映画『鉄道員(ぽっぽや)』高倉健が男のファンタジーをみせてくれました?!
この映画『鉄道員(ぽっぽや)』は、浅田次郎原作の小説を、降旗康男監督と、カメラマン池田大作が北海道ロケを敢行し撮られました。1999年公開作品で、その年の日本アカデミー賞の最優秀賞を総なめにしました。
目次
1.概要
高倉健が『動乱』以来19年ぶりに東映映画に出演した作品で、大竹しのぶとの共演、当時アイドル女優として人気絶頂期だった広末涼子や、映画への出演が初めてであった志村けんの起用、坂本龍一による主題歌なども話題を集めました。
第23回日本アカデミー賞(2000年3月)の最優秀作品賞(降旗康男)、優秀監督賞(降旗康男)、最優秀主演男優賞(高倉健)、最優秀主演女優賞(大竹しのぶ)、最優秀助演男優賞(小林稔侍)など主要部門をほぼ独占しました。
時系列を無視して回想シーンが繰り返され、物語を構成しますが、回想シーンはセピア調にわずかに色付けされていて解りやすくなっています。しかしながら、いかんせん冬の北海道なので、景色はモノトーンになってしまいます。
2.ストーリー
1)プロローグ
真冬の北海道。極寒の地でポツンと経つ駅「幌舞」は、JR幌舞線の終着駅で、既に廃線が決まっていました。
幌舞の駅長を勤める佐藤乙松(高倉健)は、今日も駅に立ち続けていました。
2)一人娘雪子
若い頃は機関車の窯炊きとして、杉浦という同期と汗を流し働いたが、その後、幌舞駅長になってから静江(大竹しのぶ)という女性と結婚し、雪の日に生まれた「雪子」という1人娘も生まれました。ささやかながら、穏やかで幸せな生活も、長くは続きませんでした。
赤ん坊の雪子の異変の兆候は既にあったものの、静江も乗客達の対応に追われていて、高熱を出し唸っていたことでやっと気付き、翌日、静江が電車に乗り込み急いで病院に連れていきました。
乙松はその時にも電車を送り出すため、代わりになってくれる駅員も見つからないまま一人ホームに立っていたのです。
すると一日も立たないうちに、静江から連絡が入り、雪子がもう手の施しようがなく、亡くなったという連絡が入り慟哭します。その後、電車で雪子の亡骸をぎゅっと抱いて、静江が幌舞駅に戻って来ました。
電車は到着しましたが、乗客や運転手が出て来ても静江はまるで出てきません、乙松が車内に入り、涙も枯れ果て凍り付いた表情の静江が座り込んでいました。
「雪子がこんなにひゃっこくなって帰って来たのに、なんであんたは来ないの」
静江はそう言いましたが、乙松は
「仕方ないべ、俺は鉄道員(ぽっぽや)だから」
と言うしかできなかった。静江は怒りの表情で静かに車内から家へ戻って行きました。
その後、雪子の葬儀はしめやかに行われて、埋葬された。その時には杉浦夫婦が佐藤夫婦を支えてくれました。共に働いて来た仲間たちは、雪子の為に雪の中で肩を組み歌ってくれました。
3)現れた少女
そんな事を、ふと思い出した乙松はホームで雪かきをしていると古い日本人形を抱いた、三つ編み姿の女の子(山田さくや)が、走ってやって来ました。
乙松は女の子に声を掛け。
「汽車が見たいなら、もう行ってしまったべ。夕方までは来ないよ」
と教えると、少女は無言でにこっと笑い、汽車を迎え入れる乙松のマネをしました。
それを見て顔がほころぶ乙松は、正月も近いし、誰か里帰りした家の子だろうと思い、駅舎に招き入れると優しく話を聞きました。その後、女の子は去って行ったが、待合室に人形を置いて帰ってしまいました。
乙松は、律儀に落とし物として、人形の記録をつけました。
4)妻静江
そんな折、杉浦仙次(小林稔侍)が乙松を訪ねてきました。
「正月、母ちゃんもいねぇし一人だと寂しいべ」
と、妻明子(田中好子)がこしらえたおせちを片手に、飲み明かしに来てくれたのでした。そして時静江の思い出話も、しみじみと杉浦としました。
静江はその後、病気がちになり最後は一人で電車に乗り病院へ向かったのでした。すっかり弱り力ない静江は、ホームに立つ乙松に笛を吹いて、と優しく微笑みかけました。
乙松は敬礼をし電車を送り出すのでした。
だが、静江はその後入院し、帰らぬ人となりましたた。ずっと静江に付き添っていた杉浦の妻は看取りも出来なかった乙松を責めましたが、夫である杉浦は「乙さんは鉄道員だもの、仕方ない」と嗜めるのでした。
妻を失った夜、乙松は笛をホームで吹いていました。高く強く、そして悲しく。
5)定年
終電を送ったあと、乙松と杉浦は酒に酔いながら昔話で盛り上がりました。だが、そろそろ互いに定年退職を迎える2人です。杉浦はJRを退職後、再開発中で経済的に栄えそうなトマムのホテルで働く事が決まっていました。それとなく杉浦は一緒にいかないかと乙松を誘いますが、乙松は俺はいいよと穏やかに拒否しました。
心配をする杉浦に、乙松は、俺はこれ(鉄道員)しかできない、これしか知らないから。と微笑み、幌舞駅長を最後に引退する事を伝えましが、駅舎を自宅にしているため、廃線したあとはどうするのかはまるで決めていませんでした。
6)だるま食堂
幌舞駅に駅のすぐ近くにある「だるま食堂」の家主、加藤ムネ(奈良岡朋子)と養子の敏行(安藤政信)が訪ねて来ました。
かつて幌舞には大きな炭坑がありました。地方から鉱夫が集い、きつい労働のあとには毎日の様に「だるま食堂」で酒盛りを始めていました。
流れでやってきた福岡・筑豊からの炭坑夫、吉岡肇(志村けん)は酒癖が悪く、1人息子の敏行(松崎駿司)もろくに育てられませんでした。
乙松も、他の炭坑夫に絡んで日頃の悔しさを吐露した吉岡の仲裁をし、励まし家まで送った事もありました。
その後、吉岡は炭鉱事故に巻き込まれ亡くなってしまい、残された敏行を不憫に思い、ムネは養子に彼を受け入れ育てて来たのでした。成長した敏行は料理人を目指し、イタリアへ修行へ、その後、帰国し札幌で自分の店を開店するため、幌舞を久々に訪ね駅舎の乙松に顔を見せたのです。敏行は、すっかり年老いたムネのことを頼むと乙松に願い出ました。
7)小学生の少女
杉浦が酔いつぶれてしまったとき、待合室に忘れた人形を訪ねて、小学六年生ほどの少女(谷口紗耶香)が訪ねて来ました。乙松は二人を姉妹だと思い、なんて美人な姉妹なんだろねぇと笑顔で対応したのでした。
少女は人見知りせず、様々な話を乙松に聞かせました。暖めておいた甘酒を飲ませ、優しく聞く乙松。屋外のトイレが怖いという彼女を優しく案内し、乙松は外で待ちました。
そして少女は乙松の頬に、そっとキスをして去っていきました。
酔い潰れていた杉浦がむくりと起きると「なんだぁ?雪女か?」と茶化しましたが、「雪女にちゅーされたら、凍っちまうべ」と、どこか幸せそうに呟いたのでした。
杉浦も帰り、乙松は、また一人で幌舞駅で粛々と仕事を進めるのでした。
8)訪れた女子高生
そんな折、1人の女子高生(広末涼子)が訪ねて来ました。乙松はてっきり人形を持つ女の子と、小学生ほどのませた少女の姉かと思い話し掛けました。彼女たちは、どうやら寺の住職の孫娘だったらしく思えました。
姉妹みんな、鉄道が大好きだと語る彼女。そしてこの駅も大好きだと、嬉しそうな表情を浮かべ駅舎を歩き回りました。
不器用な乙松の為に、女子高生は鍋をこしらえました。乙松は大変照れ「おれ、こんな優しくて上手い鍋は初めてだ」と、心から感動し美味しそうに啜りました。
「いつ死んでもいいよ…」とつい零してしまうのでした。
その時、寺の住職から電話がかかってきて、お宅のお孫さん達、本当にいい子たちだと乙松は言いましたが、電話の向こうの住職は訝しげな様子に、乙松はっとしました。
あの古ぼけた日本人形はかつて娘の雪子が生まれた時に、街のおもちゃ屋で乙松が勢いあまって買ってしまい、持ち帰ったものの「乙さんのセンスは古くさいのよ、今の子供はもっとテレビゲームとか可愛い着せ替え人形とかあげないとー」と、静江に笑いながら嗜められたことを思い出したのです。
目の前にいる女子高生が、死んだ筈の雪子だと乙松は気づきました。
「ゆっこか?」
雪子は照れながら「だっていきなり現れたらおとっさん、ビックリするっしょ…」と雪子は恥ずかしそうに微笑みました。
「ゆっこは、俺に小さい頃から成長した姿を見せてくれたんだな」
と乙松は感極まり、雪子をそっと抱きしめました。
かつて雪子の最期を看取れず、本当にすまなかったと泣きながら謝ると雪子は首を振りました。
「だってしょうがないっしょ。お父さんは鉄道員だもん」
と、乙松を赦したのでした。そして、17歳まで成長した姿を見せた安心したのか、振り返ると鍋を残して雪子は消えました。
残された乙松は、日誌に「異常なし」と静かに書き綴ったのでした。
9)エピローグ
次の日、吹雪の中をやってきたラッセル車を出迎える者はいません。乙松は制服姿のまま、ホームで雪に埋もれて息絶えていました。
春になれば、駅舎も閉鎖されてしまう。まるで生き急ぐ様に乙松は鉄道員で最期までホームに立ち一生を終えたのでした。
杉浦たちが迎えに来た中、乙松の棺はキハ12気動車に乗せられ、杉浦の運転するキハ12は静かに幌舞駅から旅立って行きました。
2.四方山話
1)動機
当初、出演に乗り気でなかった高倉健の心を動かしたのは、かつての仲間たちの姿でした。『網走番外地』シリーズなどで苦楽を共にしてきた製作陣が定年を迎えるにあたり、高倉健との仕事を熱望していると聞き、参加を決意しました。本作で、愚直なまでに鉄道員(ぽっぽや)一筋で生きてきた定年間近の乙松の姿は、今作をもって映画製作から離れる生粋の「活動屋」たちと被ってきます。
2)テネシーワルツ
劇中で乙松の妻・静枝(大竹しのぶ)が口ずさんだのが「テネシーワルツ」でした。これについては、この映画の主人公夫婦にふさわしいテーマ音楽を決める際に、チエミの元夫である高倉健が「僕なら、テネシー・ワルツですね」と発言したことによったそうですが、降旗康男監督が本楽曲を映画のテーマソングにすることを高倉に告げた際には、高倉は「個人的」と渋ったそうです。
この曲は高倉健のかつての妻である故江利チエミの代表曲として知られ、健さんにとっても特別な曲でした。「この曲を使うなら芝居できない」と渋る高倉健を、降旗監督は「これが僕の、あるいは健さんの最後の作品になるかもしれない。だから個人的なことが入っていてもいいじゃないか。個人的であるがゆえ、余計にいいんじゃないか?」と説得したそうです。
3)志村けん
2020年4月3日に放送された「ダウンタウンなう」(フジテレビ系)で、志村けんを追悼し、2016年1月に出演した回を改めて振り返っています。
志村さんは、1999年、49歳の時に映画「鉄道員(ぽっぽや)」で高倉健さんと共演しています。
坂上忍が「(鉄道員(ぽっぽや)に)出るきっかけは何だったんですか?(オファーは)高倉健さんの方から?」と尋ねると、「僕の聞いたところでは、高倉健さんの方が『ちょっと共演してみたい』とおっしゃったと言うんで。
あの役はないんですよ、本(台本)には。で、急きょ(役を)作って。本当は台本では寝てるだけだったんですが「もったいないから酔わせて歩かせろ」って。現場で「酔って歌ってくれ」って言われてと当時出演に至った経緯を語っていました。
そして本作が、2020年12月公開予定の映画『キネマの神様』に主演予定でしたが、クランクインを待たずに急逝したため、本作が生涯唯一の映画出演作となりました。
4)投影
本作で、乙松は、生後2カ月のひとり娘を亡くした日も、最愛の妻を病気で亡くした日も、休むことなくずっと駅に立ち続けました。高倉健もまた、『あ・うん』撮影中に母親死去の報を受け、スタッフから帰郷をすすめられましたが、それを断り撮影を続けました。病院に駆け付けたい思いを必死に抑えながら気丈に駅を守る乙松は、高倉健そのものなのでした。
5)佐藤乙松
高倉健が晩年まで「乙松」という鉄道員を愛していたという、素敵なエピソードがあります。健さんが敬愛する志村喬さんの博物館での一コマ。何度もお忍びで足を運んでいた健さんは、近くに住む食堂の主人が「元鉄道員」だということを知り、とても喜びながら「俺も鉄道員なんですよ」と言われたといいます。ずっと高倉健の中にも「乙松」という人物が優しく寄り添っていたのかもしれません。不器用でありながら実直で仕事を邁進した男、佐藤乙松、高倉健と被ります。
6)原作について
浅田次郎は、「散歩しているときに、あの(鉄道員の)ストーリー全部が一瞬にして頭の中に降って来た」と語っています。
4.まとめ
主人公の乙松は、幸薄かった乙松の人生は鉄道員として死ななければ、救われなかっただろうし、最期に幸せを噛みしめ仕事を全うして亡くなるわけで、物悲しいけれども綺麗な人生の幕引きに心打たれた作品でした。
今となっては、本作を、昭和の人生観の押し売りとか、ブラックJRとか言う人もいますが、これはファンタジーなのです。こうあるべき、こうあってほしい結末を見せてくれました。