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映画『ネバダ・スミス』これも王道の西部劇でしょう?!

この映画『ネバダ・スミス(Nevada Smith)』は、ヘンリー・ハサウェイ監督、スティーブ・マックイーン主演による、1966年のアメリカ合衆国の西部劇映画です。ハロルド・ロビンズ原作の小説『大いなる野望』のスピンオフ映画となります。

目次

 

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1.紹介

主人公の混血児マックス・サンドことネバダ・スミスはハロルド・ロビンスの大ベストセラー小説『大いなる野望』(THE CARPETBAGGERS)における魅力的な脇役ですが、これをヒッチコックに高く評価されたシナリオライターのジョン・マイケル・ヘイズが脚色しました。

この小説は、1964年にエドワード・ドミトリクが映画化をしましたが、主人公を演じたのがジョージ・ペパードで、役名はジョナス・コード・ジュニアでした。
つまり、ネバダ・スミスに拳銃の手ほどきをしたジョナス・コードの息子になります。
『大いなる野望』での脇役ネバダ・スミスがあまりに魅力的な人物に描かれていたために、その人物が主人公に仕立て上げられることになったというわけです。

そちらで、ネバダ・スミスを演じたのはアラン・ラッドで、彼の遺作となりましたが、彼のキャリアの中でも「シェーン」と並んでベスト・アクティングと評価される名演でした。

ネバダ・スミス』は後に作られた物語の方が時代が古いという珍しいケースで、『スターウォーズ』シリーズの先駆けでしょうね。


2.ストーリー

1)プロローグ

舞台は、1890年代アメリカ合衆国ネバダ州の片田舎です。古い鉱山跡に、白人男性と、カイオワ族のインディアン女、16歳の少年の3人が、貧しくも慎ましく平和に暮らしていました。
そこへ家への道順をたずねてきた男3人に両親を惨殺されます。変わり果てた両親の姿をみつけた息子のマックス・サンド(スティーブ・マックイーン)は、家を焼きはらうと、すぐその日のうちにならず者を追う復讐の旅に出ました。

 

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2)世間の荒波と情け

マックスは、林の一隅で3人の男たちが野宿をしているのに遭遇しました。馬の歩みを止め、奇襲を企てます。しかしよくみるとまったく違う3人組です。わけを話すと、「まぁ飯でも食え」と親切にされました。しかし明け方、男たちの姿が見当たりません。マックスの所持金8ドル、馬、ライフル銃も、ともに姿を消していました。

歩きどおしで先のみえないマックスを、夜の寒さが襲います。体力の消耗と空腹が彼を苦しめます。荒地に埋もれていた拳銃を手に、空腹を満たそうと考えたマックスは、野営中の男を襲います。しかし相手は弾の入っていない拳銃をすぐに見抜きます。すぐれた目利きをもつガンマンをまえにして、マックスはうなだれてしまいました。


3)ガンマン修業

男はジョナス・コード(ブライアン・キース)といって銃商人です。コードを師と仰ぐようになったマックスは、銃の名人になる教えを請います。
コードはいいます。「いいか、奴らはクズだ。酒場か娼館か、間違っても、教会にはいない」。「どんな汚い手を使ってくるか分からない、おまえもドブネズミになれ」。西部で生き残るための方途と拳銃の腕をコードは授けます。

 

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4)最初の敵討ち

コードと別れたマックスはカウボーイ姿に身を変えて、アビリーンの町へやって来ます。彼はそこでインディアンの娘ニーサ(ジャネット・マーゴリン)を知ります。酒場ではたらくニーサは、店でポーカーをしている男がマックスの捜している男ジェシーマーティン・ランドー)だと告げます。
マックスはジェシーを追い詰めます。死闘の末、復讐を果たしますが、自らも深手を負ってしまいました。

 

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5)刑務所へ

ニーサに救われたマックスは、インディアンの集落で療養します。ニーサの手厚い看護で傷が癒えた彼はふたたび町へ戻りました。
一味のほかのふたりを探そうと、ジェシーの部屋へ忍びこみます。するとジェシーの妻が現れ、ヤクザな夫を葬ったマックスに感謝する妻は、3人組のひとりビルが服役中の身であると話しました。

刑務所へ向かう最短距離は銀行強盗です。銀行員に拳銃を突きつけたマックスはすぐに逮捕され、身柄は検事局から刑務所へ、とんとん拍子に送られます。終点は密林の奥地に建つ囚人キャンプでした。人里離れた地で強制労働に従事する男たち。足枷をはめられたマックスは、囚人たちのなかに一味の男ビル(アーサー・ケネディ)をみつけ出しました。


6)脱獄

マックスは脱獄に着手します。檻の中での復讐もさることながら、檻の外では残るもうひとりが大手を振って歩いています。移監を伝えられたマックスに時間はありません。
囚人キャンプに出入りする女ピラー(スザンヌ・プレシェット)に近づきます。ピラーを自分の女にしたマックスは、地理にくわしい彼女を舵取り役に、ビルとカヌーで沼地を離れました。
毒蛇の棲む沼に囲まれた囚人キャンプから脱走できた囚人はまだいません。追手が迫るなか、マックスは仲間割れを理由にビルに喧嘩を売ります。「インディアン」と口汚くののしるビルにマックスが敏感に反応すると、相手が誰だかビルはやっと理解します。マックスはほとんど狂人のようになってビルを殺害しました。マックスを必死に愛したピラーは、不幸にも毒蛇に噛まれ、その上、マックスの変貌に失意のうちに死亡しました。

 

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7)神父との出逢い

月日が流れ、青臭さを残したかつての青年マックスに逞しさが加わっています。しかも悪人の相が出ているためか、おなじ悪相をもった者たちがよく近づいてきます。悪漢たちの成敗を受けていたある日。マックスは、通りがかりのザッカルディ神父(ラフ・ヴァローネ)に救われます。その足で彼ははじめて教会へ足を踏み入れることになりました。

ザッカルディ神父のもとでマックスは安息の日月を過ごします。教会を去る日、神父は聖書をもたせますが、マックスは拒否します。その姿をかつての自分に重ねる神父は、自らの家族を語り、インディアンに殺害された家族への思いを語ります。しかし迷妄の徒であるマックスに神父の真意は届きません。感謝の言葉もそこそこに敵討ちへと向かって行きました。


8)最後の敵討ち

マックスが追う3人目の男の名がトム・フィッチ(カール・マルデン)です。最後のひとりをみつけ出したマックスは、ネバダ・スミスを名乗ってトムの手下に潜りこみました。一味の現金強盗に加担したマックスは、隙を狙ってトムを窮地へ追いこみます。

 

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9)エピローグ

しかしマックスに、突然心境の変化が起こります。小動物のように怯える男を前に「こんなクズ、殺す意味はない」といきなり拳銃をうち捨てます。あとは何事もなかったかのように立ち去って行きました。マックスは、自らの意思で敵討ちを放棄します。その瞬間、さらに強い男ネバダ・スミスとして生まれ変わったかのようでした。

 

3.四方山話

1)ヘンリー・ハサウェイ

冒頭で、両親が惨殺される場面は、現在の映画ならばおそらくリアルな残酷シーンとして描くところであろうが、マックイーンが暗い家の奥に消えていくショットをうまく処理することによって、その悲惨さと悲しみを表現している。
より強い刺激を求める現代の観客には物足りない表現かもしれないが、ハサウェイの演出家としてのセンスと才能の片鱗を垣間見た気がする。

すべてを見せずに観客の想像力に訴える演出というわけだが、マックイーンが失意のうちに両親の遺体ともども家を焼き払うシーンは、ジョン・フォードの傑作西部劇『捜索者(THE SEARCHERS)』(1956年)を連想させ、このあたりは、ハサウェイのフォードに対するオマージュかもしれません。


2)スティーブ・マックイーン

テレビドラマ『拳銃無宿』(1958~61年)でブレイクし、『荒野の七人』(1960年)が代表作の1つであるので、マックィーンに西部劇のイメージを持つかも知れませんが、実際には西部劇への出演は意外と少ないのです。そういった意味では、実はレアなマックィーンのウエスタン・アクションが収められている貴重な作品になります。


3)年齢

よく指摘されることの多いようにように、既に36歳であったマックィーンが16歳の少年を演ずるのはさすがに無理がありますが、年齢をことさら強調した作りではないからさほど気になりません。


4)スザンヌ・プレシェット

この作品、一番の眼目だったピラー役のスザンヌ・プレシェットが彼の復讐の犠牲になるというのもちょっとすっきりしないものを覚えます。
出番が少ないばかりでなく、マックスに失望し、失意のままに死んでゆくのにがっかりです。
泥田の中に舞い降りた丹頂鶴のようでシチュエーションに似合わぬ美女をせっかく登場させたのにもったいない限りで、これで後味の悪さをた。増幅させてしまいました。

 

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4.まとめ

この作品、決してオールスター・キャストというわけではありませんが、脇役陣に、クセのある名優たちを配して共演者がそろって演技派で固められているのに改めて驚きました。第一級の娯楽作品として楽しめる本作を否定する映画評論はいまだ見つかりません。