凸凹玉手箱

A Post-Baiby Boomer

映画「セッション」かなりえげつない映画です!?

観る人の趣味・経験によって極めて様々な観方があるような映画です。この映画を観た人を3つのグループに分けてみました。

 

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第1のグループは、全く音楽に興味のない人、ジャズなんかとんでもない無関心。

第2のグループは、吹奏楽・バンドをまあまあかじった人、解ってるような顔ができる。

第3のグループは、プロもしくはセミプロのバンドマンに近い人、マニアックなジャズファン。

こんなところでしょうか?

 

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第1グループの人は、先ごろ起こった、日野皓正の中学生ドラマー殴打事件を思い浮かべ、今はやりのスパルタ、しごき指導の批判にはしります。

 

第2グループの人は、練習風景や、演奏の緊張感を膝を打って理解でき、指揮者のテレンス・フレッチャー( J・K・シモンズ)と学生のドラマー、アンドリュー・ニーマン(マイルズ・テラー)との関係も理解できますが、そこここにやりすぎ感を感じてしまいます。

 

第3グループの人は、憎く憎くしげなフレッチャーと彼に食らいつくニーマンに自分の青春時代を思い浮かべたりもするでしょう。

 

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ヤフー映画のユーザーレビューで秀逸なのがありました。感服して紹介させていただきます。

 

これほどまでに打ち込めるものがあることの充実感や外野から見たら狂気じみている行動や精神は当時者になって見ないとわからないのだろうなという、うらやましい思いもある。この指導者についていけるのは選ばれた才能ある者ではなく、戦える者。ひたすら戦える者でなくてはいけないのが、つらくなる瞬間があります。

(中略)

この映画の指導者も結局は戦うことでしか、自分を表現できない人間なのだと感じさせられます。指導者ではなく同類を探す強者を演じる弱者。だからこそラストの演奏のシーン。共鳴している気持ち悪さ。気持ち良さ。どんな最後をむかえるにしてもやり遂げなければならない2人の不器用さがなんとも…

 

この映画の真の価値を肌身で感じられるのは、おそらく第3グループの人達だけでしょう。それでも、第2グループ以下の人たちは、ニーマンの飛び散る汗と血、フレッチャーの鬼の形相から感情のままに変化する表情で繰り広げられる半端ないエンディングの大演壇に感動します。