凸凹玉手箱

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映画『聖の青春』怪童と呼ばれた棋士の短い生涯を描いています!!

この映画『聖の青春』は、将棋棋士村山聖を題材として、大崎善生の2000年のノンフィクション小説を原作とした、監督森義隆、主演松山ケンイチ東出昌大の共演で2016年11月19日に公開されました。

目次

 

 

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1.紹介

村山聖(むらやまさとし)は、幼少期から腎臓の難病・ネフローゼを患い、入退院を繰り返していました。
入院中のある日、聖少年は父が何気なく勧めた将棋に心を奪われ、その日から 彼は、将棋の最高峰・名人位を獲る夢を抱いて、将棋の道をまっしぐらに突き進み始めました。
羽生善治ら同世代の天才棋士たちとの死闘や、師匠、父と母の深い愛情。自らの命を削りながら将棋を指し、病と闘いながら全力で駆け抜けた壮絶な一生でした。
本作は聖が短い余命を覚悟して「どう死ぬか。どう生きるか」に対峙した最後の4年間の姿にフォーカスして描いています。

 

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2.ストーリー

1)プロローグ

1994年、春。三谷工業のおじさん(中本賢)がシャッターを開け、仕事に出かけようとした時でした。ゴミ収集所に、誰か倒れていました。慌てて、救急車を呼ぼうとした時、足を掴まれ、三谷さんは倒れます。実は、路上に座りこんでいた村山聖松山ケンイチ)24歳でした。
彼は「(関西)将棋会館に連れて行ってください。」と言いい、三谷さんは聖を軽トラの助手席にに乗せて、肩を担ぎ、聖の道案内で、対局室まで入っていって、到着して聖が座ると、すぐに王将戦…田中6段との対局が始まるのでした。三谷さんが下に降りてくると奨励会生が将棋を指して、しのぎを削っていました。三谷「何者なんじゃ、あのアンちゃん」その日の王将戦は勝ちました。


2)遅刻

聖は、対局が無い日は部屋で大好きな少女マンガを読んで過ごしていました。でも、翌日の朝、7段昇段記念パーティーの迎えに来た同じ森信雄奨励会に所属する江川貢(染谷将太)が、背広を取り出し着るように促しても、「いたずらなKiss」を読み続けます。やっとこさスーツに着替えて出かける頃には、すっかり遅刻です。

会場では、師匠の森信雄(リリー・フランキー)が、引き延ばしていましたが、聖が入ってきて、挨拶します。「僕がここまで来れたのは両親や、病院の先生、講演会の皆さま方のおかげです。ありがとうございます。森師匠には、酒と麻雀だけしか習ってません」で一笑いが起きます。
さて、一方で、江川は、3段は取りましたが、その上に行けずあがいていました。講演会の人からの激励は、プレッシャーなだけでした。


3)上京

同じ頃、最大のライバルである羽生善治東出昌大)は、米長邦雄名人を下して、とうとう名人位を含めて5冠を達成していました。そんな羽生と、王将戦の予選で対局し、126手で聖は羽生に敗北しました。
将棋に負けた翌日には、必ず、自宅のアパートで聖は高熱を出して寝込みます。幼少の頃より患っているネフローゼの影響です。腎機能障害によって、タンパク質が尿中に漏れ出す病気です。そのためで、疲れやすく、顔も体もパンパンに膨れ上がってしまうのです。

 

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聖「先生、僕40度やったら死ぬんです。そうじゃなかったら東京に行きます。羽生さんの近くで名人になるんや」見納めと更科食堂を覗き、行きつけの古本屋に行きます。そして「いたずらなKiss」の7巻の取り置きをキャンセルするのでした。


4)東京・将棋会館

東京では、聖の世話役となるライターの橋口(筒井道隆)が待っていました。実は原作者の大崎善生さんです。そして、出会うなり、聖は預金通帳と印鑑を渡すのでした。そしてその足で、橋口が探していた将棋会館から近い幾つかの下宿先候補をめぐります。

聖が将棋を初めたのは、ネフローゼで入院した6歳の時のことでした。父、伸一(北見敏之)がプラスチックの将棋盤と入門書を買ってきたのです。負けず嫌いの聖は入院中に何度も友達と対戦しながら上達していきました。

さて、引っ越しも終わって、聖は、将棋会館に乗り込んでいきます。結局、荒崎学(柄本時生)や橘正一郎(安田顕)が来るまで、誰にも話しかけられませんでした。
そして、名人たちの対局が始まって、荒崎と橘が長期戦になると読んだ時点で聖に意見を聞くのですが、聖は一言「摘みません」というだけです。荒崎は納得がいかずに、聖を飲みにつれ出します。橘は仲裁役で同行します。ですが、聖は酒癖が悪くて、言いたい放題です。でも奨励会員が飛び込んできました。「あれから17手で摘みです」橘「”終盤は村山に聞け”だな」 聖が立ち上がって、帰ろうとした時、倒れてしまいました。翌日、荒崎と聖は対戦して、聖が勝ちました。しかしながら、聖は羽生の対局を見入っているのでした。


5)深刻な体調不良

その後も、聖と荒崎、橘は麻雀をしたり、飲んだりを続けました。一方、羽生はとうとう将棋界の全てのタイトルを総なめして7冠へ到達してしまいました。
聖もそれなりに順調でしたが、ある日、突然路上で倒れてしまいます。医者は、進行性の膀胱がんと診断しました。その日の対局は橘との対局でした。体調不良でも何とか勝ちますが帰宅するのがやっとでした。
帰宅した聖は、医師から何度も手術前の検査を促されましたが、留守電をすぐに消去し、ペットボトルをシビン代わりにして寝て痛みに耐えるのでした。

聖は、ふらりと住み慣れた大阪の街へ戻ってきて、この世の名残を惜しむかのように、更級食堂、古本屋、公園を見て、最後には関西将棋会館へ向かいました。


6)崖っぷちの二人

その将棋会館では、弟弟子の江川が奨励会の年齢制限ギリギリの崖っぷちに立たされていました。明日の一戦に負けると、プロへの道を絶たれるという江川を勇気づけるために聖は稽古をつけました。しかしながら、翌日の対局で、江川は鼻血を出しましたて敗れ、奨励会の退会が決定してしまいます。
その晩、聖は師匠の森、江川の3人で飲み明かします。でも、酔うと酒癖の悪い聖は、店を出ると「こんなもの、死んだら何にもならんのじゃ」とお札を破り捨て、暴言を吐き、江川に殴られます。ゴミ収集所に倒れ込んだ聖は、起き上がり、江川に殴り掛かりますが、倒れ込んでしまうのです。
森が抱え起こす中、江川は、立ったまま泣きました。聖は気分転換に北海道旅行に行き、雪の中、座りこんで、将棋を指し続けるのでした。

 

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7)二人の懇親会

それから帰り、聖はいよいよ羽生とのタイトル戦での対決に臨みます。紋付袴を師匠の森にあつらえてもらって、その大一番は見事に聖の勝利となりました。その晩、関係者の打ち上げ会を抜け出した聖は、羽生を誘い出し、二人だけで2次会へ出かけます。羽生と互いの趣味を語るのですが、聖が、麻雀・競馬というのに対し、羽生の趣味はチェスと、合いません。結局、共通点は将棋だけで、将来の再戦とお互いの健闘を誓い合ました。

 

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8)長期休養

タイトル戦が終わって、病院へ行くと、膀胱がんの状態がステージ3Bまで進行しており、前立腺と膀胱を切除しなければ、余命3ヶ月と宣告されました。
「手術後は最低1年間復帰できない」と聞き、ショックを受けた聖は、麻酔で頭が鈍るので、麻酔なしの手術を希望しましたが、医者に止められます。やはり、対局にも影響したのか、A級から降格した聖は、手術のため長期休養に入ります。
手術は成功し、実家の広島で久しぶりに大好きな吉野家の牛丼を食べ、つかの間の休息を取った聖は、伸一に、トミ子(竹下景子)に内緒で密葬を頼みます。聖は、それまで伸ばし続けた髪と爪を自分で切り、深夜から、将棋を指し始めます。トミ子は止めようとしますが、伸一に止められ、嗚咽するのでした。


9)復帰

医師の反対を振り切って復帰し、はじめての棋戦は、羽生名人との対決でした。緊急事態に備え、ナースが控室に待機しています。特別対局室で深夜まで及んだ熱戦は、誰もが聖の勝ちを予想していたにもかかわらず、聖の痛恨の悪手(68手目7六角)で決着がついてしまいました。
その後、すぐにガンが肝臓に転移して再度入院したのですが、懸命の治療もむなしく、1998年8月8日に29歳で亡くなりました。「2七銀」が最後の言葉でした。
聖の弔問には師匠の森を始めとして、羽生も大阪での対局前に広島までかけつけました。聖には追贈9段が贈られました。


10)エピローグ

聖の死後、橋口は羽生戦後に、B級トーナメントの命を削るような5局で、A級昇格を決めた追悼記事をまとめます。江川は将棋雑誌社へと再就職していました。橋口から託された原稿を入稿するために、自転車に乗ると、聖が将棋会館を見上げて笑っているように思えました。しかしながら、誰も居ないので、再び自転車を漕ぎだしました。

 

3.四方山話

1)原作者

大崎善生の友人が育てていたノンフィクション・ライターが病気で急逝し、その物語の書き手にフィットする人が見つからず、その友人が漏らした「大崎さんが書いてくれるとええんやけどなあ」の一言が転機となって、当時日本将棋連盟出版部に勤めていた大崎が執筆を引き受けました。これが大崎のデビュー作であり、第13回新潮学芸賞、第12回将棋ペンクラブ大賞を受賞しました。


2)『デスノート』由来?

聖役を演じた松山ケンイチさんは、役作りのために20kg増量し、聖の師匠であった森信雄が「本人かと思った」ほどの演技をしていたそうです。憑依型と言われる松山ケンイチらしいエピソードです。
そして、最後の1局は聖役の松山ケンイチと、羽生名人役の東出昌大が、棋譜を完全に覚えて、ノーカットで3時間カメラを回して撮影しました。
東出昌大は、『デスノートLNW』の演技では賛否両論ありましたが、羽生名人の癖をよく研究してて、これまた本人のような演技をしています。
2001年にTBS系でテレビドラマ化されていて、実はその時の聖役は藤原竜也さんでした。つまり、ドラマでは元祖キラ、元祖Lが映画の聖役をやり、そして新デスノートの三島が羽生名人役をしている…と言えなくもありません。


3)羽生世代

本作品のカウンターヒーローである羽生善治は、1990年代から2010年代にかけて、多数のタイトルを獲得した棋士ですが、同時代に活躍したトップ棋士たちの中には、村山聖をはじめとして羽生と年齢が近い者が非常に多かったのです。そこで、これらの強豪棋士たちの総称として羽生世代という言葉が使われるようになりました。
もっとも、羽生世代という言葉は「羽生と年齢が近い強豪棋士」を漠然と指していて、具体的に誰が含まれるのかについてはメディアによってまちまちであり、明確な定義は存在しませんが、本作の主人公村山聖は、その中で、”東の羽生、西の村山”と称されるほどでした。
その実力は、羽生世代のすべての棋士順位戦A級を経験した九段昇段者となったことでも伺えます。早世した村山も没後追贈ではありましたが九段に昇段しています。

 

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4.まとめ

村山聖の他人や自分への厳しさは“自分が病気で、余命わずか”であるからこそ起こる、“他人を羨んでしまう弱さ”から起因するのかもしれません。
決して村山は共感できない人物ではなく、それどころか“人間くさくて憎めない”ところにも、注目してほしいです。
松山ケンイチ東出昌大、の渾身の演技、この手の映画には必ずいるリリー・フランキー、ついでに、安田顕柄本時生、おまけに、染谷将太と観てよかった作品でした。