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映画『ヤングガン』80年代かのような青春西部劇です?!


『ヤングガン』は、クリストファー・ケイン監督、エミリオ・エステベス主演で、1988年にアメリカ合衆国で製作された西部劇の映画です。
実在するビリー・ザ・キッドを題材にした映画でニューメキシコ準州リンカーン郡戦争の事件を中心とした物語の作品です。史実と違い作品ではかなり脚色されている内容ですが、結末のプロローグでは史実に合わせた結末を語られているようです。

 

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日本版のあらすじ等ではタイトルに呼応してか「ヤングガン」と呼称されていますが、実際は「自警団(レギュレーターズ)」というのが正式な名称で、作中でも「ヤングガン」と呼ばれる事はありません。さらに中心メンバーであるビリーたちは「アイアン・クラッド」と呼ばれていました。

西部劇の人気者であるビリー・ザ・キッドの活躍を、エミリオ・エステベス(26歳)チャーリー・シーン(22歳)の兄弟、キーファー・サザーランド(21歳)と、当時若手の人気俳優を起用して青春活劇に仕上げています。アイドル映画のような位置づけなのかもしれませんが、個性豊かな若きガンマンたちの心の交流、ぶつかり合いなど人間描写も丁寧に描き、テレンス・スタンプジャック・パランスががっちり脇を固めています。

 

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物語の時は1878年ニューメキシコ州リンカン郡は2つの勢力が対立し緊張の色を濃くしていました。そんな時、一方の勢力であるジョン・タンストール(テレンス・スタンプ)という英国人紳士が、彼の雇っている若者の1人であるドク(キーファー・サザーランド)とよばれる若者とともに町へやってきた時、数十人の男たちに追われる若者と出会い、彼を救ってやりました。


この若者ウィリアム・H・ボニー(エミリオ・エステヴェス)こそ、後のビリー・ザ・キッドでした。タンストールの牧場でビリーはスティーヴ(ダーモット・マルロニー)や、チャーリー(ケーシー・シマスコ)、ブリュワー(チャーリー・シーン)、チャベスルー・ダイアモンド・フィリップス)たちと出会い、タンストールの庇護のもと、次第にビリーも彼ら同様、立派な若者へと成長してゆきます。

しかし、もう一方の勢力のマーフィ(ジャック・パランス)一味の陰謀により、タンストールが惨殺され彼らの運命は一転します。彼の友人であった弁護士アレックス(テリー・オクィン)の尽力により、保安官代行となった彼らは犯人逮捕へ向かいますが、ビリーが無鉄砲にもその1人を撃ち殺してしまい、銃撃戦となってしまいました。その結果、逆に彼らに賞金がかかり追われる立場になってします。

マーフィ一味への復讐を誓った若者たちも、リーダー格のブリュワーが殺し屋に銃殺され、長い逃亡生活の疲れもあり次第に一同の意気は消沈してゆきます。そんな最中若者たちは、保安官パット・ギャレット(パトリック・ウエイン)からアレックス夫婦の命が危ないという情報を手に入れ、彼らを救出に向かいますが、それは若者たちを陥れるための罠でした。

アレックス家に到着するや、若者たちは、マーフィ一味に屋敷を包囲され、やがて、軍隊も繰り出されてきて絶体絶命のそんな時、チャベスの機転で、ビリーとドク、そしてチャベスだけが命からがら包囲陣からの脱出に成功しました。そして逃亡のきわ、ビリーはマーフィに向けて放った復讐の銃弾はマーフィの額を打ち抜いたのでした。


面白いのは、エステベス演じるビリー・ザ・キッドの狂犬っぷりがとにかく異彩を放っていて、手当たり次第に雑魚敵を撃ち殺ます。それを見て仲間がドン引きするというお決まりの流れが何回か繰り返されます。それも、決闘という正々堂々とした戦い方ではなく、小便中の無防備な敵を振り向きざまに撃ったり、撃つ前に相手の拳銃から弾を抜いておくという姑息な手段を嬉々として用いています。ある意味では、映画用に美化されがちなビリー・ザ・キッドを、史実に忠実な荒くれ者としてストレートに描いているとも言えます。

 

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クライマックスの敵と軍隊に包囲されて脱出不能な状態をどうやって活路を開くかというアクションのキモの部分の演出が残念なことに突っ込みどころ満載で、あげつらうと、

説明もなくコソッと脱出して、どこからともなく馬を調達してくるチャベスのヒットはともかく、二階の窓から放り出されたトランクの中からビリーが無傷で登場するは、正面から飛び出してピストル打つだけで包囲網を突破してしまうは、なんと都合のよいこと。そもそも恩人を助けるためにその自宅に来たのに、結局放置してビリー達だけ脱出し、ビリーたち全員が脱出するまで使わなかったガトリング銃を、取り残された丸腰の恩人(そもそもこの人を助けるために来た)に、取って付けたように全弾ぶち込んで殺す騎兵隊。負傷して逃げるビリー達を誰も追跡しないうえ、みすみす勝ったはずのマーフィ一は撃たれてしまいました。

それまでは、史実に忠実にやろうとした脚本、時代考証にこだわったセット、衣装等々、ちゃんとした現代の西部劇を創ろうという意気込みも感じられ、それなりに興味深く観ていたのですが、このラストは端折りすぎというか、もう物語の体も成してなく思われます。

 

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救いなのは、当時のの生きのいいキャスティングの魅力が、画面を通じて伝わってはくる所でしょうか。30年以上昔の映画なのに、エミリオ・エステベスのビリー役は、なんというか、現代受けする実にハマリ役で、映画を引っ張る力にはなっています。
もちろん、ジャック・パランスの悪党ぶりが華を添えているのは言うまでもありません。