映画『真昼の死闘』クリント・イーストウッドのハリウッド版マカロニ・ウエスタンです!!
この映画『真昼の死闘(Two Mules for Sister Sara)』は、1970年制作のアメリカ合衆国の西部劇映画です。
クリント・イーストウッドが主演したハリウッド映画ですが、フランス占領下のメキシコを舞台としており、西部劇というよりはマカロニ・ウェスタンの色合いを感じさせる作品です。
特に冒頭の立ち上がりなんぞは、エンニオ・モリコーネの音楽も相まってまんまマカロニ・ウエスタンです。
監督のドン・シーゲルとはこの後、『ダーティハリー』でもコンビを組み、師弟関係ともいえる間柄となります。
目次
1.ストーリー
1)プロローグ
メキシコ北部、3人の悪党が、半裸の女性(シャーリー・マクレーン)に暴行しようとしていましたが、通りがかった流れ者のホーガン(クリント・イーストウッド)が彼女を助けました。ホーガンは女性が尼僧だと知り驚くが、彼女は、自分を襲った悪党を埋葬しようとします。
貴重な水を悪党の墓にばら撒く尼僧サラにホーガンは呆れてしまい、彼女に別れを告げて立ち去ろうとしました。
そこにフランス軍が近づき、ホーガンは彼らと行動を共にするようサラに伝えますが、メキシコ軍の資金集めに手を貸したというサラが、フランス軍に捕まることを恐れたため、ホーガンは仕方なく彼女を助けることになりました。
2)尼僧サラ
サラが埋めた死体を掘り起こしたホーガンは、それを馬に乗せて放ち、足跡を深くつけてフランス軍に追わせようとします。
廃墟に隠れた二人は、追ってきたフランス兵が引き払ったためその場で過ごすことになりました。
メキシコを植民地にしようとするフランスに抵抗する、ゲリラに加勢するホーガンは、チワワのフランス軍の撃滅で多額の報奨金を手に入れようとしていました。
ホーガンは、チワワに暮らしていたためその場に詳しいサラに協力を求めました。
しかしサラは、ホーガンの捨てたタバコを木陰でふかし、何かを企んでいたのでした。ホーガンも、美人でスタイルもいいサラが尼僧であることが信じられず、彼女が修行に入る前に会いたかったと本心を語るのでした。
3)列車襲撃
野宿をした二人は、逃げて来た者達から、フランス軍がサンタマリア行きの列車を待っていたことを聞き出しました。
その理由を調べるため、フランス軍が駐留する村に向かったサラは、重病の大佐に祈りを捧げて欲しいと頼まれれました。
大佐を知っていたサラは、祈る間に目覚めた彼に気づかれてしまいます。しかし、大佐が息を引き取ったために、サラは正体がバレずにホーガンの元に戻りました。
殺される可能性もあったサラは動揺しながら、サンタマリア行きの列車には、武器弾薬が積み込まれることをホーガンに知らせました。
列車を爆破するために出発したホーガンとサラでしたが、彼は先住民の矢を受けてしまいます。サラは十字架をかざして先住民を追い払い、ホーガンの傷の手当てをすることになりました。
ホーガンの指示で、サラは火薬を使い矢の傷口を焼き、二人は列車の通る橋に向かいます。
橋げたにダイナマイトを仕掛けたサラは、矢の治療の際に飲んだ大量の酒で銃の狙いが定まらないホーガンを殴って渇を入れ、見事に橋を爆破して列車は大破し、ホーガンとサラは先を急ぐのでした。
4)化けの皮
ゲリラのベルトラン大佐(マノロ・ファブレガス)を捜したホーガンは、山に潜む大佐のキャンプに向かいます。
サラはホーガンに秘密を話そうとするものの、その機会を逃してしまいます。
その後、サラはサンタマリアで寄付を集め、ホーガンはそれでダイナマイトを手に入れことになりました。
ホーガンとサラは、ベルトラン大佐や部下と共に、7月14日の革命記念日を祝おうとするフランス軍の砦に向かいますが、酔っているはずの兵士達は皆シラフで、予定変更し、ホーガンと大佐は、サラから秘密の地下道があることを知らされました。
その入り口があるサラの知人の家に向かったホーガンは、そこが売春宿であり、彼女が実は娼婦だったということが分かりました。騙されていたホーガンは憤慨するものの、サラに圧倒されて地下道に急ぎました。
5)戦闘開始
ベルトラン大佐と入念に計画を立てたホーガンは、サラにキスをして、牧場主に扮し砦に向かいます。
ホーガンはサラをゲリラだと偽り、フランス軍のレクレール将軍(アルベルト・モリン)に引き渡し、サラを投獄するときに秘密の地下道から牢獄に入ったゲリラを導き入れる計画です。
村人がダイナマイトを隠したピニャータを運んで近づき、それを使って一気に攻撃を仕掛けようとします。それが点火された直後にホーガンは銃を抜き将軍らを射殺しました。
ピニャータは爆発し、ベルトラン大佐の号令でゲリラが砦に突入し、ホーガンらは大量のダイナマイトを使いフランス軍を倒しました。
6)エピローグ
金庫を手に入れたホーガンは、入浴中のサラの部屋に待ちかねて押し入り、浴槽に飛び込み彼女と愛し合うのでした。
そして、ホーガンと修道着を脱いだサラは連れ立って旅を続けるのでした。
2.四方山話
1)クレジット順
大スターへの道が見えるクリント・イーストウッドですが、さすがにこの時代はシャーリー・マクレーンの方が格が上で、クレジットも彼女が先になっています。ちなみに、年齢はクリント・イーストウッドが4歳年上でした。
2)貫禄
皮肉混じりのジョークを飛ばすタフガイ役のイーストウッドは、線は細いもののふてぶてしく頑強で、シャーリー・マクレーンの変幻自在の演技にも全く臆することなく貫禄さえ感じます。
3)師弟関係
『マンハッタン無宿』(1968年)で初めて組んだドン・シーゲルとイーストウッドの相性の良さは決定的となり、翌年の『白い肌の異常な夜』(1971年)、『ダーティハリー』(1971年)と、いよいよ名コンビの活躍が始まります。
4)監督ドン・シーゲル
作風・演出は、感傷的な描写を廃した、暴力的な作品が多く、これは彼が演出家として育った、1950年代ハリウッドB級映画という環境の特色とも言えるでしょう。
すなわち、B級映画の低予算早撮りという製作環境の中で、シーゲルは職人的な演出を会得していきました。
彼は脚本段階から入念な打合せを繰り返して作品のイメージを固め、現場での撮影では無駄なショットを一切撮ることが無いという、ヒッチコックと同じような演出スタイルで作品を撮り続けました。
この効率的な演出にじかに接して感銘を受けたイーストウッドは、現在に至るまでこの方法を実践しているそうです。
5)マカロニ繋がり
イタリア時代の盟友エンニオ・モリコーネに音楽を担当させたのは、イーストウッドの口添えがあったのでしょう。
3.まとめ
まさに、マカロニ・ウエスタン風ハリウッドB級映画です。
イタリアでのドル箱三部作のまんまのクリント・イーストウッドと、シャーリー・マクレーンの尼僧姿がすっごくキュートで文句なしに楽しませてくれました。