凸凹玉手箱

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映画『マディソン郡の橋』ちょっと変わった橋が密やかで甘美なドラマを導き出しました?!

この映画『マディソン郡の橋(The Bridges of Madison County)』は、1992年にアメリカ合衆国で出版されたロバート・ジェームズ・ウォラーの同名ベストセラー小説を原作にした、1995年の恋愛映画です。

クリント・イーストウッドがプロデューサーおよび監督、キャスリーン・ケネディが共同プロデューサー、リチャード・ラグラヴェネーズが脚本を務め、イーストウッドメリル・ストリープが主演しました。

目次

 

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1.制作

この映画、イーストウッドのマルパソ・プロと、スティーヴン・スピルバーグのアンブリン・エンターテインメントの共同製作です。最初に映画化権を獲得したのはスピルバーグだったので、彼は自らの監督、イーストウッドの主演で企画を立てますが、『シンドラーのリスト』の撮影が長引いてしまったため、監督をシドニー・ポラックに委ねまました。

ポラックは監督受諾の条件としてロバート・レッドフォードの主演を要求しました。ここで一度イーストウッドの名前は消え、ポラック=レッドフォードという『追憶』『愛と哀しみの果て』コンビによる映画化が発表されました。このまま進んでいれば、あるいはスピルバーグが監督していれば、甘いラブロマンス映画が完成していたかもしれません。

しかし、この企画は頓挫。再びイーストウッドが浮上し、監督は『ドライビング・ミス・デイジー』のブルース・べレスフォードに決定します。が、今度は主演女優の人選を巡ってべレスフォードは、ヨーロッパの女優を使うことに固執したと言われ、イーストウッドと対立します。

べレスフォードが降板してしまい、結局撮影開始直前になってイーストウッドが監督も兼任ということで現在の形になっているわけです。ヒロインにメリル・ストリープを選んだのもイーストウッド自身で、スタジオはもっと若い女優を要求したらしいのですが、彼は拒否しました。その理由は、カップルの年齢差を少なくして不自然さを消すため、とされていますが、真意は如何でしょう。

 

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2.概略

アイオワ州マディソン郡の片田舎。この地方独特の屋根つきの橋の写真を撮りにやってきた「ナショナル ジオグラフィック」誌のカメラマンと、小さな農場の主婦が出会いました。男はロバート・キンケイド(クリント・イーストウッド)、女はフランチェスカ・ジョンソン(メリル・ストリープ)です。
ごく自然に、あまりにも完璧に、二人は恋に落ちました。それはまるで、生まれる前からずっと、相手に向かって歩いてきたかのように。 

 

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運命の相手と出会い、切ないほどに求め合いながらも、共に生きることを選ばなかった、大人の男と女でした。その、たった4日間の恋を心の中で大切に抱きしめて、二人は二度と会うことなく人生を終えたのでした。 

 

3.二人のプロフィール

1)ロバート・キンケイド

『最後のカウボーイ』それが、キンケイドが自らを定義した言葉です。あらゆるものが決められた場所に収まっている社会の中から、どうしてもはみ出してしまうのです。 52歳の今も、古ぼけたジーンズをはき、オンボロのピックアップ・トラックでどこにでも旅をする男、「今では殆どすたれてしまった人種だ!」そうキンケイドは自嘲します。

 

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彼は、親兄弟も、妻も、友人も持たず、どんな集団にも属さない、完全に孤独な男で、自分が暮らす社会に適応できず、生活の大部分を旅の中で過ごしてきました。世界中のどんな場所へ行き、どんな人に出会っても、内面の孤独は満たされませんでした。

そんなロバートが、フランチェスカになぜ惹かれたのか。それは、彼女が同じ種類の孤独を抱えている女だったからです。フランチェスカは、生まれ故郷のイタリアを遠く離れ、アイオワの片田舎で情熱を封じ込めながら暮らし、家族にも村人にもどこか違和感を感じていました。キンケイドが生まれて初めて見つけた自分の居場所は、フランチェスカと二人だけの、この世でいちばん小さな集団の中にあったのです。

しかしながら、彼女が「私に責任を放棄させないで」と言った時、彼はその意思を尊重します。52歳にして初めて手に入れかけた居場所をあきらめるのです。
彼が強引にフランチェスカを奪い去れば、彼女は抗わなかっただろうし、そう彼に告げてもいました。
しかしフランチェスカがそばにいてくれる幸福よりも、もっと強くキンケイドが望んだのは、辛い選択をも含めた彼女のすべてを、まるごと愛し続けることでした。それが、これまでよりもっと深い孤独のうちに、人生を送る事であったとしてもです。


2)フランチェスカ・ジョンソン

フランチェスカは、アイオワ州の片田舎の農場主の妻です。夫と2人の子供に囲まれ、平凡な主婦として穏やかな毎日を送りながらも、心のどこかで、これは自分が少女の頃に夢見ていた生き方ではないと気づいていました。そして眠たくなるような日常の底に、ほとばしる情熱を秘めているのでした。

 

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しかし、思いもかけなかった出逢いから一生に一度の恋に落ち、誰にも止められないほどの感情を味わいながらも、彼女は愛した男についていくことをあきらめます。そして、彼とのたった4日間の思い出を糧に、その後の二十数年間を生きていくのでした。

フランチェスカがキンケイドについていかなかったのは、夫と子供、そして今の生活そのものに責任があるから、彼女がキンケイドに告げた決定的な別れの言葉は「私に責任を放棄させないで」というものでした。
自分自身の女としての情熱も美しさも知っていながら、ひそやかなあきらめの中に生き、心のなかだけ熱い愛を抱きしめて人生を終えたフランチェスカでした。

フランチェスカが“大人の女”であるのは、夫や子供への責任を全うしたからだけではありません。責任を放棄して家族であった時間を無にしても、次の恋がその無をロバートのせいにして早々に破局する予感があって、そうなるのを恐れるのでした。心が通じ合った4日間を疑うことなく信じ続け、逢えない時間の中で、愛をさらに深く育んで行くことを選択し、全うのできる女性だったからです。

  

 

4.みどころ

この愛はふたりの人生にふいにやってきて、不条理なまでに二人の人生を歪めてしまいます。映画の後半でふたりが味わう苦しみは途方もないものです。

恋愛とはただきれいでうっとりするような甘いものではなく、むしろ破壊的な、残酷なものなのであり、この映画はきちんとそれを描いています。そしてまた、それと表裏一体となって、えもいわれぬ恋の陶酔があるのです。

このようなニュアンスや多義性が、一見単純なメロドラマの骨格を持つこの映画を豊かにしています。もちろん、その功績の多くはメリル・ストリープクリント・イーストウッドの演技に負っているのは言うまでもありません。

雨の中、ずぶぬれになってフランチェスカに近寄ろうとし、諦めて、ただ微笑むだけで去っていくイーストウッドのシーンは泣かせます。恋愛映画の名場面の一つといっていいでしょう。

 

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5.ロケ地

本作『マディソン郡の橋』の舞台となった「ローズマン・ブリッジ( Roseman Covered Bridge)は、アイオワ州ウィンターセットにある橋です。1883年に建設され、1992年に改装されたれました。1976年にアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されています。

この映画が撮影されたアイオワ州では、セットを保存し「フランチェスカの家」として観光名所にしていました。

ところが、このセットは、2003年に放火され、現在は一般公開されていません。タイトルになっている橋のモデルもその前年に焼失。それもまた切ない話です。

 

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6.まとめ

本作に限らず、映画に感じるものは性別、年齢、立場、他さまざまな環境によって違います。本作をメロドラマ、不倫映画、ラブストーリーと、人それぞれに解釈することができるでしょう。
しかしながら、特に本作では、それを結末だけで結論付けるより、それぞれのシーンにおける表情や心情を観る映画であって、そしてそれを自分の人生に照らして感じるものと思い知らされます。

とりあえずは、不倫は絶対許せないという人でなければ見る価値ある映画です。