凸凹玉手箱

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映画『南極物語』感動の動物映画といえばこれでしょう!!

この映画『南極物語』は、監督蔵原惟繕で、主演高倉健、共演渡瀬恒彦南極観測隊の苦難と苦悩、南極に取り残されたそり犬たちの様子を描いた1983年の日本映画です。

目次

 

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1.紹介

南極大陸に残されたタロとジロの兄弟犬と越冬隊員が1年後に再会する実話を元に創作を交え、北極ロケを中心に少人数での南極ロケも実施して、撮影期間3年余をかけ描いた大作映画でです。

1971年の『暁の挑戦』以来、フジテレビが久しぶりに企画製作、学習研究社が半分の製作費を出資して共同製作し、日本ヘラルド映画東宝が配給しました。

フジサンケイグループの大々的な宣伝に加えて、少年、青年、成人、家庭向けの計4部門の文部省特選作品となり、映画館のない地域でもPTAや教育委員会がホール上映を行い、当時の日本映画の興行成績新記録となる空前の大ヒット作品となりました。


2.ストーリー

1)プロローグ

昭和32年1月、第1次南極観測隊員を乗せた海上保安庁観測船「宗谷」は、暴風圏を越え、南極に近づきます。その後に、オングル島にある昭和基地で、11名の第1次越冬隊員とメス犬1頭を含めた19頭の樺太犬が、翌年の本観測を成功させるため、越冬生活を送ることになります。

隊員の潮田暁(高倉健)と越智建二郎(渡瀬恒彦)は、ここで犬係を任され、樺太犬たちの世話をしています。潮田と越智は、犬たちに深い愛情を持っていましたが、過酷な自然の中で彼らが生き抜いていけるよう、厳しい躾を心がけていました。

特に越智の方は、潮田が「鬼の訓練士」と呼ぶほど、犬に対して厳しく、しかしながら、それも犬たちに強くなって欲しいという願いからでした。

 

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2)ボツンヌーテン遠征

第1次越冬隊の隊長小沢大(岡田英次)は、南極へ来たからにはどうしてもボツンヌーテンへ行きたいと思っていました。

ボツンヌーテンは、昭和基地から陸路で約200キロ離れた岩山で、通常なら雪上車で移動します。しかし、雪上車の調子が悪かったため、15頭の樺太犬が引く犬ぞりで向かうことになりました。

犬が引ける重量には制限があるため、犬ぞり隊は3名に厳選されました。潮田は地質調査と犬ぞり係、越智は気象観測と犬ぞり係を兼任し、登山経験豊富な尾崎勇造医師(金井進二)と共に、昭和32年10月16日、ボツヌーテンを目指して基地を出発しました。

犬ぞり隊は、オングル島から氷で繋がった南極大陸に入り、険しい道のりを進みます。潮田と越智は、常に犬たちの様子を観察し、調子の悪そうな犬には無理をさせないよう配慮します。そうして苦労しながらボツヌーテンに到着し、3人は目的地に日の丸を立てました。

 

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3)遭難の危機

ボツヌーテンからの帰路、ホワイトアウトの状態が続いて、3人は雪目(強い紫外線を長時間浴びることで角膜が傷つく)になってしまいます。ほぼ視覚を失った3人は、正確な進路がわからず、遭難寸前の状態になりまあした。

重量制限で無線機を積んでいなかったため、助けを呼ぶこともできません。そこで越智は、昭和基地で生まれ育ったタロとジロの兄弟犬を犬ぞりから離し、基地まで行かせてみようと提案します。

2人もこれに賛成し、タロとジロの鎖が外されました。2頭は無事に基地へ到着し、犬ぞり隊が遭難した場所まで雪上車を連れてきました。そのおかげで、犬ぞり隊は無事に帰還することができたのです。


4)第2次越冬隊到着せず

昭和32年12月末、第1次越冬隊と交代するため、第2次越冬隊は宗谷で南極に向かっていました。しかし、氷塊に突入したところで悪天候に阻まれ、2月にはアメリカ海軍籍の砕氷艦バートン・アイランド号に援護を求めます。

この年の南極の気象条件は非常に厳しく、バートン号も立ち往生することを危惧していました。

昭和基地の第1次越冬隊は、第2次越冬隊と交代する準備を進めていました。そんなある日、空輸用の小型飛行機が基地に着陸し、今日中に第1次越冬隊の引き揚げ作業を完了するよう命令が下ったことを告げました。

空輸が可能な晴天の日が今日しかないらしいのです。小型飛行機は3名ずつ隊員を乗せ、ピストン輸送を開始します。潮田と越智は急いで犬たちに餌をやり、お別れを済ませました。

犬たちは、すぐに第2次越冬隊に託されることになっていたので、首輪と鎖で繋留場に繋がれていました。

宗谷に到着した潮田と越智は、第2次越冬隊の犬係に犬たちの詳細な資料を渡して、細かい注意点などを伝えておきます。第2次越冬隊の犬係2名も、犬たちに会えるのを楽しみにしていました。

ところが、天候回復の見込みが立たず、第2次越冬を諦めざるを得ない状況になりました。宗谷の岩切竜雄船長(山村聡)も、第2次越冬隊を送るために精一杯の作業をしましたが、飲料水や燃料がギリギリの状態になってしまいます。

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やむなく船長は、第2次越冬の断念と宗谷の帰国を決断します。潮田と越智は隊長の所へ行き、犬を救うために飛行機を飛ばして欲しいと訴えますが、燃料不足と悪天候のため、それも叶いませんでした。潮田と越智は、鎖に繋がれたまま放置される犬たちのことを思い、言葉を失いました。


5)鎖に繋がれた犬たち

昭和基地に取り残された犬たちは、空腹と寒さに耐えながら、人間が戻ってくるのを待っていました。しかし、いくら鳴いても誰も戻ってきてくれず、時間ばかりが過ぎていきます。

そんな中、最初にアンコという犬が鎖を切り、体の自由を確保します。その後、ジャック、リーダー犬のリキ、ジロとシロが首輪を抜け、自由の身となります。

5頭は餌を求めて基地を離れ、大陸方面に向かいます。その後、風連のクマとタロも首輪を抜け、5頭の後を追いました。最後に鎖を切ることに成功したデリーも7頭と合流することができましたが、鎖に繋がれたままの7頭は、その場で餓死してしまいました。


6)帰国後の犬担当者

初夏、日本に戻った潮田は、北海道大学の地質学研究所を辞め、樺太犬の提供者に謝罪する旅に出ました。日本では、南極に犬を置き去りにしてきたことへの非難の声が高まっていました。潮田は一切の弁解をせず、心ない誹謗中傷に耐えていました。

京都大学の地球物理学研究室の研究員をしている越智は、恋人の北沢慶子(夏目雅子)に支えられ、以前の日常を取り戻しつつありました。

しかし、内心は置き去りにしてきた犬たちのことが忘れられず、良心の呵責に苦しんでいます。慶子はそんな越智のことを気遣い、南極の話はしないように努めていました。

稚内へ向かった潮田は、樺太犬研究所で育てた犬を提供者に渡し、犬を連れて帰れなかったことを詫びました。ほとんどの提供者は潮田の謝罪を受け入れてくれましたが、リーダー犬のリキの飼い主だった志村麻子(荻野目慶子)とその妹は、潮田に対して辛辣でした。

まだ幼い妹は、代わりの犬を潮田に突き返し、どうしてリキを捨ててきたのかと潮田を責めます。姉の麻子も、リキの代わりなどいないと思っていました。

稚内で行われた樺太犬の慰霊祭の日に、越智が潮田の前に姿を現します。越智は犬のことを忘れようとしてきたが、結局、忘れることなどできませんでした。潮田と越智は、もしかしたら何頭かは生きているのではないかと語り合うのでした。

 

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7)生きる

南極で自由の身になった8頭は、行動を共にして生き延びていましたが、デリーは氷の割れ目に落ちて死んでしまいます。リキは人間の痕跡を求めてボツンヌーテン方面へ移動を開始し、それにタロ、ジロ、アンコ、シロ、ジャックが従い、群れを嫌う風連のクマは、6頭と離れて単独行動をしました。

移動の途中、オーロラに怯えたジャックが姿を消してしまい、リキの群れは5頭になります。ボツンヌーテンに到着後に、高所から転落して怪我をしたシロは、潮田たちとキャンプしたクジラの死体がある場所で、静かに息を引きりました。

リキ、アンコ、タロ、ジロの4頭は、大陸から氷塊へと移動し、何とか生き延びていました。厳しい冬が終わる頃、4頭は流氷の間からシャチに襲われ、身をもってタロとジロを守ったリキが怪我をします。流氷に乗ってしまったアンコは、大陸方面へ流されていきました。

リキは最後まで仲間のことを気遣い、タロとジロにアザラシの死体がある場所を教えた後、ついに力尽きてしまいました。


8)それぞれの生

日本では、麻子が潮田を訪ねてきて、代わりの犬を飼いたいと申し出てくれました。潮田は、麻子たちに渡そうと思っていた犬にリキという名前をつけていたのです。麻子は、南極でもリキは生きているのではないかと思っていました。

犬を安楽死させるべきだったと思っていた潮田は、自分の考えが間違っていたことに気づきます。潮田は、命を奪う権利は誰にもないのだと思うようになっていたのでした。

2頭になったタロとジロは、生まれ故郷の基地周辺へ戻ります。2頭はリキに教えてもらった狩りをして、たくましく生き延びていました。

そこへ、風連のクマがアンコを連れて帰ってきます。流氷で流されたアンコは、沿岸部で風連のクマに救われていたのです。しばらくは4頭で行動していましたが、アンコは狩りの途中で海に落ち、死んでしまいました。

風連のクマも再び大陸方面へ姿を消し、そのまま戻ってきませんでした。


9)エピローグ

日本では、第3次越冬隊の南極行きが決まり、潮田と麻子に背中を押された越智は、再びメンバーに参加します。

宗谷からヘリで昭和基地へ向かっていた潮田と越智は、上空からジャックの死体を確認しました。その後、基地の繋留場で雪に埋もれた犬の死体を確認していた潮田は、犬の遠吠えを聞いたような気がしました。

まさかと思って向こうを見ると、遠くに2頭の犬が姿を現します。越智は、それがタロとジロの兄弟犬であることに気づき、潮田と共に走り出します。タロとジロはしばらく警戒して動きませんでしたが、潮田が大声で呼びかけると、尻尾を振りながら、こちらへ走ってました。潮田と越智は健気に生き抜いたタロとジロを抱きしめ、感動の涙を流すのでした。

 

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3.四方山話

1)実際の再会の時

1959年1月、昭和基地に到着した隊員たちは驚きの声を上げました。鎖から離れ、極寒の地で2匹が生き延びていたのです。

どの犬なのか、当時の犬係りの北村泰一は分からず、残した犬の名を順に呼びますが反応がありません。1年前はまだ幼かったタロとジロの名が残りました。

「タロ」。そう声を掛けると1匹の尻尾がぴくりと動きました。「タロだったのか」。もう1匹にも呼び掛けた。「おまえはジロか」。すると右の前足を前方に上げた。ジロの癖でした。北村隊員は甘える2匹と南極の雪上を転げ回りました。


2)第3のイヌ

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タロとジロの生還から9年後の1968年、昭和基地のそばの解けた雪の中から、1匹の樺太犬の死骸が見つかりました。北村隊員にも連絡があり、灰色で短毛。特徴から、行方不明6匹のうち「リキ」と思われました。

タロ、ジロ以外にも鎖から離れ、一時は基地周辺で生きていた「第3の犬」が存在したことになります。

第1次越冬中に、幼かったタロとジロに自分の餌を与え、実の親のように片時も離れず2匹の面倒を見ていた姿が北村の脳裏に焼き付いていました。親代わりの「リキ」が、2匹を守り力尽きたのでしょうか。


3)犬たちの食物

第3次越冬隊が到着した昭和基地には7頭の犬が首輪につながれたまま息絶えており、他の6頭の消息は知れれませんでした。基地に置いてきた犬の食料や死んだ犬を食べた形跡はなく、アザラシの糞やペンギンを食べて生き延びていたのだろうと北村隊員は推測しています。

北村隊員は3次隊越冬の際、タロとジロの兄弟は特に首輪抜けが得意な個体だったと言われ、2頭でアザラシに襲いかかる所や食料を貯蔵する所を目撃していましたが、その後、北村隊員は、犬たちはペンギンを襲うことはあっても食べることはまずなかったと言っています。

アザラシの糞は好んで食べましたが、アザラシを襲う際に海水に落ちる危険があることや、いずれにせよ、犬たちが犬用食料は、第2次隊が給餌しやすいよう開梱した状態で残されており、容易に食べられる状態であったにもかかわらず、全く手がつけられていませんでした。

それらを優先したとは考えがたいことを指摘し、食料の候補として、海水に浸かったため天然冷凍庫内に放棄されていた人間用食料を人間にとっては臭くて食べられたものではなかったのですが、犬は好んで食べたといいます。

また、第1次隊が犬ゾリ調査旅行を行った際にデポに残した食料、調査旅行の際に発見されたクジラの死骸、の3つを挙げています。


4)門前払い

最初、フジテレビが東映に配給を打診に行くと、岡田茂東映社長が「犬がウロウロするだけで客が来たら、ワシらが苦労して映画撮る必要ないやろ!!」と、門前払いしたといわれます。


5)キャンペーン

フジサンケイグループの総力を挙げた宣伝とメディアミックスが行われました。『笑っていいとも!』にはタロとジロが出演したほか、公開当日の7月23日には特別番組『南極物語スペシャル』を放送、制作秘話やエピソードを織り交ぜながら映画を紹介し、更に渡瀬恒彦植村直己の対談も放送しています。

この他にもフジテレビとニッポン放送で連日大々的なキャンペーンが行われました。

映画公開自体をイベント化して大ヒットをもたらしたこの大々的な宣伝は、当時の角川映画の方法論を踏襲してそのお株を奪うものでありましたが、一方で電波の私物化であるとの批判も起こっています。


6)興行収入

日本国内では1200万人を動員して61億円の配給収入を挙げました。1980年公開の黒澤明監督『影武者』の記録を塗り替えて当時の日本映画の歴代映画興行成績(配給収入)1位を記録し、この記録は1997年公開の宮崎駿監督のアニメ映画『もののけ姫』まで、あるいは実写映画としては2003年公開の『踊る大捜査線2』に抜かれるまで破られませんでした。


7)別の視点

犬たちを鎖につないだまま置き去りにしたということで、当時、南極観測に関わった人々への激しい批判が起きました。

SF作家の星新一は、この事件は人間側から見れば美談ではあるが、ペンギンの立場から見れば、獰猛な肉食動物を人間が置いていったために大被害を受けたという悲劇ではないかと考えました。

この視点からショートショート作品を1編書いていて「探検隊」という題名で、1961年(昭和36年)の作品集『ようこそ地球さん』に収録されています。

また藤子・F・不二雄は、SF短編「裏町裏通り名画館」の中において、タロとジロを想起させる犬に捕食されるアザラシの親子の苦難を描いた映画(作中では『北極物語』つまり北極越冬隊の犬という設定)を登場させています。

楽家團伊玖磨は鳥好きで、犬嫌いの立場から、タロとジロを題材としたラジオドラマの音楽の仕事を断ったとエッセイ『パイプのけむり』の中で語っています。

21世紀現在では生態系保護のため、南極に犬など外来の生物を持ち込むことはできないことになっています。

 

4.まとめ

名演技の犬たちを追った撮影が素晴らしかったし、控え目なBGMが画面にマッチしていて、壮大な南極の雰囲気が伝わっていました。

犬を扱った映画は多くありますが、本作のような映画は、動物虐待が喧しい昨今では撮影が難しいかもしれません。それだけにより人の心を打つ映画になりました。