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映画『グラディエーター』アカデミー賞で作品賞・主演男優賞など5部門に輝いた歴史スペクタクルです!!

 

この映画『グラディエーター(Gladiator)』は、2000年に公開されたアメリカ合衆国の歴史映画で、監督はリドリー・スコット、主演はラッセル・クロウです。第73回アカデミー賞(2001年)および第58回ゴールデングローブ賞(同年)で作品賞を受賞しました。

目次

 

 

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1.制作

1)企画

『Gladiator』のアイディアは制作を務めたデヴィッド・フランゾーニが提案したものであり、同時に脚本の初期案は彼の手で書き上げられました。フランゾーニは以前に制作・脚本として関わったスティーヴン・スピルバーグ監督による『アミスタッド』の商業的成功で、ドリームワークスから新たな映画の制作と立案を依頼されていました。
フランゾーニは古代史に関する特別な興味を当初持たなかったのですが、ダニエル・マニックスの小説『Those About to Die』(1958年)に影響を受け、更に『ローマ皇帝群像』を読んだ経験からコモドゥス帝に関する映画制作を思い立ちました。
草案では『ローマ皇帝群像』のコモドゥス伝には登場せず、ヘロディアヌスやカッシウス・ディオといった同時代人によって伝えられた剣闘士ナルソキッソス(コモドゥス帝を暗殺したとされる)がモチーフとされ、名前もそのままでした。しかしナルソキッソスに関する記述が乏しいためにさまざまな歴史人物がモチーフとして加えられ、独創的な主人公「マキシマス」を形作っていきました。

 

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2)監督

監督については、総製作のウォルター・F・パークス、ローリー・マクドナルドがリドリー・スコットにオファーを出し、二人はアイディア源の一つであるジャン=レオン・ジェロームの絵画を見せて脚本を説明しました。
スコットは古代ローマ時代を映像化する事に強い興味を示したものの、脚本や草案については全面的に書き直すべきだと批判し、実際に脚本家のジョン・ローガンによって大幅に変更させました。ローガンによって書き直された部分としては主人公が剣闘士になるまでの展開に深みを持たせた事と、逆に家族描写については大幅に減らした事が挙げられます。


3)脚本

制作の直前まで脚本についての議論は続けられており、三人目の脚本家として参加したウィリアム・ニコルソンは主人公マキシマスをより感傷的な人物として描写するべく、作品中に頻出する死生観についてのテーマを織り込みました。その中でヌミディア人の奴隷ジュバが重要な役割を演じるように、人物関係が調整されました。

途中でフランゾーニも製作から脚本に復帰し、ウィリアムとローガンの変更案を監修する立場につきました。ウィリアムはフランゾーニの初期案を尊重しながら変更作業を行って、フランゾーニも脚本監修としては変更案を自由に行わせました。

しかしながら、製作としてはあくまで自分の初期案に近い物を採用するように主張していました。後に、フランゾーニは『グラディエーター』についての製作に関する貢献が認められ、アカデミー作品賞を共同受賞しました。

また、脚本は主演を務めたラッセル・クロウからの提案によった修正も行われました。彼は常に脚本の内容について意見を提示して、納得する回答が制作陣から得られないと不満げにセットを練り歩きました。ドリームワークスの制作陣は口を揃えて「(ラッセルは)全ての脚本を書き直させようとし、特にトレーラーでも使用された『今生か、さもなくば来世で復讐を果たす』という台詞は断固として受け入れなかった」と証言しています。
ラッセルが追加された死生観についてのテーマを嫌っていて、「ウィリアムの脚本はゴミだ。だが私は世界一の俳優だからどんなゴミみたいな台詞でも良く演じてみせる」と罵倒したといいます。


4)準備

映画撮影に備え、スコットはストーリーボードの制作に数ヶ月間を費やしました。また6週間にわたって製作スタッフを連れて、イタリア・フランス・イングランド北アフリカなど実際にローマ文明が形成された土地を旅行して、撮影用の場所などを探して回りました。

作中で登場する調度品や衣服、セットや建築物の多くは購入や借用が困難であった為に、殆どが映画の為に一から製作されました。


5)撮影

1999年の5月に、最初の撮影が開始されました。まず取り掛かったのは映画の冒頭にあたる、冬のゲルマニアでの戦闘場面でした。しかし実際に撮影が行われたのは先述の通りの春頃で、また撮影場所にはイングランドのボーンウッズが用いられました。現地の森林委員会が森を伐採する予定にあった事を知って、スコットはこれを活用して森の木々を燃やすなどの撮影について許可を得ました。

スコットと撮影監督のジョン・マシソンは、いろいろなフレーム率と複数のカメラを使っての迫力ある戦闘シーンを撮影しました。これは1998年の『プライベート・ライアン』で使用された技法です。次にモロッコ王国ワルザザートに撮影場所を移し、ズッシャバルの奴隷市場と訓練シーンを3週間にわたって撮影しました。
地方闘技場での場面は、実際に古い建設技術と材料を使い3万個の泥レンガを作って組まれたセットが撮影スタッフによって用意されました。

そして最後にローマ市内のシーンの為に、マルタ島のリカソーリ市で19週間の長期撮影が行われました。
マルタ島が選定された理由は、ローマの本土であったイタリア本土に近く地理的条件が似ていて、近世に建てられたローマ風の建築物が存在していたためでした。
とはいえ長い歴史でマルタ島の遺跡も多くが変容しており、この場面はセットとCG技術を駆使したフォローが想定されていました。
事実、街中で見られる建物の多くやコロッセウムの基礎部分を除いた箇所などでCGI(CG)によって付け加えられています。同時に実物大のセットも組まれ、特にコロッセウムの基礎部分は100万ドルもの費用を投じて建設されました。

 

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これ以外に、映像を彩る小物類(武器、甲冑、胸像、家具、天幕、柱、布地、衣装)など、全てこの映画の為だけに発注されたオーダーメイド品で、他の歴史映画からの使い回しなどは一切行われませんでした。


6)編集

撮影後の作業は編集とCGI加工に絞られて、特にCGI部分についてはロサンゼルスにCGI用の設備を持つミル社が担当しました。彼らは撮影スタッフが苦心して用意した映像に、さらに迫力を加える様々な努力を行ないました。
例えば冒頭の合戦シーンで放たれた火矢は実際には安全性などの問題から敵陣の前までしか飛ばしていなかったのですが、これを敵陣に届いているように修正する作業などが行われています。
他にコロッセウムのシーンで観客のエキストラが用意しきれない部分や、凱旋式元老院の長い階段を登る場面などもCGI工程で追加されました。最終的にミル社のスタッフは90以上の部分に加工を加えて、映画内で9分間分の場面に手を加えた形になりました。

また主要俳優の一人のプロキシモ役のオリヴァー・リードが撮影終了間際に病死した事は予想外の作業を必要としました。出演予定であった終盤の場面は編集やCGで誤魔化すという苦肉の策が行われました。なお、プロキシモの死亡シーンは兵士達に囲まれて刺殺されますが、プロキシモ自体は容姿を似せた代役が担当し、顔が映らないようにしています。
グラディエーター製作上でこうしたCG製作は欠かせない重要な作業でした。しかしながら、CGI作業を統括した視覚効果監督のジョン・ネルソンは「我々がやった事は映画全体の一部に過ぎない。オリヴァーの件についても、人々に感動を与えたのは彼の演技だった。我々はそれを上映するのに手助けをしただけだ」 とコメントしています。

 

2.あらすじ

1)プロローグ

西暦180年、帝政ローマ時代中期。平民出身の将軍マキシマス・デシマス・メレディウス(ラッセル・クロウ)はゲルマニア遠征に挑み、苦戦を強いられながらも敵将を討ち取り見事勝利を収めました。

 

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年老いた皇帝マルクス・アウレリウスリチャード・ハリス)は野心家の皇太子コモドゥスホアキン・フェニックス)を疎ましく思い、有能で勇敢なマキシマスに絶大な信頼を置いていました。


2)卑劣な後継者

ある日、アウレリウスは自分の元にマキシマスを呼び寄せて、自分の跡を継いで次期皇帝になってほしいと頼みました。しかしその事を知ったコモドゥスは、自分は父のアウレリウスから愛されていないのかと嘆き、遂にはアウレリウスを暗殺、自ら後継者として皇帝に即位します。そしてコモドゥスはアウレリウスの死の真相を追求しようとしたマキシマスとその妻子の処刑を命じます。


3)剣闘士誕生

妻子を処刑され、自らは生き残ってしまったマキシマスは絶望のあまり倒れ込みます。そして気が付いた時には奴隷商人に捕らえられていました。生きる意味を見失ったマキシマスは、奴隷として剣闘士(グラディエーター)の育成を手掛ける奴隷商人プロキシモ(オリヴァー・リード)に売られます。

 

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同じくプロキシモの元に売られていた奴隷のジュバ(ジャイモン・フンスー)と意気投合したマキシマスは、やがてその頭角を現し、剣闘士としてめきめきと力をつけていきました。


4)千載一遇

その頃、皇帝のコモドゥスは民衆に娯楽を与えて心を掴む一方で元老院を無視した専制政治を展開していました。そしてコモドゥスはローマにコロシアムを作って、全国各地から名うての剣闘士を集めて戦わせていました。
戦績を積み重ねて名をあげれば奴隷の身分から解放されて、コモドゥスに謁見できるとプロキシモから聞いたマキシマスの中にはコモドゥスへの復讐心が燃え滾っていました。


5)喝采

マキシマスは、プロキシモと共にローマに赴き、圧倒的に不利な契約とシチュエーションを突き付けられますが、将軍時代の経験を活かして見事に逆転勝利を収め、大衆から喝采で迎えられました。

 

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マキシマスはコモドゥスと謁見し、まさかのマキシマスの生存に驚いたコモデゥスは民衆の面前で処刑しようとしましたが、民衆の圧倒的なブーイングの前に断念せざるを得ませんでした。


6)捲土重来

コモドゥスの人気は日に日に下降して、元老院グラックス議員(デレク・ジャコビ)ら反皇帝派、そして実弟コモドゥスに恐れをなしたマキシマスの元恋人ルッシラ(コニー・ニールセン)らは結託してマキシマスに協力を求めます。

コモドゥスは側近らと一計を案じて、ルッシラやグラックスら反対派を捕え、プロキシモを殺害します。そしてコモドゥスは民衆が納得する形でマキシマスを葬り去ろうと、自らコロシアムに赴きマキシマスと一騎打ちに打って出る決意を固めます。


7)非願成就

試合直前に、コモドゥスはマキシマスの腹をナイフで刺して重傷を負わせ、マキシマスは不利な状況での試合を強いられますが、意識が朦朧とする中で果敢に立ち向かい、最後はコモドゥスの首にナイフを突き刺してとどめを刺し、見事勝利します。

 

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マキシマスはローマを正しい姿に導くよう進言して息を引き取ります。民衆はコモドゥスの遺体を放置して、マキシマスを丁重に葬りました。


3.ソード&サンダル路線

大筋において史実に基づきつつ、細かい部分で独創的な脚色が加えられた歴史映画という意味で、本作は「ソード&サンダル路線」の継承者といえます。
その中でも特に共和政期の奴隷反乱が元の『スパルタカス』(1960年)と、本作と同時代を元にした『ローマ帝国の滅亡』(1964年)の影響が指摘され、『ローマ帝国の滅亡』の大筋は暴君コモドゥスが父を暗殺して帝位を奪い、主人公を味方に加えようとするが拒否されたことから粛清しますが、生き残っていた主人公と一騎討ちの末に倒れるという内容で、本作も同じ粗筋を使用しています。

リドリー・スコット自身は『ローマ帝国の滅亡』よりもむしろ『スパルタカス』と『ベン・ハー』(1959年)が古代ローマを舞台にする上で影響を避けられなかったと言及していて、その上で「2000年という人類文明の一つの節目に、人類の歴史に影響を与えた大帝国の分かれ目を描きたいと思えた」ともコメントしています。

他に、コモドゥス凱旋式の場面はヒトラーの意向で製作されたナチスプロパガンダ映画の『意志の勝利』を参考にしたと言及しています。一方でスコットは「ヒトラーを真似たというのは正確じゃなく、ヒトラーがローマの真似事をした。」と皮肉を込めたコメントをしています。


4.歴史考証と創作

本作品は史実に誠実でなければならない学問的な歴史資料ではなくて、娯楽作品としての史劇作品である事から必ずしも史実性を絶対視する必要がある訳ではありません。
リドリー・スコット自身は史実のローマ時代に深い興味と敬意を抱いていて、できる限りは「実際のローマ」を映像化する事を望んでいたとコメントしています。
事実、スコットは撮影に挑むにあたり数人の権威ある歴史学者を史実考証のスタッフとして招致しています。

他に登場人物の衣服などでも史実に基づきつつ、より華やかで映像栄えするアレンジや色彩が採用されています。体力自慢の暴君として歴史書に描かれるコモドゥスを病弱で情緒不安定な青年に描く一方、アウレリウスを皮肉屋の共和主義者として描くなど独自の歴史解釈も与えていて、スコットのある意味で柔軟で独創的で、乱暴で優柔不断でもある史実への態度は論争を巻き起こし、少なくとも一人の歴史考証役が途中で降板しています。

コネチカット大学のアレン・ウォード教授はスコットの態度に「創作上は必要だった部分もある」と擁護しつつも、「作家が娯楽の為に許されている脚色は、史実を乱雑に扱う事への許可証ではない」と批判しています。

 

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5.評価

1)批評家の反応

映画が公開されてすぐに著名な映画レビューのウェブサイト「Rotten Tomatoes」で76%(186名中142名)の批評家が本作に肯定的な評価を下し、また平均点は10点満点で7.2点となりました。
同様の映画レビューサイト「Metacritic」の平均点は100点満点中64点でしたが、このサイトにおいては高い点数でした。
CNNは冒頭の戦闘場面を「最高の名場面」と賞賛し、『エンターテインメント・ウィークリー』はラッセル・クロウの情熱的な演技はマキシマスを「映画世界の英雄」の一人に押し上げ、本作全体も素晴らしい復讐物の映画に仕上がっていると評しました。
2002年に、イギリスの公営放送チャンネル4は映画ランキングで映画史上の名作と並んで第6位に同作をランキングしました。

一方で、しばしば通俗的な評価と異なる評論を展開する事で知られる批評家ロジャー・イーバートはこの映画を強く批判した数少ない一人で、彼は映像面を「汚くてぼやけて見辛い映画」と酷評し、物語についても「喜怒哀楽を表現すれば薄っぺらさを避けられると思ったら大間違いだ」と罵倒しました。


2)興行収入

興行収入では成功を収めて、2938箇所の映画館で一斉に公開された本作は、初週で3483万ドルの興行収入を記録しました。
興行収入の勢いは止まらずに、数週間で早くも巨額であった制作費1億300万ドルを全額回収しました。正規上映終了時の全米興行収入は1億8770万5427ドルに達し、続く世界公開が始まると最終的な興行収入は4億5764万427ドルという破格の商業的成功となりました。


3)受賞

商業的成功だけでなく芸術的な評価という点でも本作品は主演ラッセル・クロウのアカデミー主演男優賞受賞を初め、アカデミー、ゴールデングローブ、英国アカデミー賞などを独占して36個の賞を受賞する大成功を収めています。ノミネートも含めると殆どの賞の部門に上げられており、その中でもホアキン・フェニックスのアカデミー助演男優賞ノミネート、リドリー・スコットのアカデミー監督賞ノミネートが特筆されます。

第73回アカデミー賞
作品賞
主演男優賞(ラッセル・クロウ
衣裳デザイン賞
録音賞
視覚効果賞

英国アカデミー賞
撮影賞
編集賞
作品賞
美術賞

第58回ゴールデングローブ賞
作品賞(ドラマ部門)
作曲賞

 

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6.まとめ

本作の『グラディエーター』は世界中の映画館で大ヒットを記録しました。歴史的にも正確かどうかは疑わしいのですが、分かりやすいストーリー、社会正義をめぐる考察、死へと向かう主人公の運命など、単なる娯楽にとどまらず、真面目な問題提起を含んだ作品になっています。

「善」と「悪」に振り切った主役二人の演技は最高で、ラッセル・クロウはこの役でアカデミー主演男優賞を受賞し、ホアキン・フェニックスが「ジョーカー」で表現した悪役のルーツを見ることができました。また、ややこしい役を好演したバイリンガル女優のコニー・ニールセンが国際的に名前が知られるようになりました。