映画『エイリアン』ホラーSFの傑作、レジェンド映画の誕生・撮影秘話・ネタバレあらすじです!!
この映画『エイリアン(Alien)』は、リドリー・スコット監督による1979年公開のアメリカのSFホラー映画です。
本作は、監督のリドリー・スコットや主演のシガニー・ウィーバーの出世作でもあり、外国人を意味する名詞「エイリアン(Alien)」が、「(攻撃的な)異星人」を意味する単語として広く定着するきっかけともなりました。
大型宇宙船の薄暗い閉鎖された空間の中で、そこに入り込んだ得体の知れないもの(エイリアン)に乗組員たちが次々と襲われる恐怖を描いたSFホラーの古典であり、傑作です。続編が3本、リブート作が2本、さらに「プレデター」とのコラボ作が2本あります。
目次
1.『エイリアン』誕生秘話
1)習作
『エイリアン』シリーズのそもそもの萌芽は、ロサンゼルス在住の2人の大学生が、映画学科の卒業製作として企画した映画『ダーク・スター』にありました。若く無名の2人はジョン・カーペンター(監督・脚本)とダン・オバノン(脚本・主演)といい、ともにSFとホラーの小説・映画・コミックに大きな影響を受けていました。
『ダーク・スター』(1974年)は最終的に商業映画として完成し、2人のデビュー作となりましたが、映画祭などで一部の観客に注目されたのみで終わります。コンビ解消後のカーペンターの成功はよく知られたところですが、ここで重要なのはオバノンのほうで、人気SF小説『デューン』映画化の準備で渡欧した彼は、企画の中止によって夢破れて帰国しました。
2)SFホラーへ変針
演劇出身の友人ロナルド・シャセットと組んで、起死回生のオリジナル脚本を書こうとしたとき、脳裏に浮かんだのが、コメディのつもりで作った『ダーク・スター』が、観客にまったく笑ってもらえなかったという前作の失敗体験でした。
それならば、同じように宇宙船の船内を舞台にして、同じようにモンスターの出てくる宇宙SFを、風刺と笑いではなく、スリルと恐怖に満ちた本格ホラーSFとして作ったらどうか。映画『遊星よりの物体X』(1951年)や、H・P・ラヴクラフトの小説からの影響を混ぜ合わせて、人々が震え上がるような映画を作ろうとしました。
1年がかりで脚本を完成させたオバノンとシャセットだが、まさかこの一念が、38年間つづく映画シリーズの礎になるとは、思わなかったに違いありません。
ノヴェライズの冒頭にまず、ダン・オバノンとロナルド・シャセットへの献辞があるのは、これが理由だし、それを判っているからこそ、アラン・ディーン・フォスターという作家は信頼できるのでしょう。
3)映画化へ
2人の脚本を読み、プロデューサーを引き受けたのがウォルター・ヒルです。ハリウッドの脚本家・監督として活躍していた彼は、脚本に重大な変更を加えました。6人いた宇宙船の乗員に、7人目として人造人間=アンドロイドの登場人物を追加したのです。
これもまた、この時点では予想もしなかったでしょうが、人類とエイリアンのあいだにどちらでもないアンドロイドを置いた設定が、シリーズの世界に複雑さを与え、歴代のアンドロイドの名キャラクターと、彼らを製造した企業支配の社会という背景を生み出しました。アンドロイドを抜きにしてはありえない『プロメテウス』『エイリアン:コヴェナント』の物語も、ウォルター・ヒルの貢献に端を発しているといえるでしょう。
一方で、「外来の、異質なもの」を意味する「エイリアン」という単語を、映画の思わせぶりな題名として提案したのはダン・オバノンで、おかげで今ではすっかり、凶暴な宇宙怪物をエイリアンと呼ぶようになってしまいました。
4)新人監督
そしてここで監督として採用されたのが、カンヌ映画祭で新人賞を受賞したばかりの、ほとんど無名のイギリス人CFディレクター、リドリー・スコットでした。
今では、あらゆるSF映画オールタイムベストの上位に、必ず入っている『エイリアン』と『ブレードランナー』ですが、この2本を監督したリドリー・スコット自身は、まったくSFファンではなかったことはよく知られています。
しかしながら、宇宙船を長距離トラックに見立て、船内セットを徹底的に汚すように指示したのもスコットだし、乗組員の7人に、無名でもいいから演技派俳優を揃えることを求めたのも彼で、すべての絵コンテを描き、特撮シーンの演出をしたのも彼でした。そしてそのすべてが、従来のSF映画とは違う『エイリアン』の美点になりました。
5)デザイナー
リドリー・スコットは、SFにくわしいダン・オバノンを信頼し、彼が連れてきた『デューン』組のデザイナー(H・R・ギーガー、クリス・フォス、メビウス)を歓迎しました。特に、世界的には無名だったスイスのシュールレアリスム画家ギーガーの画集から、一枚の怪物画を選び出し、それをそのまま成体エイリアン(ゼノモーフ)のデザインに採用したことは、シリーズの成功にどれほど寄与したかわかりません。
製作会社の反対を押し切って、ギーガー自身をロンドンの撮影スタジオに呼び寄せて、実際の造形制作を任せたことも、美術にくわしいリドリー・スコットだからこその勇断でした。
6)傑作の誕生
こうして多くの人々の歯車が噛み合い、奇跡的な傑作として『エイリアン』は完成し、世界中のSF映画ファンを熱狂させました。しかし、米本国の興行収入6千万ドルという結果は、ヒットではあるが特大ヒットとはいえない微妙な成績で、第2作までに七年の間が空くことになりました。
2.撮影
1)影響
撮影は1978年の7月5日から10月21日のおよそ3か月半に渡って行われました。オバノンの薦めで『悪魔のいけにえ』(1974年)を見たスコットはこの作品を目安としてデザイナーに指示を与えました。また、もっとも感銘を受けたホラーとして『エクソシスト』(1973年)を挙げ、何度も見直し研究を重ねました。ほか、『2001年宇宙の旅』にも影響を受けています。
2)スタジオ
スタジオはイギリス、ロンドンの郊外にあるシェパートン・スタジオが使用されました。ハリウッドに比べ費用が安く済むことと、イギリスには優れた美術スタッフや、製作に必要なプラモデルメーカーがいることなどが理由でした。
撮影のためにスタジオ内のA、B、C、D、Hの5つのサウンド・ステージが使用され、ノストロモ号のセットはCに、遺棄船のセットはHに造られました。Hは当時ヨーロッパ最大級のサウンド・ステージであり、60m × 100mもの広さがありました。
スコット側からは、『デュエリスト/決闘者』に引き続きパウエルが共同プロデューサーとして、撮影にデレク・バンリント、プロダクション・デザイナーにマイケル・シーモアなどRSAに縁のある人物が参加しました。
3)他
そのほか、編集にテリー・ローリングス、『スター・ウォーズ』で美術監督を務めたレスリー・ディレイ、セットを製作したロジャー・クリスチャン、衣裳を担当したジョン・モロ、『キングコング』の造形に携わったカルロ・ランバルディ、特殊効果担当として『スペース1999』に参加していたブライアン・ジョンソンとニック・アルダーが加わりました。またオバノンはコッブに加えて『デューン』で製作を共にしたフォスとギーガーらデザイナーを企画に呼び集めました。
4)秘密主義
撮影は徹底した秘密主義の下で行われ、いたるところに「見学者立ち入り禁止」の立て札、張り紙が掲示されました。
予算圧縮のためフォックス上層部からの圧力に晒され続けたスコットは不安定な精神状態が続き、時には八つ当たりでセットを破壊してしまったこともありました。また、多くのスタッフが当時の製作現場が緊張に満ちて不愉快だったと証言しています。スコットは、後年「あの時の自分は余裕がなかった。撮影現場に緊張感をもたらした原因の一つは、自分の突き放した態度にもあっただろう」と当時を振り返っています。
3. ストーリー
1)プロローグ
2087年、宇宙貨物船ノストロモ号において、睡眠状態から目を覚ました乗組員、ダラス船長(トム・スケリット)、航海士ケイン(ジョン・ハート)とリプリー(シガニー・ウィーバー)、科学者アッシュ(イアン・ホルム)、機関士のパーカー(ヤフェット・コットー)とブレット(ハリー・ディーン・スタントン)、操縦士ランパート(ヴェロニカ・カートライト)の7人は、地球に帰還途中、発信者不明の信号を傍受しました。
調査に向かうことになった乗組員の中には、不満を訴える者もいましたが、雇用契約上、知的生物の調査が義務付けられていたため、信号が発せられているゼータ第2星団へと向かうことになりました。
2)未知との遭遇
惑星LV-426に降り立った着陸船は、着陸の衝撃で船体を損傷し、その場で修理することになりました。
地表調査後、ダラス、ケイン、ランバートの三人は船外活動を開始し、ある物体の内部に入ります。
しかし、生命体は確認されず、腹部に損傷を受けた化石化した生物が発見されるに留まりました。
その後、ケインが、地下に何かを見つけ降りてみると、そこには一面に卵状の物がありました。そして、ケインがその一つを覗いた瞬間、彼の顔面に何かがまとわりついてしまいました。
ダラスとランバートは、ケインを着陸船に連れ帰るのですが、危険を感じたリプリーは、彼らが船内に入るのを拒みました。
3)未確認生物
しかし、アッシュがハッチを開けてしまい、彼とダラスが、ケインの顔に張り付いている生物(エイリアン)の調査を始めますが、エイリアンは取り去ることは出来ず、切開すると強い酸性の液体が噴出し、船体の床を溶かしてしまうのでした。
リプリーは、エイリアンを船内に入れたことを、規則違反だと言ってアッシュを責めるが、彼は、ケインを助けるために職務を遂行したと反論します。
しばらくすると、エイリアンは、ケインの顔から離れて死んでいましたが、アッシュは、それを地球に持ち帰ることを希望して、ダラスから一任されました。
リプリーはダラスに抗議して警告するが、結局エイリアンは保管されることになりました。
4)恐ろしい生物
修理が済んだ着陸船はノストロモ号に戻り、意識を取り戻したケインは食事をするまでになりました。
しかし、ケインは突然、発作を起こし、新たなエイリアンが彼の胸部から飛び出し、船内に潜んでしまいました。
ケインは宇宙空間に葬られ、乗組員は、エイリアンを手分けをして捜し捕獲を試みます。
しかし、驚くべき早さで成長したエイリアンは、ブレットを咬み殺してしまい、その後、パーカーが火炎放射器を作り、ダクトに逃げ込んだエイリアンを倒そうとしましたが、彼も連絡を絶ってしまいます。
エイリアン退治を焦るパーカーと動揺するランバートを黙らせたリプリーは、2手に分かれて、順番に送気ダクトのハッチを閉めてエイリアンを追い詰め、船外に射出しようと考えました。
5)母船の爆破
その後リプリーは、生命体確保を最優先する指令があったことを知り、それを受けていたアッシュはリプリーを殺そうとします。
そこに、パーカーとランバートが駆けつけ、2人はリプリーを助けて、パーカーはアッシュを叩きのめしますが、首がもげた彼は、何とロボットだったのです。
話せるように再生されたアッシュは、敵の生命体エイリアンは完全生物であって、絶対にかなわないと言い残し、パーカーに焼かれてしまいました。
母船を捨てて、シャトルで脱出することにした3人でしたが、その準備をしている最中に、ランバートとパーカーがエイリアンに殺されてしまいます。
2人の死を確認したリプリーは、母船の爆破装置を作動させますが、シャトル付近にエイリアンがいることに気づき、爆破を解除しようとします。
しかし、爆破は止めることが出来ず、猫のジョーンズを連れて、リプリーは、母船の爆破寸前にシャトルで脱出しました。
6)エピローグ
エイリアンを倒して安心するリプリーは、ジョーンズを睡眠装置に入れ、自分も眠りにつこうとします。
しかしながら、エイリアンがシャトルに乗り移っていたことを知ったリプリーは、宇宙服を着てハッチを開け、エイリアンを船外に放出しました。
そしてリプリーは、ノストロモ号の乗組員が、自分以外は全員死亡したという最終報告を記録して、地球に帰還しようとし、リプリーは安堵の眠りにつくのでした。
4.まとめ
何度みても、わかっていてもドキっとさせられるシーン満載でSFホラー映画のレジェンドに間違いはありません。
1977年に、20世紀フォックス配給の『スター・ウォーズ』や、コロンビア映画の『未知との遭遇』が公開され、SF映画は売れないB級という定説が覆され、一大ブームが到来し、大ヒットしたことで状況は一変しました。
そんな時、20世紀フォックスの手元にあった唯一のSF脚本が『エイリアン』でした。こうして同年10月31日に、『エイリアン』の製作許可が降りエイリアン伝説がスタートしたのです。