凸凹玉手箱

A Post-Baiby Boomer

映画『チャップリンの独裁者』非常に面白くたいへんに感動的な反戦映画です!!

チャップリンの独裁者(The Great Dictator)』または『独裁者』は、1940年に公開されたアメリカ映画で、チャールズ・チャップリンが監督・製作・脚本・主演を務めました。

目次

 

 

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1.紹介

第一次世界大戦後、当時ドイツ国の指導者で、オーストリア併合やポーランド侵攻ユダヤ人虐待などを行ったアドルフ・ヒトラーの独裁政治をチャップリンが、批判した作品で、近隣諸国に対する軍事侵略を進めるヒトラーファシズムに対して非常に大胆に非難と風刺をしつつ、ヨーロッパにおけるユダヤ人の苦況をコミカルながらも生々しく描いています。


2.ストーリー

1)プロローグ

時代は1918年の第一次世界大戦末期、ユダヤ人の理髪師である、トメニア軍砲兵部隊の兵卒オムラー(チャールズ・チャップリン)は、戦地で奮闘していました。

敵が前線を突破したとの連絡を受け、オムラーらは突撃を開始しますが、彼は部隊とはぐれてしまいます。

空軍将校シュルツ(レジナルド・ガーディナー)と出くわしたオムラーは、負傷した彼を戦闘機に乗せて敵の襲撃を逃れました。

 

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将軍に届ける書類を、オムラーに預けたシュルツは気を失いかけ、機体は逆さまになり、燃料も亡くなってしまいます。

機体は自陣に墜落し、二人は無事ではありましたが、勝利のために書類を将軍に届けようとするシュルツは敗戦を知らされ、オムラーは負傷して病院に運ばれました。


2)20年後

その後、世界情勢は激変し、トメニアは、独裁者アデノイド・ヒンケル(チャールズ・チャップリン)が政権を掌握します。

オムラーは記憶を失い、長年の闘病生活で、ヒンケルの抑圧政治など知る由もありませんでした。

アーリア人優位を唱える、ファシスト政党「ダブル・クロス」は、独裁者ヒンケルの下で、戦争相のヘリング元帥(ビリー・ギルバート)と、内務相兼宣伝相のガービッチ(ヘンリー・ダニエル)を側近に従え、国民の熱狂的な支持を得ていました。

演説を終えたヒンケルは、国民の不満をユダヤ人に向けるよう、さらに過激な発言をするべきとガービッチに指摘されました。


3)ユダヤ人ゲットー

家族を亡くしたハンナ(ポーレット・ゴダード)は、老夫婦ジェケル(モーリス・モスコヴィッチ/エマ・ダン)と暮らしていたのですが、突撃隊の嫌がらせにも怯ませんでした。

ある日、オムラーは病院を抜け出してしまい、数週間しかたっていないと思いながら店に戻った彼は、内部が荒れ果てていることに驚きます。

オムラーは、突撃隊員が窓にユダヤ人と書いたのを知り、それを消して抵抗したため、捕えられそうになったところをハンナに助けられました。

再び現れた突撃隊に、オムラーは街頭で吊るされそうになりますが、突撃隊の司令官になっていたシュルツが偶然通りがかり、命の恩人だと言って彼を解放しました。


4)束の間平和

分刻みで公務をこなすヒンケルは、隣国オストリッチ侵攻を画策し、戦費の確保のため、ユダヤ系銀行から資金調達を考えます。

そのためヒンケルは一次的にユダヤ人迫害を中止するようガービッチに命じました。

ハンナの協力で店を再開したオムラーでしたが、ジェケルは、平穏なことを不思議に思っていました。

そんなジェケルは、ハンナがオムラーに恋心を抱いていることに気づき、二人の仲を取り持つのでした。

オムラーが、女らしさもなかったハンナの髪型などを整えてあげるなどする一方、突撃隊も友好的になり、二人は希望を抱き始めました。

 

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5)暗殺計画

世界征服の第一歩の、オストリッチ侵攻のための資金融資を断られたヒンケルは、シュルツを呼び、ゲットーを襲撃する命令を出します。

しかし、シュルツはそれを拒み、ヒンケルを非難したために逮捕連行されました。

幸せを実感していたオムラーは、着飾ったハンナを伴い出掛けるが、ヒンケルの演説が始まり事態は一変します。

突撃隊の襲撃が始まり、オムラーやジェケルらは襲われますが、そこでもシュルツの命令により彼らは救われました。

しかし、シュルツの逮捕が知らされ、それがオムラーのせいにされたため、ハンナとジェケルは彼を逃がそうとします。

店を焼かれたオムラーは絶望しますが、ハンナが、希望を捨てずにオストリッチに逃げることを提案するのでした。

ジェケルはシュルツを匿い、クーデターを考える彼の意見を聞き、仲間の中から犠牲者を一人選ぶことになりました。

焼き菓子の中のコインで、それを決めるはずでしたが、ハンナが全てにコインを入れ、馬鹿げた計画を非難して中止となりました。

翌日、シュルツがゲットーにいることが知られてしまい、彼と関係するオムラーが尋問されることになり、ハンナとジェケルらは、オムラーとシュルツを逃がそうとしますが、二人は突撃隊に捕えられ、強制収容所に送られることになりました。

一方、ゲットーから逃れたハンナとジェケルらはオストリッチに向かい、彼の弟のブドウ園で暮らすようになりました。

オムラーは、ハンナからの手紙を支えに毎日を過ごしました。


6)せめぎあい

オストリッチ侵攻の準備が整ったヒンケルは、功労者であるヘリングを称えましたが、そこに、バクテリアの独裁者であるベンツィーニ・ナパロニ(ジャック・オーキー)が、6万の兵と共にオストリッチに迫っているという連絡が入るります。

ヒンケルは、一転、ヘリングを非難してバクテリアに宣戦布告すると息巻きますが、ナパロニから、オストリッチ侵攻に関しての話し合いを求められ、それを受け入れました。

ヒンケルは自らナパロニを出迎え、二人は、300万近い人々に見守られながら官邸へと向かいます。

会談を前にして、あくまで優位に立った話し合いを進めるよう、ガービッチはヒンケルに助言しました。

しかし、ヒンケルは、遠慮のないナパロニに圧倒され、軍隊のパレードに出席した後、舞踏会で彼を歓迎するのでした。

その後、両者の話し合いが始まって、お互い侵攻をしないことで合意するために、ヒンケルは、国境の軍の撤退をナパロニに求めます。

ナパロニは、先に誓約書の署名を求めますが、ヒンケルは撤退が先だと譲らず、二人は争いになりました。

署名だけして、撤退後に侵攻すればいいと言うガービッチの助言で、ヒンケルはそれに同意するのでした。

 

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7)大逆転

その頃、シュルツとオムラーは、士官の軍服を奪い収容所を脱走しオストリッチ国境に向かいます。

同じ頃、猟をしていたヒンケルは、脱走したオムラーと間違われて捕えられてしまいました。

国境では、オムラーがヒンケルと思われ、侵攻準備が整った突撃隊に歓迎され、シュルツもヒンケル(オムラー)と一緒だったために、疑われることもなく、軍と共にオストリッチの国境を越えることになりました。

その後、ユダヤ人への迫害は強まり、ハンナやジェケルも捕えられました。

オストリッチ国民はヒンケルを歓迎し、間違えられていたオムラーは、世界に向けて演説することになりました。

ガービッチとヘリングは、ヒンケルがシュルツを伴っていることに疑問を抱きます。

民主主義や自由を排除し、ヒンケル服従する事こそが平和への道だと説いたガービッチは、彼を称えるのでした。

しかしながら、シュルツに促され演説を始めたオムラーは、支配者の奴隷になっている人々や兵士に、民主主義の考えの下にある、自分自身の中の力を、世界平和のために、独裁者達と戦い使うことを訴えました。

民衆は歓喜し、オムラーの、ハンナに語り掛けて希望を与える言葉は、絶望する彼女やジェケルらにも伝わるのでした。

 

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3.四方山話

1)みどころ

チャップリンの初めてのトーキー映画です。 風船状の地球儀と戯れるシーンはしなやかなバレエのような動きの美しさでヒンケルの狂気と独裁者の孤独が表現されていてその高い芸術性に何回観てもぞくぞくします。

 

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また、有名な、ブラームスのハンガリアン舞曲5番に合わせて客の髭を剃るシーンはサイレント時代のパントマイムの王者の風格が見事です。
ラストの演説シーンはちょっと唐突といえないことも無いのですが、韻をふんだ美しい演説で且つ平和を訴える内容も素晴らしいのです。



2)ドイツ語風

アドルフ・ヒットラーは演説が上手で群集を魅了したといわれますが、チャップリン演じるヒンケルの演説はドイツ料理の名前や片言ドイツ語を適当に交えたインチキ・トメニア語(ドイツ語風)が散りばめられていながらそれなりに聞こえています。
このギャグで思い浮かべるのがタモリの四ヶ国後麻雀ですが、ドイツ語風他で「はとバスのガイド」を「徹子の部屋」でやっていました。

 

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3)きっかけ

ある説によると1935年にヒトラーユダヤ人を迫害するための法律である「ニュールンベルグ法」を制定した頃、すでに彼はヒトラーについての映画を作る準備を始めていたともいわれています。確かなのは、彼が本作の脚本に着手した1938年は、ナチス・ドイツミュンヘン会議により、オーストラリア、チェコ併合を認められた年であり、ユダヤ人の国外追放を開始した年でもあったということです。


4)奇遇

本作で、チャップリンは、アドルフ・ヒトラーのパロディ・キャラクターを演ずるのですが、彼の誕生日1889年4月16日が、ヒトラーより4日早いだけで、本作を作る運命だったとも言えなくもなく、当時のナチスの勢力を考えれば、正に命懸けの企画であったとも言えます。


5)忖度

初公開当時にドイツと同盟関係にあった日本では公開されませんで、日本初公開は第二次世界大戦終戦から15年、サンフランシスコ講和条約締結から8年後の1960年でした。しかし、日本でもヒットし興業収入は1億6800万円を記録、この年の興業収入第4位となりました。

 

4.まとめ

映画全体のテーマは反戦であり反暴力でしょうが、随所にユーモアや温かさがちりばめられていてチャップリンならではの上質なコメディー仕立てとなっています。