂らした釣り糸に反応し、リールが凄まじい勢いで引っ張られました。クイントはサメと駆け引きしますが、フーパーは反応からサメではないと主張します。

結局はリールが切れてしまい、正体はわかりませんでした。再びエサをまくブロディの前に、巨大なサメが一瞬だけ頭を見せました。あまりの大きさに驚愕しながら、ブロディはクイントに報告します。

船に近づいたサメに、クイントはモリを撃ち込みました。モリにはタルが結びつけられており、タルの浮力でサメが浮かび上がる算段です。サメはタルと一緒に海中に沈み、3人はサメが浮かび上がるのを待ちました。

 

12)クイントの忌まわしきサメの記憶

夜、サメの浮上を待つ間に、クイントとフーパーは傷自慢を始めました。そのうち、第二次大戦時のクイントの話になりました。乗っていた巡洋艦が沈められて、海に投げ出された1100人の兵士のうち、生存した316人の1人がクイントだったのだというのです。

死んだ兵士たちの多くは、サメに食べられたのでした。暗い雰囲気になりますが、3人は歌を歌って陽気な雰囲気を取り戻しました。そうするうちに、船にサメが体当たりをして、船は浸水します。3人は戦闘態勢に戻り、ブロディは浮かび上がったタルに目がけてやみくもに銃を撃ちました。


13)タルの浮力を上回るサメの力

翌日、船の修理をしている3人の前に、タルが浮かび上がります。タルを引き上げようとすると、巨大なサメが一瞬だけ姿を表しました。怖気づいたブロディは無線で助けを求めようとしますが、クイントがバットで無線機を破壊してしまいました。
サメが船に近づき、クイントは、再びタルのついたモリをサメに撃ち込みました。船の出力を上げてサメを追い、別のモリを撃ち込ます。タルが浮かび上がり、タルに結びついたロープを船に固定すますが、サメの力が強すぎて、船がサメに引っ張られてしまいます。船が破壊されてしまいそうになり、クイントはタルを固定していたロープを切り離しました。
  

14)フーパーがオリに入ってサメと対決

サメは、船に体当たりをしてきます。浅瀬におびき寄せることにし、船は全速力で陸地に向かいました。サメは船を追ます。船は、速度を上げすぎたためにエンジンが故障し、浸水して傾いた状態のまま、海上で動けなくなってしまいます。

選択肢がなくなり、フーパーがオリに入った状態で潜り、毒薬をサメに注射する作戦を実行することになりました。潜ったフーパーにサメが近づき、体当たりを食らわせます。オリは壊れ、フーパーは逃げ出して海底に隠れることになりました。
  

15)クイントとサメの最期

サメが姿を現し、船に乗り上げます。重さで傾く船。滑り落ちたクイントにサメが食いつきました。絶叫するクイントを噛み殺したサメは、クイントの死体ごと海に潜っていました。

船が沈みゆくなか、1人となってしまったブロディをサメが襲ってきます。ブロディが、近くにあった圧縮空気のボンベをサメの口の中に投げ込むと、サメは遠ざかっていきました。沈みゆく船のマストに上ったブロディは、再び襲ってきたサメとモリで戦います。いったん遠ざかったサメが、再び近づいてくるところへ、ブロディは、口の中にあるボンベを狙ってライフルを撃ちこみました。弾がボンベに命中し大爆発を起こし、サメの肉片が空中に飛び散りました。

疲れ切って浮かんでいるブロディの近くに、海底に逃れていたフーパーがやって来ました。2人はタルをウキにして、バタ足でアミティ島へと戻っていくのでした。

 

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6.ニュージャージーサメ襲撃事件

本作の原作の元になった事件がありました。

 

1)大西洋湾岸での襲撃事件

1916年7月1日、ニュージャージー州のリゾート地の海岸で、遊泳中の男性がサメに襲われて死亡します。しかし、当時の海洋生物学者の間ではサメが人を襲うものとの認識はありません、人を襲う可能性があるホオジロザメは、北半球の冷たい海には住めないと考えられていたので、サメではなく他の生物が原因ではないかと学者は主張しました。

それから5日後の7月6日。40マイル(約64キロメートル)離れた海岸で、今度はホテルの従業員が泳いでいたところをサメに襲われました。ライフガードがすぐに助けだしたが、その従業員は両足を喰いちぎられていて、まもなく死亡しました。

この事件では足を失った彼を多くの人が目撃し、新聞が大々的に報じたことから、海水浴客が訪れなくなり、現地の観光産業は大きな打撃を受けることになりました。

2)マタワン川での襲撃事件

2人目の犠牲者が出てから6日後の7月12日に、今度は海でなく淡水の川にサメが現れて人を襲いました。

2回目の襲撃現場から30マイルほど(約48キロメートル)北にあるラリタン湾にそそぐマタワン川の河口から16マイル(約26キロメートル)遡った上流の桟橋で、近所の少年達が泳いで遊んでいたところ、突然、1人の少年が水中に沈み、水面は渦を巻き血で赤く染まっていきました。

残りの少年達は陸に上がり、「サメに襲われた」と大人達を助けを求めました。現場に駆けつけた中から大人が数人水に入り、少年を捜索したが水が濁って見つかりません。いったん上がろうとしますが、捜索に加わった一人スタンレー・フィッシャーが最後にもう一度確認しようと深く潜ると、川底でサメが少年をくわえているのを発見しました。

フィッシャーは勇敢にもサメに殴りかかり少年を離させることに成功しましたが、今度は自身がサメに襲われ足を噛まれました。フィッシャーは桟橋から他の大人によって救出されましたが重傷を負い出血が酷く、車では揺れて危険だからと鉄道で50キロメートル離れた病院に運んだものの治療のかいなく死亡しました。

4人目が襲われた直後、近くで騒ぎを知らず泳いでいた少年にもサメは襲いかかり、1人の足に大怪我をさせています。少年は一時足の切断は免れないと思われたが、奇跡的に回復しました。最初に襲われた少年の遺体は後日発見されました。

2人の死者と1人の重傷者を出したマタワンの住人は怒りと復讐心に沸き立ち、サメに懸賞金をかけ、連日ダイナマイトを川に投げ込むなどしてサメを捜索しましたが、見つかることはありませんでした。

 

3)サメの捕獲

マタワンの襲撃から2日後の7月14日。海上で漁をしていた剥製業者の船の網に、2.5mほどのホオジロザメがかかりました。殺して持ち帰り、剥製業者がサメの胃を裂くと、中から人間の骨と思われるものが出てきました。

このことから、このホオジロザメが一連の襲撃事件の犯人であるとされ、騒動は終息することになりました。このサメが1匹で4人を死亡させ、1人に重傷を負わせたのかどうかは不明ですが、捕獲以降、人間が襲われることは無くなりました。

ただし、マタワン川で3人を襲ったサメは、淡水域でも生息できるオオメジロザメではないかという意見もあり、実際にオオメジロザメも人を襲うことがあるそうです。

 

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7.まとめ

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よく作家はデビュー作は超えられない、と言うますが、スピルバーグは、技術的な完成度はどんどん上達していき、『カラーパープル』とか『シンドラーのリスト』とかの文芸的な作品や、その後のジャンルを問わないヒット作が、涸れることのない泉のように産れてきます。

自分の生きている間にスピルバーグがいることことに今更ながら感謝します。