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映画『御法度』大島渚の遺作にして大島ワールドの絶品です?!

 

この映画『御法度』は、監督・脚本が大島渚、主演ビートたけしの1999年に公開された時代劇映画です。

目次

 


1.紹介

司馬遼太郎の短編小説集「新選組血風録」収録の「前髪の惣三郎」と「三条磧乱刃」が原作で、幕末の京都を舞台に、新選組を男色の視点で描いた時代劇です。大島渚の13年ぶりの監督作品であり遺作となりました。

映画『戦場のメリークリスマス』(1983年)以来となる監督・大島渚、主演・ビートたけし、音楽・坂本龍一のトリオが復活し、松田優作の息子松田龍平の初出演などで話題となりました。

 



2.ストーリー

1)プロローグ

幕末の京都、西本願寺で、新しく隊士を募るため、新選組一番隊組長沖田総司武田真治)が志願者達と立ち合いを行っていました。

その中に、名は加納惣三郎(松田龍平)という妖しいまでの美貌を持つ青年が1人いました。剣の腕も立つ惣三郎は、志願者の1人田代彪蔵(浅野忠信)と同期入隊することになりました。

2)怪しい気配

新選組局長近藤勇崔洋一)は惣三郎の美しさに興味を持ち、副長土方歳三ビートたけし)はそれを怪訝に思いました。田代は、衆道(男色)の気があって、惣三郎と関係を持とうとしますが、惣三郎は強く拒絶しました。

 

 

やがてひと月もしない内に惣三郎は童貞であると噂されるようになり、隊士達から言い寄られ始めました。沖田はそんな新選組に漂いはじめた空気に嫌悪感を示しますが、惣三郎の剣の腕は認めていました。

しかしながら、惣三郎と田代を立ち合わせると勝つのは田代の方です。その様子に土方は、「こいつら、デキたな」と確信するのでした。ほどなくして、惣三郎と田代が男色関係にあるという噂が流れました。


3)新たな関係

倒幕の動きを見せる長州藩の詮議を行うため、近藤は広島へ向かうことになりました。その頃、惣三郎は土方や沖田と同門の井上源三郎坂上二郎)に出会いました。

井上は、剣の腕はからきし弱いのですが、惣三郎に稽古をつけてやろうと言い出します。惣三郎が手加減しながら稽古を受けていると、それを見ていた不逞浪士2人が「大した芸だ」と嘲笑して去って行きました。

侮辱を受けたとし、新選組は彼らを探し始めます。井上と惣三郎で始末をつけるよう土方が指示を出しました。その一方で、惣三郎は新選組十番隊に属する湯沢藤次郎(田口トモロヲ)から言い寄られ、肉体関係を持ってしまいます。


4)新たな展開

ある日、惣三郎はついに不逞浪士を見つけました。夜になり井上と惣三郎は征伐に向かいますが、沖田はそれを知って土方に報告し、数名の隊士を連れて2人の後を追いかけました。

井上と惣三郎は浪士2人と斬り合いますが、剣の腕は浪士の方が上と見え、井上は骨折、惣三郎も額を斬られ倒れてしまいました。遅れて到着した沖田達は、浪士2人を始末しました。

田代は、負傷した惣三郎を心配して取り乱します。その姿を、湯沢は、嫉妬に狂った目で睨みつけていました。湯沢の惣三郎への執心は益々強くなり、田代と別れるよう迫りました。
惣三郎が承諾しないと見るや、湯沢は田代を斬ると宣言しますが、明朝、湯沢は斬殺体となって発見されました。

 


5)実態を暴け

冬を迎えて、近藤が広島から帰還します。目撃者の証言から土方は、犯人は新選組の人間と見て調べを進めました。一方で近藤から惣三郎に女を経験させるよう指示され、監察の山崎烝トミーズ雅)にその仕事を任せます。山崎は惣三郎を根気よく遊郭へ誘いますが、徹底的に拒否されました。

しかし、惣三郎は山崎自身には好感を持ったようで、ひと月もする頃には「山崎さんは好きです」と微笑むようになっていました。山崎は惣三郎の美貌によろめきながらも共に遊郭へ出かけました。しかし結局のところ、惣三郎が女を抱くことはありませんでした。


6)菊花の約

そんなある日、山崎が夜道を歩いていると、何者かに襲撃されます。応戦した山崎が犯人が逃走の際落とした小柄を発見し、小柄の無い差料を使っている隊士が犯人と見て調査を開始しました。

該当者は田代でした。土方は、報告を受けて惣三郎を巡る嫉妬が動機だと考え、湯沢殺しの下手人も田代だと判断します。近藤は、惣三郎に田代を粛清すること命じ、介添えとして土方と沖田がつくことになりました。

夜、河原で土方と沖田はその時を待ちました。ふいに沖田は「雨月物語」の中の一篇「菊花の約」について話し始めます。強い絆で結ばれた2人の男の物語に沖田は衆道を感じるといいました。土方は、そんな事を考えるのは、沖田が惣三郎に懸想しているからではないかと尋ねます。

沖田ははっきりと否定しました。その内に少し離れた中州に惣三郎と田代が現れます。湯沢殺しも山崎襲撃も否定した田代は、どちらも惣三郎の犯行だと言います。斬り合いになり劣勢に立たされる惣三郎でしたが、惣三郎がとても小さな声で何事か呟くと、急に田代の体から力が抜けました。

 

 

田代は、その隙をつかれ惣三郎にを斬り殺されました。土方と沖田にはその声は聞こえませんでした。彼らは帰路に就きますが、途中で用を思い出したと沖田が中州へ戻っていきました。


7)エピローグ

土方は、沖田が惣三郎に懸想していたのではなく、惣三郎が沖田に懸想していたのだと気付くのでした。

やがて闇の向こうから惣三郎の断末魔の叫びが響きました。そして土方が桜の木を斬り倒しました。

 

3.四方山話

1)遺作

監督大島渚は1995年にこの映画の制作を計画しましたが、脳溢血で倒れたため延期となり、大島の健康の回復を待って1999年にようやく完成させました。

第42回ブルーリボン賞、第42回毎日芸術賞を受賞し、第53回カンヌ国際映画祭に出品しましたが、時代背景などがヨーロッパ人にはわかりにくいためか、受賞は逃しています。

この後、大島の健康状態が再び悪化し、新作のメガホンを執ることなく2013年1月15日に亡くなったため、本作が彼の遺作となりました。


2)着想

本作は、架空のストーリーではありますが、近藤勇の元治元年(1864年)5月20日の書簡に、隊内で男色が流行したと記されています。また衆道の話ではありませんが、島原通いで粛清された加納惣三郎という実在の確認できない隊士の逸話が残っていて、司馬遼太郎はこれらの話に着想を得ていたものでしょう。

本作では、六番組組長井上源三郎が中心となる「三条蹟乱刃」もストーリーに組み込まれ、原作の国枝大二郎の役回りを加納惣三郎が代わりに務めています。


3)衣装

考証面では、新選組物では定番になっている浅葱色のダンダラ模様の隊服を用いないで、ワダ・エミがデザインしました。

黒の隊服の設定は映画版 『壬生義士伝』(2003年)でも用いられていて、実際、新撰組は浅葱色の隊服ではなく、黒の隊服を使用していました。


4.まとめ

まともに芝居の出来る俳優は、浅野忠信田口トモロヲぐらいのキャストに感じましたが、それを映画に仕立て上げる大島渚監督に感銘を受けました。

まさに、大島ワールドであり、遺作となったのが残念です。