この映画『わが谷は緑なりき(How Green Was My Valley)』は、ジョン・フォード監督、1941年のアメリカ合衆国のヒューマン・ドラマです。
目次
1.紹介
この作品の原作は、リチャード・レウェリンが書いたベストセラー小説『How Green Was My Valley』で、19世紀末のイギリス・ウェールズ地方のある炭坑町を舞台に、男たちが皆働いているモーガン一家の人々を主人公にした人間ドラマです。この作品でジョン・フォード監督は、善意と誠実さを貫いて生きる人間の姿と魂を描こうとしています。
第14回アカデミー賞において、最優秀作品賞、監督賞、助演男優賞(ドナルド・クリスプ)、撮影賞(白黒部門。アーサー・C・ミラー)、美術賞(リチャード・デイ、ネイサン・ジュラン)、室内装置賞(トーマス・リトル)を受賞しました。
また1990年米国連邦議会図書館がアメリカ国立フィルム登録簿に登録した作品でもあります。そして、この作品を含めて美術を担当したリチャード・デイは、2005年度米国美術監督組合(ADG)の生涯功労者に選ばれています。
2.ストーリー
1)プロローグ
19世紀のウェールズで、炭鉱夫ヒュー・モーガン(ロディ・マクドウォール)は、母親のショールに荷物を包み、50年間の思い出が残る谷を離れようとしています。
かつてこの谷は緑に染まり、ウェールズで一番美しい村でした。
ヒューは、全てのことを教わった父、そして姉や家族のことを想い起こすのでした。
2)出会い
血気盛んで信仰心の厚いモーガン家の男達は、末っ子のヒュー以外は、炭鉱で働いていました。
父グウィリム(ドナルド・クリスプ)、母ベス(サラ・オールグッド)を中心にして、厳格な父の教育と固い絆で一家は結ばれていました。
ある日、長男イヴォール(パトリック・ノウルズ)と結婚することになったブロンウィン”ブロン”(アンナ・リー)が、モーガン家を訪ねて来ます。
ヒューは一目でブロンに恋してしまいますが、彼は大人の儀式から追い出されてしまいました。
そして兄の結婚式の日、式を執り行ったのは、新任のグュリフィド牧師(ウォルター・ピジョン)でした。
ヒューの姉アンハラード(モーリン・オハラ)は、大学でたての、誠実で進歩的でもあるグュリフィドに心惹かれてしまいました。
式が終わり、自宅ではにぎやかなパーティーが催され、グュリフィドも姿を現し、ビールを片手にアンハラードと共に歌い、楽しい時を過ごしました。
3)母子の災難
数日後、炭鉱夫の賃金がカットされ、組合を作る事を主張する息子達と父グウィリムは対立してしまいます。
そして、ヒューを残して息子達は家を出てしまい、一家は両親、姉アンハラードとヒューだけになりました。
やがて炭鉱ではストが始まり、同志でないグウィリムに対し、組合員の村人は冷たい視線を浴びせます。
夫グウィリムの姿を見て居たたまれなくなったベスは、組合の集会場で夫の立場を理解させようと訴えますが、帰り道で凍りつく川に落ちてしまいました。
同行したヒューが助けを呼び、家を出て行った息子達が辛うじて2人を救い出しますが、ベスとヒューは、長い闘病生活を余儀なくされました。
歩けなくなるかもしれないという、医者の言葉にショックを受けたヒューを、グュリフィドが優しく励まします。
そして、その間ヒューは、グュリフィド牧師との交流で文学に目覚めました。
ヒューは、アンハラードやブロンに見守られながら、2階で療養する母と共に、寝たきりの生活を続けます。
やがて春が来て母ベスは回復し、そして、わだかまりの消えた村人達が、モーガン家の入り口に集まりベスの回復を祝福し、家を出ていた息子達も戻ってきました。
長男イヴォールに言葉を求められたベスは、とりあえず村人達を家に招き入れました。
4)それぞれの別れ
モーガン家での楽しい食事が始まるのですが、パリー助祭(アーサー・シールズ)は、 教会にも顔を出さず、組合活動に熱を入れる次男イアント(ジョン・ローダー)に意見を述べます。
牧師の立場で、組合活動を続けるべきだと語るグュリフィドを、パリー助祭は非難して揉めごとになるものの、それをグウィリムがなだめようとします。
グュリフィドのお陰で、家族が元に戻ったことに感謝するアンハラードは、彼が10年もの間、炭鉱夫の経験があることを知り、一層、親近感をもちました。
そんなアンハラードに、グュリフィドも心を寄せるのだが、 自分が貧しい牧師故に、彼女の幸せを考え、軽率な行動は控えるのでした。
ストは、グウィリムとグュリフィド牧師の奮闘で解決するが、人員過剰で仕事にあぶれた者は村の生活に絶望します。
モーガン家でも、息子二人がアメリカに行くと言い出すが、ウィンザー城の女王の前で、イヴォール達が合唱を披露することになり、村は一気に活気付きました。
やがて回復したヒューは、グュリフィドの協力で歩けるようになりました。
そんな時、アンハラードに、炭坑主の子息との縁談が持ち上がり、グュリフィドは彼女と距離を置くようになります。
アンハラードは、自分の気持ちをグュリフィドに伝えますが、彼は、一生を、犠牲と献身に捧げる決心をした自分と同じ道に、彼女を巻き込むことはできないことを語るのでした。
そして、アンハラードは仕方なく、望まない結婚に同意して家を去りました。
5)訪れる不幸
時は流れ、ヒューはモーガン家で初めて学校に通うことになりました。
ヒューは、初登校の日を迎えますが、意地の悪い担任教師と同級生にいじめられてしまいます。
傷だらけになって、ようやく自宅に戻ったヒューは、父グウィリムに、明日も学校に行き立ち向う勇気があるかを聞かれ、うなずいてみせます。
グウィリムは、拳闘の心得があったダイ・バンドー(リス・ウィリアムズ)とシファーザ(バリー・フィッツジェラルド)を呼び寄せ、男ならば戦うということをヒューに教え込みました。
翌日ヒューは喧嘩には勝つが、担任にムチ打たれてしまい、復讐するという兄達を制止し、男になったことを証明しました。
しかし、ダイとシファーザは学校に出向き、担任教師を叩きのめしました。
そんなある日、炭鉱で事故が起き、イヴォールが、トロッコの下敷きになり命を落としてしまいます。
悲しみに暮れる妻ブロンとモーガン家だったが、やがて彼女にはイヴォールとの間の子供が生まれました。
その後ヒューは、主席で学校を卒業しますが、学問の道を選ばず、父や兄達と同じ炭鉱で働くことを決心し、ブロンと暮らすことにしました。
その後、大人達と共に必死に働くヒューでしたが、賃金の高いイアント達が炭鉱を解雇されて、家を去ってゆきます。
6)幸福の終焉
ある日、アンハラードを訪ねたヒューは歓迎されますが、彼女は病人のようにやつれ、グュリフィドのことばかり気にしていました。
その頃から、未だにアンハラードはグュリフィドを慕っていて、いずれ離婚するという噂が広がり、モーガン家の人々を、村人は嘲り笑うようになります。
信仰心の厚い父グウィリムも、教会に足を運ぶことを拒み、娘アンハラードの噂に、意気消沈しながら仕事に向かうのでした。
そして、パリー助祭の呼びかけで教会の集会が始まり、グュリフィドの最後の説教が始まります。
グュリフィドは、自分を支えて頼ってくれた人々には感謝するが、悪意に満ち陰口をたたいた人々の貧しい心を痛烈に非難して退席し、それに参加していたヒューも後に続きました。
村を去る決心をしたグュリフィドは、アンハラードに別れの手紙を書き、ヒューに父から譲り受けたという懐中時計を渡しました。
その時、炭鉱で事故が起きて、グュリフィドとヒューは、母ベスやブロン、そしてアンハラードに見守られながら、志願したダイと共にグウィリムの救出に向かうのでした。
ヒューが父グウィリムを見つけるが、アンハラードらの願いも届かず、彼は力尽き息を引き取りました。
7)エピローグ
やがて、ヒューがこの村を去る時、しみじみ想い起こします。
”今ではボタ山となったこの谷も、かつて人の心は清く、いかに美しい緑の谷だったことか”と...。
3.四方山話
1)制作
ウイリアム・ワイラーの監督予定が、ジョン・フォードに変更されたこの文芸大作は、アイルランド移民のフォード自らの、子供時代の両親兄弟をモデルにしています。
当初は、現地オールロケの予定だったのだが、戦時下のウェールズから、アメリカ国内に変更されました。
2)フォードの後悔
本作に出演した長男のイヴォールの妻であるブローウィン役のアンナ・リーは、実は妊娠していました。しかしながら、監督のフォードはそれを知らずにブローウィンが階段から転げ落ちるシーンを撮影しました。この撮影が原因でアンナは、お腹の中にいた子供を流産してしまいます。フォードは後になってその事実を知り、死ぬまで自分を責め続けたそうです。
3)グュリフィド牧師役
思慮深く強い意志を持つ、進歩的な牧師ウォルター・ピジョンの姿は、冒頭で顔を見せません、成長して村を去るヒューの、心の支えとなる理想の人物像として描かれています。
終盤の彼の牧師としての説得力ある演説は、バリトン歌手だっただけあり、その声量などで、セリフに力強さが加わっていて、本作のテーマである世の不条理と偽善を説いています。
4.まとめ
離散する家族、長い闘病生活、実らぬ愛と望まぬ結婚、学業を諦め働く少年、そして家族の死、ハッピーエンドで終わらない物語、にも拘らず、見終った後のこみ上げる感動、心洗われる清々しい思いは、家族の絆や人々の温かさに支えられ、苦難を乗り越えてきた日々が、故郷を離れ旅立つ主人公(ヒュー)の、生きる希望となっているからでしょう。
それにしても、我が国の炭住の貧しさと月とすっぽんの英国ウェールズの炭鉱労働者の生活環境には驚かされます。