『西国三十三所』車で巡礼、古希まじかCOPDオジサンの旅!【紀行遍10・十六、十七、十八、十九番】
さて、難所4番の施福寺もなんとか済ませ、西国三十三所巡礼も一気に最終章へとまいります。
とは申せ、今回は16番清水寺を筆頭に京都市街地4寺を真夏の京都を参ることになる訳で、酷暑と駐車場に加えて、田舎者ドライバーとしては、片側4車線や一方通行尽くしの京都の街がまさに三重苦の地獄が待ち構えているようでした。
目次
16番 清水寺
本堂
音羽の滝に流れる霊泉に由来して名付けられた清水寺です。本堂の舞台は「清水の舞台から飛び降りる」という言葉でも有名です。
平成6年(1994)にユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつとして登録された清水寺は、世界からの観光客で賑わっています。
寺院の多い京都の中でも清水寺は最も有名な寺の一つで、観光バス、自家用車、タクシーや人々で混み合った五条通(五条坂)を登り、松原通との合流点を過ぎると通りはビッシリと土産物屋が軒を連ねています。
いつもは人通りが多く余程のオフシーズンでもない限り混雑で歩行困難な状況になることも多いのですが、このコロナ禍では申し訳ないくらいに人出はありませんでした。
1.アクセス
所在地 京都府京都市東山区清水1丁目294
連絡先 075-551-1234
交通
・京都駅〜市バス 京都駅(206番・18番)-清水道下車…(徒歩)…清水寺
・名神高速道路/西宮線、京都南ICより国道1号を久世橋交差点で右折し24号線へ、九条河原町交差点を右折し府道143号へ、鴨川を渡ってすぐ左折北進し、五条通りで右折して五条坂へ入る。
拝観時間 6:00〜18:00
納経時間 8:00〜16:30
拝観料 400円
1)駐車場
京都市清水坂観光駐車場が近いのですが繁忙期は難しく、周辺の沢山あるコインパーキングになります。
2)境内図
2.縁起
御本尊 十一面千手千眼観世音菩薩 創建 宝亀9年(778年)
大和の国(今の奈良県)、子島寺の僧延鎮上人が夢に見た観音のお告げにより、音羽の滝を探し当て、宝亀9年(778年)、ここに庵を結んだのが清水寺の創始と伝えられています。
延暦17年(798年)のある日、延鎮は猟をしていた坂上田村麻呂に出会いますが、その時延鎮は彼に殺生を戒めました。これを契機として坂上田村麻呂は延鎮に帰依したといい、延暦24年(805年)に勅により坂上田村麻呂は寺地を賜り、私費で仏殿を建立し、寺域を整えたとされています。
弘仁元年(810年)には嵯峨天皇の勅願を得て、国家鎮護の道場になったといわれています。
後に、興福寺・延暦寺の抗争に巻き込まれたり、その他の紛争等により焼失と再建の歴史を繰り返してきたようです。
3.みどころ
1)本堂
現存の本堂は徳川家光の援助により、寛永10年(1633年)に再建されたものといわれており、舞台組みの状況は再建時のままといいます。
「清水の舞台から飛び降りたつもりで...」という言葉で知られているように、清水寺で最も有名なスポットは本堂の舞台でしょう。ここは本来、本堂に祀っている本尊に舞楽を奉納する場所で、現在でも重要な法要には舞楽、芸能など奉納しているといわれ、名実共に舞台です。
舞台の両袖に翼廊が見えますが、これは楽舎です。舞台に立つと、それが外側に若干傾斜しているようで、そのためか、舞台の端に立つと妙に引き込まれるような気がいます。
舞台は観光客で雑然としていますが、一歩「本堂」の中に入ると雰囲気はガラリと変わり、厳粛なムードが漂っています。
堂内は巨大な柱で内陣と外陣が区分されていて、本尊「十一面千手観世音菩薩立像」は内陣の最奥中央の厨子内に安置されています。本尊の42臂(手)の内、2本が頭上で組まれており、普通見られる千手観音像とは異なっています。
本尊は秘仏であり、通常は直接拝観できませんが、33年ごとに開扉され、2000年は開扉の年にあたり、3月3日~12月3日の間公開され、直近から拝観することが出来ました。
2)阿弥陀堂及び奥の院
本堂の舞台から見て左側の建物が「阿弥陀堂」で、右側の建物が「奥の院」です。「奥の院」も本堂と同じように舞台造りとなっています。
「阿弥陀堂」は寛永8~10年(1631~33年)に再建されたものといわれており、内陣に阿弥陀如来坐像が安置されています。またここは法然上人が日本で最初の常行念仏を修行した場所とされています。
「奥の院」は寛永10年(1633年)の再建とされ、本尊として「千手観音」が祀られているためか「奥の千手堂」とも呼ばれています。「奥の院」は「音羽の滝」の真上に建っており、行叡居士と清水寺を開いた延鎮上人の旧草庵跡と伝えられ、由緒ある場所とされています。
「阿弥陀堂」、「奥の院」は何れも重要文化財に指定されています。
3)音羽の滝
「奥の院」の崖下に「音羽の滝」があります。滝といっても樋から流れ落ちる三筋のチョロチョロとした落水であり、滝というイメージからはほど遠いのですが。
「清水」の名称はこの水に由来すると云われています。また、この水は黄金水とか延命水とも呼ばれ、いろいろな病気に効くと伝えられており、備え付けの柄杓を差し出して水を受け、口に含む人もいます。
「音羽の滝」の背後に祠がありますが、ここには不動明王、行叡居士が祀られています。
4)清水坂
京都清水寺への参詣路にある坂で,現在の東大路通松原より清水寺に至る間をいいます。
延暦年間(782年―806年)の清水寺創建で参詣路が開け,洛中から清水寺へ至る最短の道となり,また山科へ抜けて東海道に合する近道として,交通の要地となりました。
そのためこの坂には運送業に携わる車借(しゃしゃく)を核とする〈宿〉が形成され,また往来の参詣人たちに物を乞う流亡の民や,坂者(さかのもの)とよばれる人々の集まるところともなりました。
南北朝期からは商業活動も行われ,応永(1394年―1428年)ころには,洛中,洛西嵯峨谷とともに清水坂に高利貸業を兼ねた酒屋(酒造業者)が集中していました。
近世に入って清水寺門前の遊興地として賑い,17世紀後半には多くの茶屋が営まれ,また土産品を売る〈清水寺茶店〉が軒を連ねました。土産品としては焼餅・団子が知られ,陶磁器の清水焼も店頭で売られるようになっています。
清水坂は、昔から変わらぬ古都の趣と、その趣を壊さずに調和している新しいものとが融合していて、何度訪れても飽きない観光名所です。
観光客と修学旅行生でごった返し、割に急な長い坂道が続きますが、軒を連ねる数々のお店を楽しんでいるうちに仁王門になります。
17番 六波羅蜜寺
本堂
「市の聖」として庶民に慕われた空也上人の開基と伝わ寺には山門がなく石欄で囲っているのみであり、その佇まいは庶民に溶け込んだ空也上人の寺らしい雰囲気がただよいます。
御本尊の十一面観世音菩薩は上人が市中を曳き歩いた際の観音像だとされます。鎌倉様式の本堂や石塔が見ものであり、境内の宝物館には口から仏の姿を吐く有名な空也上人像の他、平清盛、運慶、湛慶親子の像など当寺とゆかりのある人物の彫像を収蔵しています。
1.アクセス
所在地 京都府京都市東山区五条大和大路上ル東入2丁目轆轤町81-1
連絡先 075-561-6980
交通
・JR京都駅から市バス約10分、清水道下車、徒歩約10分。
・名神高速道路/西宮線、京都南ICより国道1号を久世橋交差点で右折し24号線へ、九条河原町交差点を右折し府道143号へ、鴨川を渡ってすぐ左折北進し、五条通りで右折して五条坂へ入る。
拝観時間 8:00〜17:00
納経時間 同上
拝観料 無料
宝物館拝観料 600円
1)駐車場
清水寺に同じく、京都市清水坂観光駐車場が近いのですが繁忙期は難しく、周辺の沢山あるコインパーキングになります。
2)境内図
2.縁起
御本尊 十一面観世音菩薩 創建 天暦5年(951年)
醍醐天皇の第二皇子光勝とされた(真偽不明)空也上人は、当時京都で流行していた悪病を退散させるため、十一面観世音菩薩を刻み、天暦5年(951年)に堂を建て、この観音像を祀ったとされ、これがこの寺の創始と伝えられています。
その後、上人を慕う人々が増え、村上天皇の勅命により堂宇の建設がはじまり、応和3年(963年)には当時の名僧600人を請じ、諸堂の落慶供養を盛大に営んだという。当時は寺域も広く、平清盛をはじめ平氏の邸館や鎌倉幕府の探題も置かれ、源平盛衰の史跡の中心だったようです。
当初、この寺は西光寺と呼ばれていましたが、貞元2年(977年)空也上人の没後、空也の高弟中信が伽藍を整備、六波羅蜜寺に改めたとされています。
源平の争乱後も幾たびか兵火に遭い、そのたびに修復されてきましたが、明治以降荒廃し寺域も小さくなりました。昭和44年(1969年)には本堂が改修され、かつての華やかさを偲べることができるようになりました。
3.みどころ
1)本堂
「十一面観音像」の背後に見えるのが「本堂」です。「本堂」は道路に面し、道路際に設けられている鉄柵近くに建てられています。
現存の本堂は貞治2年(1363年)に建てられたものとされており、明治以後荒廃していましたが、昭和44年(1969年)に開創千年を記念し解体修理され、朱色も鮮やかになっています。
「本堂」は重要文化財に指定されています。
「本堂」の内陣に空也上人自身が刻んだと伝えられていて、国宝に指定されている本尊「十一面観世音菩薩」が安置されています。本尊は秘仏ですが、12年毎の辰年に開扉されるようです。
2)宝物館
六波羅蜜寺は藤原、鎌倉期の文化財の宝庫といわれており、国宝、重要文化財に指定されている仏像としていくつもの諸仏が所蔵されています。
中でも有名なのが「空也上人立像」で、手に撞木と鹿の角を付けた杖を持ち、草鞋を履いた空也上人像は正に市中の清貧な僧侶の姿であり、権勢を誇り民衆の上に立っていた当時の僧侶の姿は微塵も感じられません。
また、念仏を唱える口からは六体の阿弥陀仏が現れたという伝承も木像に表現されていますが、これが空也上人の神秘性を高めるのに独特の効果をもたらしています。
18番 六角堂
山門
聖徳太子が創建したと伝わり、室町時代からは町衆とのかかわりが深い町堂にもされました。本堂が六角の建物なので六角堂と呼ばれ、華道家元池坊の本拠として知られます。
親鸞聖人が百日間の六角堂への参籠を経て浄土真宗開宗のきっかけを得られたとされています。
昔からここが京都のど真ん中といわれ、その証拠品という「へそ石」が境内に残っています。
1.アクセス
所在地 京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248
連絡先 075-221-2686
拝観時間 6:00〜17:00
納経時間 8:30〜17:00
拝観料 無料
1)駐車場
無
ほん近くにも私設の駐車場があります。
2)境内図
2.縁起
御本尊 如意輪観世音菩薩 創建 用明天皇2年(587年)
聖徳太子が用明天皇2年(587年)に四天王寺建立の用材を求めて、この地を訪れたとき、泉を見つけ水浴したと伝えられていて、そのとき護持仏をそばの木にかけましたが、これが木から離れなくなったといいます。
その夜、夢のお告げがあって、護持仏の観音がここに留まることを望むというので、六角形の堂を建て観音を安置したと伝えられ、これが頂法寺の創始とされています。
弘仁13年(822年)には嵯峨天皇の勅願所となり、長徳2年(996年)には花山法皇の行幸があり、西国三十三所観音霊場となったといわれています。
建仁元年(1202年)には親鸞上人が百日間ここに参籠したとされ、これが後に真宗を開く基になったそうです。
3.みどころ
1)山門
周囲をビルに囲まれた京都の繁華街に、風格ある山門を構えている。「山門」の規模は大きくなく、造りも特に珍しいものではないが市街地のどまん中に建てられている寺で、寺自体の規模も大きくはないので、これはこれでバランスがとれています。
2)本堂
「本堂」を上空から見ると、その形が六角形であることから、「頂法寺」という正式名称よりも「六角堂」のほうが一般的な呼び名になっています。
「本堂」は正面から見ただけでは六角形に見えませんが、本堂を一周してみるか、又は離れた位置から見れば六角形であるのが何となくわかります。
現存の「本堂」は明治9年(1876年)に再建されたものといわれており、本堂正面の内には観音菩薩と書かれた大きな赤い提灯が吊り下げられています。
本堂に祀られている本尊、「如意輪観世音菩薩」は聖徳太子が開山したときに持っていた護持仏といわれているようで、秘仏になっています。
3)一言願い地蔵
「本堂」前広場の東端には「一言願い地蔵」が安置されています。
この地蔵は首を傾げていますが、これは願い事を叶えようかどうか、考えている姿であるとされています。
願いを聞き入れられるかどうかは願い事をする人の信心次第であって、欲張らずに一つだけ願い事をするとそれが叶えられるといわれます。
4)へそ石
本堂の前やや東側に有名な「へそ石」(左の写真)があります。
延暦12年(793年)に京都に遷都の際、当時の六角堂が道路の中央に当たったため、桓武天皇が祈願されたところ、堂が五丈(約15m)程北へ移動したという。その時、とり残された礎石がこの石であると伝えられています。
へそ石という言葉は、この石のある位置が平安京の中心であることに由来しているといい、京都盆地のほぼ中央に当たることに由来しているともいわれています。
19番 革堂
山門
革堂行願寺は1000年の歴史をもつお寺です。創建当時は一条通りにありました。戦乱や火災でいくたびも焼けて、場所を替えつつも、人々の熱烈な信仰によってつねに都の中心部に再建されました。
1.アクセス
所在地 京都府京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17
連絡先 075-211-2770
拝観時間 8:00〜16:30
納経時間 8:00〜17:00
拝観料 無料
1)駐車場
無
ほん近くに私設の駐車場があります。
2.縁起
御本尊 千手観世音菩薩 創建 寛弘元年(1004年)
出家前の行円は猟師でしたが、射止めた牝鹿の腹の中にいた子鹿が生きているのを見て改心し、仏門に入ったと言い伝えられています。
行円が比叡山の横川で修行したとされており、皮聖と呼ばれていたようですが、これは自分が射止めた牝鹿の皮に経文を書き、それを寒暑に関係なく身につけていたことに由来しているといわれています。
行円が寛弘元年(1004年)に一乗小川に堂を建てたのが行願寺の創始と伝えられていますが、行願寺という正式名称よりも革堂とという名称の方が一般にはよく知られているのも、行円が鹿皮を身につけていたことによるといわれています。
行願寺は何回かの火災にあったようで、現在の場所に移ってきたのが、宝永5年(1708年)の大火の後とされています。
3.みどころ
1)山門
革堂は市街地の中にあるおで、それだけに境内は狭く建造物が建て込んでいます。「山門」も一般の家に挟まれた状態でこぢんまりしています。
2)本堂
現存の「本堂」は規模の小さい寺に似合わず重厚な造りであり、文化12年(1815年)に建てられたものといわれていて、京都市の有形文化財に指定されています。
「本堂」に安置されている本尊「千手観音像」は行円上人の作と伝えられており、秘仏になっていますが年に一回開扉されるようです。
3)加茂大明神五輪塔
「鐘楼」の西側、境内の西北の隅に室町時代の作とされる「加茂大明神五輪塔」が建てられていて、水輪がくり抜かれており、その穴の中に「加茂大明神」が祀られています。
行円上人が刻んだといわれている本尊は賀茂社のケヤキの木が用いられたと伝えられていますが、ここに祀られている加茂大明神はその名称から本尊と何らかの関係があるものと思われます。
まとめ
今回は、お参りするお寺の件数は多いものの京都市街地内なので、駐車場の心配だけなものと思っていましたが、このご時世の中の平日とあっては、駐車場の心配は杞憂に済みました。
しかしながら、16番17番では駐車時間が一定の京都市清水坂観光駐車場がお得と考え、清水寺へ上り、駐車場へ戻って、六波羅蜜寺へ下って、駐車場へ戻る、上り下り下り上りは意外に応えました。
結局、歩数的には、この西国三十三所巡礼では、難所とされる施福寺を超す数値となり、決して侮れない行程でした。両寺ともみどころの多いお寺なので、そのつもりで時間をかけてゆったりとお参りするのが賢明でしょう。
酷暑の時期の京都市街地でしたが、ちょうど小雨が降っており、めぐみの雨といってよい有難い空模様でした。