映画『E.T.』SFファンタジーのレジェンドであり金字塔です!!
1980年代最大のヒット映画で、公開当時は映画史上最大のヒット作となった伝説の映画です。
目次
1.制作
1)脚本
『ジョーズ』(1975年)で大ヒット監督になったスピルバーグは、ジョージ・ルーカスと共に『レイダース』(1981年)の撮影に入りました。ここでスピルバーグは、後にハリゾン・フォードと結婚するマリッサ・マティゾンに出会います。彼女は脚本家でした。スピルバーグは撮影中に『未知との遭遇』(1977年)の続編を作りたいとマティソンに相談します。それは、あの宇宙船に乗り遅れ地球に取り残された宇宙人のお話でした。
この話をベースにしてスピルバーグとマティソンは、企画を立ち上げ脚本を開発していきます。暫くして、この作品は『未知との遭遇』とは違ったテイストになっていきました。そこで、これを続編ではなくオリジナル作品として映画を作ることにします。だんだんにストーリーの骨格が完成し、映画は子供が主人公で宇宙船に乗り損ねた宇宙人との出会いがテーマとして描かれていきました。
2)キャスティング
脚本が完成し、キャスティングが始まりました。スピルバーグとスタッフは全米を飛び回って、ストーリーにあう子役を捜し回りました。そして難航した主人公エリオット役にヘンリー・トーマスを起用します。妹役をドリュー・バリモアにキャスティングしました。アメリカのある街で起こった寓話としてリアリティをだしたかったため、基本的にこの映画には有名人は起用しませんでした。
3)キャラクター
映画はユニバーサルスタジオやロサンゼルス近郊で撮影されます。撮影時にはできるだけカメラの視点を下げ、子供やE.T.が見ている高さに映画を描くことにしました。これによって、子供の世界を見事に演出しています。
E.T.のデザインは、カルロ・ランバルディが行って、顔は、アメリカの詩人、カール・スタンバーグとアインシュタインをイメージして作られています。キャラクターとしてかわいらしい造形をあえて避け、単体で見るとちょっと気持ちの悪いものでしたが、スピルバーグはこれでいいとスタッフを説得しました。
止まっていると気持ちが悪いのですが、動くと実に愛嬌があるという演出はスピルバーグ監督でなければできなかったでしょう。結果、この効果はうまく機能します。映画を見に来た観客だけでなく、出演した子役達もはじめは恐がり、途中からE.T.を友達のように愛していくのでした。
4)撮影
映画は、「順撮り」の撮影方法で行われました。通常映画は撮影効率を考えて、ストーリーの順番とは関係なくスケジュールを組んでいきます。従って撮影初日にラストシーンを撮影したりするわけです。しかし、「E.T.」の場合は、子役の感情が重要だったので、ストーリーと同じ順番で撮影が進行しました。そして、撮影はできるだけ1テイクですませます。子役は何度も同じ芝居をするとテンションが落ちてしまうからなのです。
子供達がE.T.と初めて出会うシーンは、実際に撮影で初めて会わせることにしました。なので、あの絶叫は演技ではなく子役の素の表情です。
このように、子役を第一に考えて、スピルバーグは見事に撮影現場を取り仕切っていきました。
撮影中に、スピルバーグの次回作は名作になると噂がたってきました。しかし、スピルバーグは撮影現場への人の流入をシャットアウトしました。そしてタイトルは「BOYS LIFE」とします。一部の関係者以外は、新作がどんな話で、誰が出演しているのかさえわからなかったのです。このように、外部と離れた場所でアットホームな環境の中映画は撮影されていきました。
5)音楽
撮影後に、ジョン・ウィリアムズによって音楽が作られます。ウイリアムズは「E.T.」に素晴らしい音楽を作曲しました。映画の中で、ハロウィーンのシーンがでてきます。ここでE.T.は仮装します。「スターウォーズ」のヨーダの仮装のシーンで、音楽が「スターウォーズ エピソード5」のヨーダのテーマをアレンジした曲になっています。これは、「スターウォーズ」と「E.T.」のサウンドトラックの作曲を同じジョン・ウィリアムスが行っているから可能になったことです。
6)公開
こうして完成した映画は、ユニバーサル・スタジオによりブロックバスター映画として世に送り出されました。「ジョーズ」の宣伝をさらに昇華させてのスタイルです。公開前には、町中にポスターが貼られ、宣伝には一切E.T.は登場しませんでした。映像で露出されたのはE.T.の腕と指だけです。
映画は、世界的に大ヒットします。アメリカでは全人口の2人に1人が見たと言われるほどの大ヒットになります。そして、映画が発明されてからの全ての映画の興行収入を塗り替えていきました。これはアメリカに限ったことではなく、日本でもヨーロッパでも「E.T.」ブームが湧き起こったのでした。
作品と宣伝の素晴らしさが最高レベルでマッチした結果の大ヒットだったのです。
2.あらすじ
1)プロローグ
アメリカのある森で、円形に光る宇宙船が着地します。数人の宇宙人が出て来て、山の中を散策しました。彼らは地球にある植物を採取しに来たのです。異変に気づいた人達が森に入ってきます。人の気配を感じたので宇宙船は離陸しました。しかし、一人の宇宙人が、町の灯りに気を取られて、宇宙船に乗り損なってしまいました。
2)遭遇
その頃、子供たちが、家の中でゲームをしていましたが、エリオットだけが幼いということでゲームに参加出来ませんでした。エリオットが、ピザの宅配を取りに外に出た時、物置から何か音が聞えるので気になりました。他の子供たちとともに確かめに行きますが、何も見つかりません。足跡があったので、何かがいたことには間違いありませんでした。その日の夜に、エリオットは隣のトウモロコシ畑に気配を感じて近づきます。そして、宇宙人を見たのです。
3)交流
翌朝に、家族に宇宙人を見たと話しますが、信じてもらえません。その夜に、隠れて物置を見張っていたエリオットは、の前に、宇宙人が現れます。宇宙人を部屋の中に入れて、家族に見つからないようにクローゼットに隠しました。エリオットは、次の日学校を休んで、宇宙人となんとかコミュニケーションをとろうとします。
帰宅した兄マイケルと妹のガーティに宇宙人を紹介します。彼らの前で宇宙人は念力でボールを浮かせます。そして、太陽系の外から来たことを説明しました。
4)命名
次の朝に、エリオットはマイケルの友達に「あれは宇宙人だった」と話しますが信じてもらえません。友達が、それは、「エキストラ・テレストリアル(地球外生命体・Extra Terrestrial)だな」と教えます。それからは、宇宙人をE.T.と呼ぶ事になります。エリオットとE.T.は心を通わせるようになります。母のメリーが子供部屋に入って、クローゼットを開けますが、E.T.を見てもぬいぐるみと思って気がつきませんでした。
5)交信・体調不良
エリオットの留守の間にE.T.はビールを飲んで酔っ払います。テレビで電話をかけるシーンを見て、電話・電話と繰り返しました。家に電話したいと言うのです。E.T.は傘やあり合わせの材料を使い通信器を作ります。ハロウィンの夜、E.T.に白い布をかぶせて、森に連れて行き、通信機を動かしました。地球の環境に合わないのか、E.T.は倒れてしまいます。E.T.を家に運んだ後に、エリオットも、何故か体調を崩して寝込んでしまいます。メリーは初めて見る宇宙人E.T.に驚きます。
6)蘇生・帰還
その時、この家を見張っていたNASAの科学者たちがE.T.を連れて行きます。彼らの前でE.T.は死んでしまって、エリオットは悲しみます。その時、E.T.の胸が赤く光ったのです。
E.T.はまだ生きていたのです。エリオットは兄弟とその友達の力を借りて、E.T.を連れ出します。追い詰められたエリオットとE.T.が乗った自転車が、空に舞い上がり逃げ延びます。
通信機を置いた森へ到着すると宇宙船が迎えに来ました。E.T.とエリオットは最後の別れをします。E.T.が宇宙船に乗りこむと、光り輝いて飛び立ちました。そして、後に綺麗な虹が現れました。
3.エピソード
1)ハーシーズのチョコ
映画の中でE.T.が食べるのはM&Mではなくハーシーズのチョコでした。原案ではM&Mですが、M&Mを発売するマーズ社は、映画での使用を許諾しませんでした。その後快諾したハージーズに変更され撮影が行われました。映画公開後に、ハーシーズのこのタイプのチョコが爆発的に売れたそうです。おかげさまでハーシーズは大もうけしました。
2)自転車
エリオット達が乗ったBMXというタイプの自転車は日本のKAWAHARA製でした。映画公開と同時にこのタイプのBMXは大ヒットして、アメリカではかなりの販売数を記録しました。
3)フライングET
E.T.がエリオットの自転車に乗って夜空を飛ぶシーンは、スピルバーグの制作会社の「アンブリン・エンターテイメント」が使っているロゴになっています。従って、アンブリン・エンターテイメント制作映画を最後まで見ると、「このフライングET」をみることができます。
4)人気者
その後、E.T.は、様々な映画やテレビに出演しています。「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」では未来のCafe 80'sという店に80年代を代表する商品としてApple Computerと一緒にE.T.人形が飾られていました。「スターウォーズ」ではジェダイ評議会でもジェダイとして登場しています。
5)E.T. 20周年アニバーサリー特別版
「E.T.」は20周年記念デジタルリマスター・バージョンで、2002年に再編集が行われたバージョンが存在しますが、これはあまり評判が良くありません。
スピルバーグは後年、本作について公開時から批判があったと語り、自身も「最悪なバージョンのE.T.になってしまいました」と評しています。
また「(先述の改変について)みんなの子供の頃の思い出を壊してくれるなと。これが勉強となって、もう過去作に手を加えるのはこれで最後にしようと決めたんです。済んだことなのですから。もう過去には戻らないし、変更や編集が加わる際には、私がコントロールを取ることにしました」として、今後は過去作を改変した特別版の制作はしないことを明言しています。
4.まとめ
このように、本作『E.T.』は「伝説」となるべくしてなったようです。しかしながら、半世紀近い時の流れは、目覚ましい映像テクノロジーの進化を生じさせていますが、当時は、E.T.の動きを12人のオペレーターの手によって 操作され、E.T.の中には当時12才だった少年を含む三人が入り演じられました。
言うまでもなく、「名作」「伝説」となるべくはテクノロジーの向こうにある努力と工夫とマインドのなせる業なのでしょう