映画「荒野の用心棒」マカロニ・ウエスタン・ブームの起爆剤となりました!!
1963年公開、名匠セルジオ・レオーネとクリント・イーストウッドの出世作となりました。いわゆる黒澤明監督作品「用心棒」の非公式リメイクとソフトないい方もしていますが、要はほとんどパクリです。
とはいえ、注目はクリント・イーストウッドで、そのカッコ良さは、長身、ゲジ眉、タレ目、くわえタバコという渋い顔ひとつで勝負できてるのはすごいことです。おまけに唯一の弱点である鼻の下のホクロが髭で隠れていて完璧でした。
1961年に黒澤明監督が「用心棒」を発表してから3年後の1964年に公開されたのが、この「荒野の用心棒」です。これがヒットもせずに、適当に興行を終えて、ただ消えていけば全く問題にはならなかったのでしょうが、意外なことに、マカロニ・ウェスタンを代表する作品になってしまったために盗作が表沙汰になってしまいました。
結局東宝側に訴えられてしまい、レオーネ側は敗訴しました。監督名義をボブ・ロバートソンとして偽名を使い、盗作であることを認めているようなものであり、セルジオ・レオーネ監督のキャリアの汚点でもありました。
レオーネ側は、裁判の結果を受けて黒澤プロにアジアでの配給権と全世界における興行収入の15%を支払うことになりました。
「荒野の用心棒」は低予算での製作ながら本国イタリアのみならず世界的に大ヒットし、1960年代後半のマカロニ・ウェスタンブームの火付け役となりました。
「荒野の用心棒」の成功で、イタリア映画界はその後、ヨーロッパ全土でマカロニ・ウェスタンを量産、フランコ・ネロ、ジュリアーノ・ジェンマをスターダムに押し上げ、またレオーネ自身もすぐに新作に取り掛かることになりました。
レオーネ監督が「荒野の用心棒」の次に発表した作品が、1965年製作の「夕陽のガンマン」であり、前作同様大ヒットを記録し、この映画でレオーネは独自の演出スタイルを確立して名実共にマカロニ・ウェスタンの巨匠と称されるようになりました。
次いで、レオーネはこれら2作品の興行的成功で実力を認められた1966年に20万ドルの予算を費やして大作「続・夕陽のガンマン」を監督します。「荒野の用心棒」から「夕陽のガンマン」「続・夕陽のガンマン」までのクリント・イーストウッド主演の三作品は、「ドル箱三部作」と呼ばれました。
そして、ついに「荒野の用心棒」は1967年に西部劇の本家アメリカで公開されることになりました。
のちに「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」などの素晴らしい作品を残したほど才能のあるレオーネ監督が何故これまでのリメイクをしたのかは明らかではありませんが、彼の作品中でも代表作のひとつになっているのは面はゆいことでしょう。
黒澤作品をあまりにリスペクトした故のオマージュ作品という都合のいい言い訳が成り立って、これもアリといわせてしまいそうです。それにしてもここまでやるか感満載なのは、かえって敬服してしまいます。
パクリだらけで、いちいち何処がパクリだと指摘するのも面倒なくらいで、オリジナリティーは、三船敏郎からクリント・イーストウッドに主演俳優が変わったこと、日本刀が拳銃に変わったことくらいですね。
黒澤作品が西部劇にリメイクされたものには「荒野の七人」とこの「荒野の用心棒」がありますが、作品の質という点では「荒野の用心棒」の方が優れているでしょう。
オール・スター・キャストによる「荒野の七人」は制作費は掛かっているのでしょうが、役者のキャラに頼りきっていて、原作の良さがあまり活かされてはいないようです。
「荒野の用心棒」はパクリということもあるのですが、リスペクト感もあって質としても「荒野の七人」よりは優れています。
アメリカテレビ西部劇「ローハイド」後、未完で鬱勃としたクリント・イーストウッドと、すでに地位を築いた大物俳優達の満ち足りた意識との差で、見せたいところが両者では全く違ったものだったのでしょう。
クリント・イーストウッドは「ドル箱三部作」の後、アメリカに戻り「奴らを高く吊るせ!」「マンハッタン無宿」「ダーティー・ハリー」とスター街道を駆け上りました。