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映画『パットン大戦車軍団』猛将パットンを描いた戦争大作映画です!!

この映画『パットン大戦車軍団(Patton)』は、第二次世界大戦中のアメリカ軍のジョージ・パットン将軍を描いた1970年公開の伝記映画です。監督フランクリン・J・シャフナー、脚本フランシス・フォード・コッポラで、ジョージ・C・スコットが主演です。

目次

 

 

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1.概要

1)制作

パットンの生涯を映画化する動きは1953年に始まり数回行われています。しかしながら、パットン家はプロデューサーその他から映画制作への協力を申し込まれましたが、一家を訪問したのはパットンの未亡人のビアトリス・エール・パットンの葬儀の直後で、その後家族は映画に対し頑なになって、映画化への協力を拒絶しました。

家族からの協力を得られなかったフランシス・フォード・コッポラエドマンド・H・ノースは、「Patton: Ordeal and Triumph」(ラディスラス・ファラーゴ)「A Soldier's Story」(オマール・ブラッドレー)の2冊の伝記から脚本を制作しました。


2)撮影

ロケーションはスペインやベルギーで行われ当時スペイン陸軍が保有していた戦闘車両(M24軽戦車、M41軽戦車、M48パットン等)がアメリカ軍やドイツ軍のものとして登場しています。


3)冒頭のモノローグ

本作の象徴となっているオープニングの演説は、1944年6月5日にノルマンディー上陸作戦に先立って行われた第3軍に対するパットンの演説を元にした物でしたが、実際のスピーチには多くの不敬表現が含まれており(パットンは平時から言葉遣いの乱暴さで有名でした)、映画ではそのような表現の大部分は排除され、またはより穏やかな表現に置き換えられています。


4)評価と対応

パットンを演じたジョージ・C・スコットはアカデミー最優秀主演男優賞を受賞して、「史上最高の演技の1つ」と賞賛されましが、スコットはオスカーの授賞式を「肉のパレード」と呼んで受賞を拒否しました。
2003年にはアメリカ議会図書館が「文化的に重要である」として、アメリカ国立フィルム登録簿に同作を登録しました。


2.ストーリー

1)アフリカ戦線で

第二次世界大戦の真っ最中の1943年2月、北アフリカ戦線に派兵されたロイド・フレデンドール少将率いるアメリカ軍の第2機甲兵団は、エルヴィン・ロンメル将軍(カール・ミヒャエル・フォーグラー)率いるドイツ軍に苦戦を強いられていました。

 

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士気の下がった第2機甲兵団の立て直しを命ぜられたオマール・ブラッドリー少将(カール・マルデン)は、モロッコでの“トーチ作戦”に参戦していた稀代の名将ジョージ・S・パットン将軍(ジョージ・C・スコット)を呼び寄せました。赴任したパットン将軍はブラッドリーを副官に付け、鬼のような猛訓練や徹底した兵士教育で、戦う気の失せた者たちを叩き直しました。


2)アフリカからシシリア、ロンドンへ

1943年3月、ロンメル率いるドイツ軍が進軍しているとの報告を受けたパットンは、チュニジア・エルゲタールでドイツ軍を迎え撃ちました。徹底的に訓練された部隊は見間違える程に生まれ変わっており、見事にロンメル部隊を撃破しました。

 

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この勝利を機に、アメリカ軍はイギリス陸軍のバーナード・モントゴメリー大将(マイケル・ベイツ)と連携、英軍のハロルド・アレキサンダー大将(ジャック・グウィリム)らを抱き込んだパットンは連合軍のシシリア島侵攻作戦における第2兵団司令官に就任しました。

作戦を巡っては強行派のパットンと慎重派のモントゴメリーは対立しましたが、パットンは指令本部の命令を無視して作戦を強行、パレルモを奪取するものの、前線の兵士を気遣うブラッドリーと気性の激しいパットンとの間には溝が生まれていました。

 

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そんなある日、パットンは野戦病院で怖気づいた兵士を殴ったことが問題視されて、パットンは謝罪に追い込まれたあげくに司令官を解任され、前線から外されてコルシカ島やマルタなど各地の視察に回されました。

やがて連合軍はシシリア島からイタリア本土へ上陸し、イタリアを見限ったドイツ軍が連合軍の侵攻への対策を始めるなか、ロンドンに赴任したパットンは、婦人クラブで行われた歓迎パーティーの席上で「世界をリードするのは米英だ」と同盟を組むソ連を無視するような過激な内容のスピーチが物議を醸してしまい、またしてもパットンは窮地に追い込まれました。


3)フランス戦線での反攻

1944年6月6日に、連合軍はノルマンディー上陸作戦を決行しました。囮部隊の指揮を担っていたパットンはアメリカ軍最高司令官に就任していたブラッドリーに呼ばれ、苦境を打破するため第3兵団司令官に任ぜられました。名誉回復の場を与えられたパットンの第3兵団は勇猛果敢に進撃を繰り広げて、見事にドイツ軍を打ち破り作戦の成功に貢献しました。

1944年12月にベルギー・バストーニュに孤立したアメリカ第101空挺師団の救援としてバットン部隊は出撃、雪の中を160km行軍したバットン軍団はドイツ軍と壮絶な死闘の末にバストーニュを解放、後に“バルジの戦い”と呼ばれることになる一連の戦闘でパットンは戦史に残る大戦歴を挙げました。


4)舌禍の失脚

ヒトラーを失ったドイツは遂に降伏し、第二次世界大戦終戦を迎えました。大将に昇進したパットンは相変わらずソ連嫌いを公言して、共和・民主党員はナチスと同じようなものだと暴言を吐き、またしても物議を醸してしまいます。

今まで必死に擁護してくれた連合軍最高司令官アイゼンハワーからも見放されたパットンは第3兵団司令官を解任され、失意のうちに部隊に別れを告げました。


3.みどころ

1)3人の将軍

パットン、ブラッドリー、モントゴメリーの三者三様の将軍のスタイルを本作は描いています。史実に基づくものなのですが、そのような高位の将軍クラスに就く人物の有りがちなパターンが良く表現されています。

本作はパットン将軍が各戦線を転戦しながら、圧倒的な功績を挙げながら、性格的な問題と失言から上級司令部や最高司令官との軋轢を起こします。

史実に基づく伝記映画でありながら、このように普遍性のある物語に仕立てあげたフランシス・コッポラの脚本の力は素晴らしく見事なものです。


2)モノローブ

冒頭の巨大な星条旗の前に立ち短い訓示を述べるシーンだけで、彼がどのような人物で、どのような指揮スタイルであるのかが理解できる見事としか言い様のない導入部がいきなりそれを証明しています。


3)戦闘シーン

序盤のチュニジア・エルゲタールの闘いや、冬のバルジの戦いのシーンは、本家『バルジ大作戦』より出来が良いほどなのですが、台数はともかく本物の戦車が使えなかったのが残念です。

 

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4.まとめ

ジョージ・パットン、これほどの激戦地のど真ん中で生き延び続けたにも関わらず、激闘の相手のナチスを擁護したことで更迭され、その途上まさかの自動車事故で命を落とすことになります。劇中でパットンが語った、「理想的な死に方は、最後の戦場で最後の弾を受けて死ぬこと」という台詞がなんとも皮肉に聞こえます。