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『西国三十三所』車で巡礼、古希まじかCOPDオジサンの旅!【紀行遍5・十二、十三、十四、三十一、三十二番】

さて、今回は、隣県の滋賀県に参ります。滋賀の札所は6寺あり、琵琶湖竹生島の三十番宝厳寺を除けば概ね大津近辺に集まっています。
そこで、ちょうど切れてきた唐辛子味噌とそろそろ出回ってくる鞍掛豆を求めて道の駅「鏡の里」に立ち寄り、一気に5寺をお参りすることになりました。
前回に比べ、高速道路で遠方まで一気にドライブすることもなく、すべて地道での巡礼となり、こういった寄り道を組み込むことも容易になりました。

 

目次

第三十一番 長命寺

本堂

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寺名の通り、健康長寿・無病息災のご利益があるとされています長命寺は、織田信長豊臣秀吉浅井長政ら近江ゆかりの武将に守られてきたお寺です。湖岸から808段の石段を上り切ると、琵琶湖と山々の雄大な景色が広がります。


1.アクセス

所在地 滋賀県近江八幡市長命寺町157
連絡先 0748-33-0031

拝観時間 8:00〜17:00
納経時間 8:00〜17:00

大阪方面からは名神高速竜王インターより国道8号線を右折二つ目の川を渡ったすぐの信号東川を左折北進8km

彦根方面からは国道8号線、国道武佐より渡合橋を通り北へ10km


1)駐車場

山麓より山上までの自動車登山道があり無料で駐車できます。山麓から階段を登れば808段ありますが、駐車場からは100段程で山門に行くことができます。

 

2)境内図

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2.縁起

御本尊 千手十一面聖観世音菩薩  創建 推古天皇27年(619年)

十二代景行天皇の代に、武内宿彌(たけのうちのすくね)がこの山に上り、『寿命長遠諸元成就』の文字を柳の大木に彫って、長寿を祈願した結果、三百歳の長寿を保ったと伝えられます。
その後、聖徳太子がこの地を訪れて山に上り、武内宿彌が彫った柳の木を見て、感嘆しているとそこに白髪の老人が現れ、『この木で仏像を刻み、寺を建立するように』と告げ立ち去ったそうです。太子はこのお告げの通り、この柳の木で千手十一面聖観音三尊一体の像を刻んで、推古天皇27年(619年)に本尊として祀り、武内宿彌長寿霊験の因縁で長命寺と名付けたのがこの寺の創始とされています。

当寺は永正13年(1516年)に戦火に遭い、伽藍の殆どを焼失してしまい、現存する建造物は大永年間から慶長年間(1521-1614年)にかけて再建されたものといわれています。


3.みどころ

1)本堂

「山門」をくぐり更に石段を上がると『西国三十一番札所 長命寺』と彫られた石柱があります。寺名が彫られた石柱はこれで三本目で、この石柱の背後に「本堂」の南面(左の写真)が見えますが、本尊は南向きに安置されているので、この南面が実際には「本堂」正面になるのでしょう。
現存の「本堂」は大永4年(1524年)に再建されたものといわれていて、「本堂」内部正面(拝所)の奥に本尊、千手十一面聖観世音菩薩三尊一体が安置されています。本尊は聖徳太子が刻んだもの、又は、一説には鎌倉時代の作ともいわれおり、何れであるかは明らかではないようです。

「本堂」は重要文化財に指定されており、本尊、千手十一面聖観世音菩薩三尊一体も重要文化財に指定されています。本尊は秘仏であり直接の拝観はできません。

2)三重塔

本堂の東側には「三重塔」が建てられています。この三重塔は桃山様式の建築で、現存のものは慶長2年(1597年)に建てられたものとされていて、重要文化財に指定されています。

 

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3)鐘楼

「護法権現社」の西側、一段高いところに「鐘楼」が建てられています。「鐘楼」の鐘は琵琶湖の龍神長命寺の観世音に捧げたもの、という伝説があり、この「鐘楼」は重要文化財に指定されています。

 

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4.四方山話

1)飛来石

「拝殿」と「太郎坊大権現社」の間には石段があり、その途中右側に大きな岩がありますが、これが今にも落ちそうに見えます。この岩は飛来石と呼ばれており、修行を極めた太郎坊が長命寺を懐かしく思い、京都の愛宕山からここまで飛ばしてきたものと伝えられています。

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2)古刹と絶景

湖岸のそばから808段という長い石段を登ると、諸堂の屋根の線が美しく重なりあっています。千手観音を本尊として、聖観音・十一面観音・毘沙門天など多くの国指定の重要文化財が安置されており、その他、建造物のすべてが県あるいは市の指定文化財になっているという由緒ある寺院です。四季を通じ多くの参詣者が全国から訪れ、湖辺近くの山腹風景も美しいです。

 

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第三十二番 観音正寺

本堂

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近江国は、日本のほぼ中央に位置していますが、その近江国でもまた中央、すなわち日本の「臍(へそ)」ともいうべき要衝に位置するのが、標高432.9メートルの繖山(きぬがさやま)、別名観音寺山です。西国三十二番札所、観音正寺は、貴人にさしかざす衣蓋のようにふんわりとした美しい山容から名付けられたこの繖山の山中にひっそりと佇んでいます。


1.アクセス

所在地 滋賀県近江八幡市安土町石寺2番地
連絡先 0748-46-2549

拝観時間 8:00〜17:00
納経時間 8:00〜17:00

名神竜王IC」より国道8号線を経て約30分

 

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1)駐車場

観音正寺林道通行料600円(普通車)に駐車場料金が含まれています。


2)参道

西国巡礼の屈指の難所といわれ、参拝者を大いに悩ませました。表参道は、1200段の石段が続く急坂。表参道駐車場からは、440段の石段を上れば、境内にたどり着くことができます。裏参道側の駐車場からだと、ゆるいアップダウンの道を8分程度歩くのみになります。

 

3)境内図

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2.縁起

御本尊 千手千眼観世音菩薩 創建 推古天皇13年(605年)

観音正寺は、今から約1400年前に、聖徳太子によって、標高433メートルの繖山(きぬがさやま)の山頂に開創されました。
推古天皇の御代に、近江国を遍歴していた聖徳太子は湖水から浮かび出てきた人魚と出会います。人魚は「私は前世漁師でありまして、殺生を業としていたため、このような姿になりました。繖山にお寺を建て、どうぞ私を成仏させてください」と懇願しました。
聖徳太子はその願いを聞き入れて、みずから千手観音の像を刻み、堂塔を建立したとされ、日本唯一の人魚伝説が残る寺院としてその歴史は脈々と受け継がれております。


3.みどころ

1)御本尊

現在の御本尊は、前住職の大願により母なる仏教の国、インド国よりインド政府が特別に白檀原木の輸出を許可し、日本へ輸入され丈六の千手観世音菩薩座像が平成16年(2004年)に開眼されました。白檀原木の輸出においてはヒンドゥー教イスラム教、シーク教、また日本の新興宗教天理教など国、人種、宗教を超えて様々な方々のご協力と日本の仏教徒の強い信仰心にて大願が成就されました。

 

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2)烏枢沙摩明王

「鐘楼」の右手に最近建てられたようで真新しいトイレがあります。写真はトイレに掲げられている標識で『うすさまみょうおう』と書かれています。『うすさまみょうおう』は汚れたものや悪を転じて綺麗にする明王で、不浄の場所に祀られています。

 

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下の写真はトイレについている標識で男性用のトイレを表しています。たとえ古刹・名刹のトイレであってもこのように表現しているのは珍しいですね。

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3)聖徳太子

聖徳太子像の後方には、万葉歌にも詠まれている「蒲生野(がもうの=滋賀県中南部)」を眼下に、近江富士とよばれる「三上山」(写真奥)が展望できまする。

 

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4)濡佛(ぬれぶつ)

「濡佛(銅造釈迦如来坐像)」は、江戸時代から安置されていましたが、第二次世界大戦時に供出され、後の昭和58年(1983年)平和を願って再建されたものです。

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4.四方山話

第二十九番 松尾寺にもトイレの神様がいらっしゃいましたが、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう、うすしまみょうおう、梵: Ucchuṣma)は、密教における明王の一尊で、「烏枢瑟摩」「烏蒭沙摩」「烏瑟娑摩」「烏枢沙摩」とも表記されます。
真言宗天台宗禅宗日蓮宗などの諸宗派で信仰され、台密では五大明王の一尊です。烈火をもって不浄を浄化する明王として知られ、多くは、寺院の便所に祀られています。

 

 

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  途中、ここで「唐辛子味噌」と「鞍掛豆」を購入しました。

 

 

第十四番 三井寺

 大門(仁王門)

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天智、天武、持統、三代の天皇の産湯に使われた霊泉が湧くことから「御井」の寺、転じて三井寺と呼び親しまれてきました。また金堂南側の広場には、その音色の素晴らしさから日本三名鐘の一つに数えられる「三井の晩鐘」があります。札所本尊は秘仏とされ、三十三年に一度の開帳と定められていますが、その姿を模したお前立ちはいつでも拝観することができます。その他にも文化財収蔵庫では、狩野光信のふすま絵や、「笠ぬげ観音」などを見ることができます。

 

1.アクセス

所在地 滋賀県大津市園城寺町246
連絡先 077-524-2416(札所直通)

拝観時間 8:00〜17:00
納経時間 8:00〜17:00

名神高速道路
大津I.Cより湖岸道路経由約10分

・国道1号線から国道161号線経由約10分

1)駐車場

普通車は500円で駐車すると、当日は暇なのか、係員さんが徴収に来てくれました。

仁王門脇の拝観受付所にて600円の拝観料を納めます。


2)境内図

 

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2.縁起

御本尊 如意輪観世音菩薩 創建 朱鳥元年(686年)

壬申の乱で敗れた弘文天皇の菩提を弔うために、皇子の大友与多王が天武15年(686年)に寺を建立したのが創始と伝えられています。

当初は大友氏の氏寺でしたが、平安時代比叡山の智証大師が寺を復興して延暦寺の別院としたといわれています。伝教大師最澄)の死後、比叡山の慈覚大師と園城寺の智証大師の対立が激しくなり、園城寺はしばしば焼かれたようです。

この対立が結果として、高僧の輩出や、寺の発展を促し、東大寺興福寺延暦寺と共に園城寺は四大寺の一つに数えられるようになったといいます。

園城寺の名称は天武天皇から与えられたといわれていますが、大友与多王が荘園城邑を寄進してできた寺であることによるという説もあります。

前述ように、園城寺の名よりも一般には三井寺の名でよく知られていますが、この名称は天智、天武、持統の三天皇の産湯に使われたと伝えられている井戸があることに由来して、御井の寺とよばれ、これが後に三井寺と言われるようになったとされています。


3.みどころ

1)梵鐘

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「鐘楼」に吊られている梵鐘は「三井晩鐘」(下の写真)といわれているもので、姿の平等院、銘の神護寺といわれている梵鐘と共に声(ね)の三井寺といわれ日本三銘鐘の一つとして有名です。

この「梵鐘」は慶長7年(1602年)に准三宮道澄が弁慶の引き摺り鐘(後述)を模して鋳造したものと伝えられています。

「三井晩鐘」は「近江八景」の一つに数えられ、また、「日本の音風景百選」に認定されており、声(ね)の三井寺といわれているように荘厳な音色は有名です。この「梵鐘」は滋賀県文化財に指定されています。

 

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2)仁王門(大門)

園城寺の正門に当たる「仁王門」は宝徳3年(1451年)の建築で、元は常楽寺にあった門を慶長6年(1601年)にここに移したといわれています。「仁王門」は大寺に相応して堂々とした重厚な造りです。 この「仁王門」は重要文化財に指定されています。

門に安置された金剛力士像は運慶の作とされています。

 


3)金堂

現存の「金堂」は慶長4年(1599年)、豊臣秀吉の夫人北政所によって建てられたといわれており、桃山時代の特色がよくでている代表的な名建築として知られています。見るからに風格があり優美で印象的です。

 

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4)閼伽井屋(あかいや)

「金堂」に近接して西側に小さな建物、「閼伽井屋(あかいや)」(下の写真)が建っています。右端に見えている建物が「金堂」の一部です。「閼伽井屋」は重要文化財に指定されています。

「閼伽井屋」の中に、仏前に供えるための水をくむ霊泉「閼伽井(あかい)」があります。また、この水は天智、天武、持統の三天皇の産湯に使われたと伝えられています。「閼伽井屋」は泉を護り覆っている建屋であり、慶長5年(1600年)に建立されたものといわれています。

 

 

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5)観音堂

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上の写真は「観音堂」正面で、堂内に安置されている本尊「如意輪観世音菩薩」は平安時代の作とされ、三十三年毎に開扉される秘仏である。本尊の他に、愛染明王坐像、蓮如上人木像が安置されています。本尊「如意輪観世音菩薩」、「愛染明王坐像」は重要文化財に指定されています。


観音堂」前の広場の隅にある石段を上ると展望台があり、大津市街や琵琶湖を遠望することができる。下の写真は展望所から見た観音堂札所伽藍である。

写真下の大きな建物が「観音堂」、中央手前は「手水舎」、広場奥に見える左側の建物は「百体堂」、右側は「観月舞台」になります。

 

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4.四方山話

大伽藍です。みどころ盛沢山、で1時間2時間では見て回れません。再度を期して辞しました。

 


第十三番 石山寺

東大門

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瀬田川のほとりに建っていて、観音信仰が盛んになった平安時代には"石山詣で"も流行し、今も多くの参拝者が訪れます。国宝に指定されている本堂は硅灰石(けいかいせき)と呼ばれる岩盤の上に建っていて、境内のあちこちでその岩肌を見ることができます。また三十三年に一度開帳されるご本尊も硅灰石の上に座っていることでも知られています。本堂入り口近くの小部屋は「源氏の間」と呼ばれていて、紫式部源氏物語を着想したと言われています。


1.アクセス

所在地 滋賀県大津市石山寺1丁目1-1
連絡先 077-537-0013

拝観時間 8:00〜16:30
納経時間 9:00〜16:00

・京都方面からは名神高速道路瀬田西I.C.より
・名古屋方面からは名神高速道路瀬田東I.C.より
・宇治方面からは京滋バイパス石山I.C.より


1)駐車場

石山寺観光駐車場が徒歩1分であり120台のキャパがあるそうで600円を入口で徴収されます。

東大門をくぐり、石畳の参道を奥に進むと、拝観受付があり600円を納めます。


2)境内図

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2.縁起

御本尊 如意輪観世音菩薩 創建 天平19年(747年)

東大寺の大仏鋳造のための黄金を得るために、聖武天皇は良辨僧正に祈願を命じました。比良明神のお告げに基づき、良辨僧正が石山の霊地で祈願を行ったところ、陸奥の地で黄金が発掘されたといいます。

天平勝宝元年(749年)、良辨僧正はこの地に石山院を設けたといわれており、これが石山寺の創始と伝えられています。

一方で、平城京を建設するに際し、瀬田川を通じて奈良に木材を運んだようで、それを監督する役所を石山に置いたといわれていて、この役所が石山寺の起源であるという説もあります。

その後、天平宝字5年(761年)に増改築が行われ石山寺の体裁が整えられたとされています。10世紀の初めには宇多法皇行幸が何回かあり、それ以来、都の皇族、貴族たちの石山寺への祈願が流行し、また、祈願参籠の後、琵琶湖での舟遊びなど遊覧の地としても栄えたといわれています。

当初は官寺であったが、後に、観音信仰の厚い霊場として多くの人の参詣を見るようになりました。


3.みどころ

1)東大門

石山寺の境内入口に当たる山門は「東大門」と呼ばれ瀬田川に面して東向きに建てられています。

「東大門」は建久元年(1190年)、源頼朝の寄進により建てられとされ、その後、慶長年間(1596~1615)に大規模な修理、改造が行われています。深い軒など古寺にふさわしい造りになっています。「東大門」は重要文化財に指定されています。


2)珪灰石

下の写真は「珪灰石」を近くから見たものです。「珪灰石」は石灰石が熱作用により変成した岩で、石山寺の「珪灰石」は変成による褶曲の様子がよくわかりますが、このように褶曲が明らかにわかるような巨大な岩石群は数少なく、極めて貴重なものであるといわれています。

石山寺の名前もこれに由来しているという説もあって、この珪灰石を中心として、伽藍がその周りに配置されているような形になっています。

上述のように、極めて貴重な「珪灰石」であることから国の天然記念物に指定されています。

 

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3)本堂

「本堂」は懸造りで、懸造りの様子は「本堂」の南側から見ることが出来ます。

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「本堂」は滋賀県最古の木造建築物とされていて、内陣は平安時代中期の建築、外陣(礼堂)は慶長7年(1602年)に淀君の寄進により増築されたといわれていますが、その際、本堂全体が修理されました。「本堂」は国宝に指定されています。

 

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4)多宝塔

本堂の東北側で小高い場所に「多宝塔」(左の写真)が建てられています。この塔は建久5年(1194年)、源頼朝の寄進で建てられ、その後、慶長年間(1596~1615年)に修理が行われたようで、日本最古の多宝塔といわれています。

「多宝塔」の姿は見たとおり優美で、かつて切手のデザインに使われたことがあります。「多宝塔」は国宝に指定されている。

 

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5)紫式部源氏の間

「本堂」の外陣礼堂への入口北側に上述したように花頭窓のある小さな部屋があるが、これが「紫式部源氏の間」です。

今から約千年前の寛弘元年八月に、紫式部はこの部屋から名月が湖面に映る景色を見て構想の赴くままに筆を採ったのが「源氏物語」であるといいます。ただ、源氏物語の構想は月光に照らされた珪灰石の石群を見て生まれたもの、ともいわれています。

 

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4.四方山話

ここも天下の名刹で、みどころ盛沢山、で1時間2時間では見て回れません。またまた、再度を期して辞しました。

 

第十二番 岩間寺

本堂

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静寂に包まれた境内には、日本一の桂の大樹群や、芭蕉の池、雷神爪堀湧泉等があり、歴史と自然が共存する。東海自然歩道も通っていて、四季折々の自然が楽しめる山寺。ご本尊は、三重の厨子に納められた御丈十五センチの千手観音で、"雷除け観音""汗かき観音""厄除け観音""ぼけ封じ観音"と呼ばれている。 雷が爪で掘った雷神爪堀湧泉は"不老長寿の水"と呼ばれていて、健康長寿ぼけ封じを願う参拝者も多く訪れる。


1.アクセス

京滋バイパス石山ICから車で15分
・毎月17日は石山駅から無料直通バスが数本出ているので利用することもできます。

所在地 滋賀県大津市石山内畑町82
連絡先 077-534-2412

拝観時間 9:00〜16:30
納経時間 9:00〜16:30


1)駐車場

参道最深部に無料で普通車を止めることが可能で、参拝後、本堂内の納経所で入山拝観料500円を志納します。


2)境内図

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2.縁起

御本尊 千手観世音菩薩 創建 養老6年(722年)

泰澄和尚が女帝元正天皇の厄年の病気を法力で平癒させたことの褒美として、養老6年(722年)に勅命により建立されたのがこの寺の創始と伝えられます。
泰澄和尚は当地にあった桂の木から陀羅尼を感得し、自らこの木で千手観音像を刻み、元正天皇より賜った千手観音を胎内仏として込め、本尊としたといわれています。


3.みどころ

1)芭蕉の池

本堂に隣接して東側に「芭蕉の池」と呼ばれている小さな池があります。
松尾芭蕉はこの寺の観音様を信仰し、供養塔を建立したところ、忽ちにして霊験を蒙り、有名な句「古池や蛙飛び込む水の音」が世に出たとされている。この句にある「古池」がこの池だそうです。

 

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2)ぼけ封じ観音

正法寺は、「ぼけ封じ」の寺として知られていて「ぼけ封じほうろく灸」といわれる、ぼけ封じ祈願が毎年5月、10月に行われています。

 

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3)夫婦桂

正法寺を開山した「泰澄(たいちょう)大師」が桂の霊木で「千手観世音菩薩像」を刻んみました。その桂の切り株から芽生えたという木が、本堂の前に、霊木「夫婦桂」として保存されています。

 

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4.四方山話

現存の「本堂」は天正5年(1577年)に再建されもので、寛永年間(江戸中期)に解体修理されたそうです。

安置されている本尊千手観音像は元正天皇の念持仏で高さ約15cmの金銅仏といわれ、秘仏であり直接拝観は出来ません。

本尊は毎夜、厨子を抜け出し、苦しむ人々を救済するために駆けめぐって、汗びっしょりになって朝帰りするといわれており、「汗かき観音」の別名があります。


まとめ

今回、8時12分長命寺入り、4時26分岩間寺終了と目一杯の巡礼となりましたが、古刹名刹ぞろいでみどころ満載なのですが、半分も拝観できなかったように思われます。
廻れるうちに、三十三所を満願し、後に気に入ったお寺を再訪する目標が新たにできました。