この映画『博士の愛した数式』は、小川洋子原作の小説を、監督が小泉堯史、主演は寺尾聰、共演深津絵里、吉岡秀隆などで2006年に制作公開されれました。
目次
1.紹介
交通事故による脳の損傷の後遺症で記憶が80分しか持続しなくなってしまった元数学者「博士」と、彼の新しい家政婦である「私」とその息子「ルート」の心のふれあいを、美しい数式と共に描いた作品です。
「私」の視点で描かれた原作に対し、映画では中学校の数学教師になった29歳のルートが、あるクラスの最初の授業で博士との思い出を語るというものになっています。また、原作では深く描かれなかった博士と未亡人の2人が不義の関係にあったことをうかがわせる、関係についても触れているなどの違いはありますが、原作を概ね忠実に映画化しています。
2.ストーリー
1)プロローグ
高校の数学教師を務めるルート(吉岡秀隆)は、新学期を迎え、あるクラスの最初の授業で自己紹介を始めました。
自分がなぜルートと呼ばれ、そして数学を好きになり教壇に立つようになったのか。話は19年前の博士(寺尾聰)との出会いに遡ります。
2)家政婦の仕事
ルートの母・杏子(深津絵里)は家政婦の仕事をしながらルート(幼年時:齋藤隆成)を一人で育てていました。
家政婦紹介所の中では一番若かったものの、キャリアはすでに10年でした。負けん気の強い杏子は、家事のプロとしての誇りを誰よりも強く持って働いていました。
「義弟の世話をしてほしい」という依頼を受け杏子は、一軒の屋敷に向かいます。依頼人はその屋敷に一人で暮らす未亡人(浅丘ルリ子)で、博士は未亡人の義弟でした。
未亡人は、これまでどの家政婦も長続きせず、この数年間で9人も変わっているのだと話し始めます。
仕事内容は11時から19時まで、博士が暮らす離れで食事と身のまわりの世話をするというものでした。
未亡人は、離れと母屋を行き来しないでほしいと言い、博士が起こしたトラブルは離れの中で解決してほしいと念を押すのでした。
3)博士
博士は交通事故にあって以来、後遺症によって記憶が不自由になり、未亡人もその時の事故が原因で足が不自由になっていました。
話によれば、博士の記憶は1975年の春に2人で興福寺の薪能を観に行った夜で終わっており、記憶が80分しかもたなくなった博士は10年経った今もそれを昨日の出来事だと認識しているのだといいます。
ケンブリッジ大学で数学の研究をしていた博士は大学の数学研究所に就職が決まりますが、その矢先、織物工場を経営していた兄が亡くなってしまいました。
残された未亡人は兄の工場をたたんだ跡地にマンションを建てて別荘に移り住み、家賃収入での暮らしを始めました。ところが交通事故で2人の生活は一変しました。大学の職を失ってしまった博士は、それ以来未亡人の援助を受けて生活してきたのです。
4)初対面
離れを訪れた杏子は、初対面の博士から靴のサイズを尋ねられます。杏子が「24センチです」と答えると、博士は「実に潔い数字だ。4の階乗だ。」と満足そうな表情を浮かべました。
その日から、杏子と博士は玄関先で顔をあわせると毎朝数字の話を繰り返すようになりました。80分で記憶が消えてしまう博士にとって、毎朝顔をあわせる杏子は常に初対面の家政婦だったのです。
博士にとって数字は他人と会話をするための手段でした。博士の背広には、記憶が途切れた時に備えて「僕の記憶は80分しかもたない」「新しい家政婦さんが来る」といった何枚ものメモ用紙が貼り付けられていました。
杏子に10才の息子がいることを知った博士は、幼い子供がひとりで留守番をしていることを不安がり「明日からここに呼んで晩ご飯を一緒に食べればいい」と提案します。
杏子は規約に違反するからと断ろうとしましたが、博士は「約束をやぶったら承知しないぞ」と言って聞きませんでした。
翌日、杏子の息子と対面した博士は嬉しそうに頭をなで、彼が平らな頭をしていたことから「君はルートだ」と名づけるのでした。
5)悲しい過去
母屋から三人の様子を複雑な表情で見つめていた未亡人は、しまってあった手紙を取り出します。
手紙には博士の字で「宿した命のひとしずくを取り戻すことはできないでしょう。道をふみはずした二人に、もう手を取る友達はありません。不幸を共に悲しむ、そうありたいと願っています」という言葉が綴られていました。
6)博士と野球
ある時、ルートと野球の話をしていた博士は好きだった江夏がすでに引退していることを知り、混乱して頭を抱えてしまいました。ルートは「余計な事しゃべるんじゃなかった」と落ち込んでしまいます。
博士を悲しませたくないと考えた二人は「その話はもう聞きました」と決して言わないようにしようと約束するのでした。
博士はたびたび、ルートに算数を教えてくれました。問題が解けず、どんな袋小路に迷い込んだ時でも、博士は必ずなにかいい所を見つけ出し、誇りを与えてくれたのです。
そんな博士にすっかり打ち解けたルートは「野球を教えてほしい」とお願いをします。
学生時代に野球に打ち込んだ博士は身をもって覚えた経験を活かし、少年野球の練習に顔を出しては丁寧に指導してくれるのでした。
7)ルートの怪我
博士の部屋を掃除していた杏子は、論文の隅に書かれた文章に目をとめます。
「永遠に愛するNへ。あなたが忘れてはならない者より」というメモが書かれたその論文には、若い頃の博士と未亡人の写真が挟まれていました。
ある日、ルートは野球の練習中にチームメイトと衝突して気を失ってしまいました。博士は「自分があんなフライを打ち上げなければ」と責任を感じて落ち込んでしまいます。
博士は病院の待合室でルートの回復を不安げに待つ杏子に直線の話を始めます。
「永遠の真実は目に見えない。心で見るんだ。」と語って聞かせた博士は、ルート記号はあらゆる数字を包み込む頑丈な記号だから大丈夫だ、と励ますのでした。
杏子は回復したルートを見て安堵しながらも「どうして博士に子供を任せたりしたんですか」とコーチ(頭師佳孝)に詰め寄りました。
ルートはその時の博士の悲しそうな顔が忘れられず、杏子に反発します。
杏子はたとえ一瞬でも博士を信じられなかったことは間違っていたと反省し、ルートに謝りました。
8)試合観戦
博士が試合を見に来ることを知った杏子は、背番号を工夫してみてはどうか、と思いつきました。二人は博士が好きな阪神の試合映像を見ながら準備を進めていきます。
試合当日、杏子と共に球場に訪れた博士は、子供たちが往年の野球選手の背番号を背負っていることに気づいて目を輝かせました。
杏子は監督と相談して、博士が覚えやすいように背番号を変えてもらっていたのです。博士は夢中になって子供たちを応援しました。
ところがその夜、博士は熱を出して寝込んでしまいました。杏子は夜通し看病を続け、博士は起き上がることができるようになりましたが、この行動が裏目に出てしまいます。
9)クレーム
杏子は家政婦紹介所に「規則をやぶって依頼人の部屋に泊まっている」というクレームが入ったことを知らされます。
杏子は「病人を放ってはおけません。当然の義務を果たしたまでです」と反論しながらも軽率だったと謝罪をしましたが、決定は覆りませんでした。
未亡人からの希望で、杏子は博士の担当を外されることになってしまいました。
他の紹介先で仕事を始めた杏子は、時折ふと博士の言葉を思い出すことがありました。杏子には博士から教わった数学への興味が根づいていました。
しばらく経った頃、未亡人からの連絡を受けた杏子は慌てて屋敷に向かいました。
ルートが今でも博士の元を訪れていることを知った未亡人は、何か意図があるのではないかと勘ぐっていたのです。
杏子は友達に会いに来てはいけないのかと反論しますが、未亡人は記憶が80分しかもたない博士に友達を作ることはできないと一蹴します。
杏子は博士と過ごしたかけがえのない時間を振り返り、「大事なのは、この今ではありませんか」と訴えました。
ルートは一言も話すことができず、うなだれてしまいます。
その様子を見て心を痛めた博士は、背広に留めていたメモ用紙を取り外し「僕には失うものは何もない。ただあるがままを受け入れ、ひと時ひと時を生き抜こうと思う」とつぶやくと、ある公式を書き記しました。
それは無関係にしか見えない数のあいだに自然なつながりを発見したオイラーの公式で、博士がとりわけ愛した公式でした。
未亡人は涙を浮かべて博士が書きのこした公式を見つめていました。
10)お祝い
ふたたび博士の元に通うことになった杏子は博士が送った懸賞論文が採用されたことを知り、ルートの誕生日にあわせて三人でお祝いを開こうと提案します。
自分のお祝いには乗り気ではなかったものの、子供が大好きな博士は誕生祝いの提案に目を輝かせるのでした。
お祝いの席で、杏子とルートは博士に背番号28のコーチジャンパーを贈りました。28という数字は数少ない完全数であると同時に、博士が大好きな江夏の背番号でもありました。
「義弟に頼まれた」と誕生祝いのグローブを届けてくれた未亡人は、二人の過去の出来事を語り始めます。
自分が誘わなければ博士が記憶を失うこともなかったと後悔している未亡人は、もう一つの罪の意識を抱えていました。
未亡人は博士の子供を授かったものの、産む勇気がなく出産を断念したのです。
未亡人は杏子にすべてを任せると話し、これまで閉ざしていた母屋へ通じる木戸を開放して立ち去るのでした。
11)エピローグ
ルートは大学で肘を怪我して野球をやめるまで、そのグローブを大切に使い続けました。
博士と過ごすなかで、ありのままの時間を過ごすことの大切さを教わったルートは、黒板に「時は流れず」という言葉を書き記し、今でも博士と見た夢を追い続けているという言葉で授業を締めくくりました。
3.四方山話
1)原作との相違点
・冒頭、数学教師となったルートが生徒に話をするシーンで物語がスタート
・博士と杏子とルートでプロ野球の阪神戦を観に行くところが、ルートの少年野球を応援に行く
・兄の夫人だった未亡人と博士に関係があったように描かれていたりしていましたが、わかりやすくなっていた
・小説では80分しか記憶がもたない博士の障害がさらに進行したため、ルートの11歳の誕生日のお祝いパーティ後に、専門の療養施設に入ることになり、その後も杏子とルートと未亡人で施設を訪れ、博士が亡くなるまで親交を深めた
・映画では記憶障害の進行には触れず、ルートが成人しても、なお博士を慕い、博士から11歳の誕生日にプレゼントされたグローブでキャッチボールをしているところを杏子と未亡人が遠くからみているシーンで終わる
2)数学用語出現ヶ所
ここが解らないといま一歩理解にふみこめないところもありますが、雰囲気で伝わっては来ます。
①11分、素数の話、 ②28分、友愛数の話、 ③35分、虚数の話、
④53分、完全数の話、⑤89分、オイラーの公式
3)名解説
”映画.com” 清水節
読む者に居住まいを正させるような原作者・小川洋子の凛とした文章は、小泉堯史の風格と品性を伴う演出によって見事に映像に転換された。泣ける映画や愛の物語などと呼ばないでほしい。これは、ただただ純粋に美しい映画である。
4.まとめ
漫然と見ていると区別せずに見てしまいがちですが、この映画は互いにまったく無関係な二つの要素が絡み合って成り立っています。一つは数学用語ともう一つは80分の記憶です。
解らない、退屈、面白い、興味が沸く。奇抜な設定、都合の良い仮定...
細かいことを言わずに大らかに見ていれば、とても気持ちのいい映画です。それで十分でしょう。