映画『真昼の用心棒』とっても面白い典型的なマカロニウエスタンです?!
この映画『真昼の用心棒(Massacre Time)』は、ホラーやスプラッター映画を中心のルチオ・フルチが手がけた数少ない西部劇映画の一つとして知られた、1966年のマカロニ・ウェスタンです。
目次
1.紹介
フェルナンド・ディ・レオの脚本をイタリアン・ホラー界の帝王ルチオ・フルチが監督したイタリのア西部劇で、音楽はラロ・ゴリが担当しました。
出演は『続・荒野の用心棒』のフランコ・ネロと、『荒野の1ドル銀貨』のジョン・マクダグラス、『シェルブールの雨傘』のニーノ・カステルヌオーヴォなどです。
2.ストーリー
1)プロローグ
トム・コーベット(フランコ・ネロ)は母の死を機に故郷を離れて、今では用心棒稼業をしながら各地を放浪していました。
ある日、川で砂金取りをしていたトムは、故郷の友人キャラダイン(ジョン・バーサ)から大至急故郷に帰るようにとの手紙を受け取りました。
2)故郷の村
トムは、数年ぶりに故郷の村に帰ってきましたが、実家の農場には兄のジェフ(ジョージ・ヒルトン)は既におらず、農場は村を牛耳る悪徳大牧場主のスコット(ジョン・マクダグラス)のものとなっていました。
スコットは息子のスコット・ジュニア(ニーノ・カステルヌオーヴォ)や手下らと共に罪のない村人を虐げ、残虐行為を繰り返していました。
トムは葬儀屋(チャン・ユー)からジェフの居場所を聞き出し、ようやくジェフや乳母のエリザベス(リナ・フランチェッティ)と再会を果たしました。
しかしながら、ジェフは自暴自棄になって酒浸りの日々を送っていました。
3)手紙の主のもとへ
トムはジェフが農場を手放したことを責めますが、ジェフとメルセデスはトムに村から離れるよう忠告しました。
その夜、トムは酒場で、ジェフがスコットの手下らから暴行を受けているのを目撃、ジェフを助けるため加勢しますが、トムの顔を見た手下らは一瞬表情が固まったのちに退散していきました。
トムはジェフの反対を押し切ってキャラダインの家に向かって、手紙を出した理由を問おうとしましたが、そこにスコットの手下が発砲し、キャラダインは妻子共々銃殺されてしまいました。
トムはジェフの案内でスコットの牧場に直接事情を聞こうと向かい、途中でスコットの手下数人を片付けながら目的地に到着しました。しかし、ジェフは途中で引き揚げ、トムは単身スコットの屋敷に乗り込むことになりました。
4)明かされた真実
スコットの屋敷ではジュニアが待ち構えており、トムはジュニアに鞭で激しく痛めつけられ負傷しました。
ようやくに、スコットや手下らが止めに入ってその場は収まり、トムは出直しを誓ってボロボロの状態でジェフの家に戻りましたが、そこにジュニアの手下が現れて、メルセデスは射殺されてしまいます。
復讐を誓ったジェフは武装して、トムと共にスコットの牧場へ向かいました。その途中でジェフは意外な事実を口にしました。トムの実の父はスコットであり、ジェフの父はスコットに殺されたというのです。
やがて2人の元にスコットの手下が現れ、スコットがトムに会いたいと伝えてきました。トムと対面したスコットは、粗暴で残虐なジュニアはもう手に負えないので、トムに全財産を譲って後を継がせたいと申し出ました。
しかしながらその時、スコットはジュニアの手下によって射殺されました。
5)復讐の最後
キャラダイン殺しもメルセデス殺しも全てジュニアの仕業だと見切ったトムはジェフと共にジュニアの手下らと銃撃戦を繰り広げ、手下らを皆殺し(Massacre)にします。
追い詰められて逃げたジュニアをトムは屋敷の屋根まで追いかけ、素手での格闘戦にもつれこみました。トムは危うくジュニアによって突き落とされそうになりましたが、トムはジュニアの足を掴んでバランスを崩させ、ジュニアは屋根から転落して死亡しました。
6)エピローグ
飛び立った鳩を撃とうとしたジェフをトムは優しく制止し、お互いに心の平安を取り戻したのでした。
3.四方山話
1)主題歌
この楽曲は数あるマカロニ・ウエスタンのテーマの中でもBEST5に入れられる名曲です。歌うのはイタリアのカンツォーネ歌手のセルジオ・エンドリゴです。
2)ルチオ・フルチ監督
映画製作者を志してローマ実験映像センターに学んだのち、イタリア式コメディで名を馳せた映画監督ステーノに師事しました。
1970年代後半までコメディ映画とサスペンス(ジャーロ)映画で一定の評価を得ましたが、生来の反骨気質ゆえに娯楽映画の中でカトリック教会を痛烈に批判し、扱いづらい職人監督というレッテルも貼られました。
1979年に南国を舞台にしたゾンビ映画『サンゲリア』を監督したことによってフルチの映画監督人生は180度変わります。強烈な人体破壊描写と全編に流れる耳障りなノイズは多くのクリエイターに影響を与え、ジョージ・A・ロメロと双肩を成すゾンビ映画監督、もしくはマスター・オブ・ゴアという肩書きを手に入れました。
娯楽映画の体を成しながら難解な結末が用意されている事が多く、その点で賛否は大きく分かれ、作品毎に作風が変化してくるところも特徴的でした。
60代半ばまで多作を続けましたが、最後の数年は健康を損ね第一線を退き、1996年、糖尿病の合併症により死去しました。
3)フランコ・ネロ
イタリア北部のサン・プロスペロ出身で、ミラノの大学で経済学を勉強しているときに、写真のモデルとしてスカウトされました。
1964年に映画デビューし、マカロニ・ウェスタンなどで活躍します。本名のフランチェスコ・スパラネロではアメリカ圏で発音しにくいという理由から短くしてフランコ・ネロと芸名を名乗るようになりました。
西部劇における伝説的なキャラクター「ジャンゴ」を『続・荒野の用心棒』で演じた人物として知られ、一方では、歴史ドラマ『キャメロット』(1967年)や、文芸ドラマ『哀しみのトリスターナ』(1970年)、戦争映画『ネレトバの戦い』(1969年)と幅広く活躍し、イタリアのみならずアメリカやフランスで、100本以上の映画に出演しています。
4)ジョージ・ヒルトン
『リオ・ブラボー』のディーン・マーティンを彷彿させる、見事な飲んだくれが、最後に凄腕ガンファイターに変身するのを演じています。マカロニ・ウエスタンの他に戦争映画や数多くのホラー映画に出演しています。
5)ニーノ・カステルヌオーヴォ
見るからに極悪非道の悪者を演じましたが、ミュージカル映画『シェルブールの雨傘』でカトリーヌ・ドヌーヴの相手役で有名です。役柄とは言えあまりの変貌に衝撃的ではありました。
4.まとめ
アクロバティックなガンプレイと、もうマカロニウエスタンではルーチンとなっている虐待からの復讐劇と、全編に流れる美しいテーマ音楽で、素晴らしく楽しませてくれました。