映画『駅 STATION』健さんのために作られた映画です!!
この映画『駅 STATION』は、倉本聰が高倉健のためにオリジナルシナリオを書き下ろし、監督は、降旗康男で1981年公開されました。
目次
1.紹介
射撃の五輪選手でもある警察官と3人の女性の、切なく、また衝撃的な出会いと別れを、北海道・増毛町、雄冬岬、札幌市などを舞台に、様々な人間模様を描き出します。単なる男女の関係だけでなく、母、妹など家族との絆も背景に織り込まれ、重層な人間ドラマを構成しています。
タイトルの「駅」を中心にした北海道の美しい風景も作品に彩りを添え、劇中に八代亜紀の代表曲「舟唄」が印象的に使用されています。
共演は倍賞千恵子、いしだあゆみ、烏丸せつこ、で、音楽を宇崎竜童が担当し重要な役で出演しています。
2.ストーリー
【1968年1月 直子】
その日、警察官の三上英次(高倉健)は雪の降り続く銭函駅ホームで、妻の直子(いしだあゆみ)と、4歳になる息子義高(岩淵健)に別れを告げました。
離婚を承諾した直子は、動き出した汽車の中で、英次に笑って敬礼するが、その目には涙が溢れていました。直子の一時の過ちがあったとは言え、苛酷な仕事と、オリンピックの射撃選手に選ばれ合宿生活が続いていたことも原因でした。
傷心をひきずる中、ある日の検問中、英次の上司・相馬(大滝秀治)が英次の目前で連続警察官射殺犯“指名22号”・森岡茂(室田日出男)に射殺されました。
中川警視(池部良)の「お前には日本人全ての期待がかかっている」との言葉に、犯人を追跡したい英次の願いは聞き入れられませんでした。
テレビが東京オリンピックマラソン競技3位の円谷幸吉の自殺を報じていす。「これ以上走れない……」と遺書に残していました。
英次は別れた直子と義高の顔を思い出しながら、家族への思いと、五輪の重圧を同時に背負った幸吉の気持ちを、自分のそれと重ね合わせるのでした。
【1976年6月 すず子】
英次の妹・冬子(古手川祐子)が、愛する義二(小松政夫)とではなく、伯父(今福将雄)の勧めた見合い相手である北見枝幸に住む男と結婚します。英次は、妹の心にとまどいを覚え、義二は結婚式の夜に荒れました。
その頃、英次はオリンピック強化コーチを務めるかたわら、赤いミニスカートの女だけを狙う通り魔を追っていました。増毛駅前の風侍食堂で働く吉松すず子(烏丸せつこ)の兄・五郎(根津甚八)が犯人として浮かびます。
すず子を尾行する英次のもとへ、突然コーチ解任の知らせが届きます。スパルタ訓練に耐えられなくなった選手たちの造反によるものでした。
すず子はチンピラの木下雪夫(宇崎竜童)の子を堕すが、彼に好意を寄せていました。しかし、雪夫にとって、すず子は欲望のハケロでしかなく、英次が警察官と知ると協力を申し出ます。
雪夫は結婚を口実にすず子を口説き、すず子は、刑事たちの張り込みに気づいていながらも、愛する雪夫を兄に会わせたく、五郎が潜伏する町へ案内しました。
そして、英次の前に吉松五郎が現れた時、隠れていた警官隊が詰め寄り、辺りにはすず子の悲鳴が響き渡りました。
【1979年12月 桐子】
英次のもとに旭川刑務所の吉松五郎から、刑の執行を報せる手紙が届きます。4年の間、差し入れを続けていた英次への感謝の手紙でもありました。
英次は正月の帰省のため、雄冬への連絡船の出る増毛駅に降ります。英次は警察官を辞する決意を固めていました。風待食堂では相変らず、すず子が働いていました。雪夫は結婚したらしく、妻と子を連れてすず子の前を通り過ぎて行くきます。
五郎の墓参をしたあと、連絡船の欠航で所在の無くなった英次は、暮れも押し詰まった三十日だというのにまだ赤提灯の灯る小さな居酒屋「桐子」に入ります。女手一つで切り盛りする柳田桐子(倍賞千恵子)の店ですが、他に客もいません。テレビでは八代亜紀の「舟唄」が流れていました。
「この唄好きなの、わたし」と桐子は咳きます。自分と同じく孤独の影を背負う桐子に、英次は、いつしか惹かれます。
翌大晦日、二人は留萌の映画館で、香港映画の『Mr.Boo!ミスター・ブー』を見ます。肩を寄せ合って歩く二人が結ばれるのに時間はかかりませんでした。
英次は、初詣の道陰で桐子を見つめる一人の男に気づきます。
英次が雄冬に帰りついたのは、元旦も終ろうとしている頃でした。そこで、池袋のバーでホステスをしているという13年ぶりに電話をかけて直子の声を聞きました。
雄冬の帰り、桐子は、札幌へ帰る英次を見送りに来ていました。その時、“指名22号”のタレ込みがあり、英次は増毛に戻ります。手配写真と、桐子を見つめていた男の顔が英次の頭の中でダブりました。
桐子の住む市営住宅に乗り込むと、そこには22号・森岡が潜んでいました。慌てて隠し持っていた拳銃の銃口を向ける森岡でしたが、英次の拳銃で射殺されました。
警察に通報しながらも森岡をかくまっていた桐子でした。札幌に戻る前に英次は桐子の店を訪ねます。英次に背を向け素っ気ない態度で「舟唄」に聞き入る彼女の顔に涙が流れていました。
英次は忍ばせていた辞職願を破り、駅のストーブにくべると、深川行きの列車に乗ります。同じ列車には札幌に出て働く事になったというすず子の姿もありました。
3.四方山話
1)辞世の句
吉松五郎の辞世の句が英次送られてきました。
暗闇の 彼方に残る 一点を
今 駅舎の灯と信じつつ行く
4人の女を殺害し死刑となった男の辞世とは思えませんが、暗く寒い冬の北海道における本作のテーマを見事に射抜いています。
2)オムニバス
本作をオムニバスと解説しているところもあるようですが、3人の女の名前と時間をあげて物語ってはいるものの、それぞれがラストに向かっての伏線であって、これはこれ、見事な構成となっています。
3)宇崎竜童
本作は、第5回日本アカデミー賞でも主要部門の多くを受賞し、宇崎竜童も助演男優賞にノミネートされ、最優秀音楽賞を受賞しました。
現役のロックミュージシャンが俳優部門で賞にノミネートされることはそれまでなかったために、当時の映画人にとってはあまり面白いものでなく、丹波哲郎が宇崎を"素人"呼ばわりして物議を醸しました。
また授賞式でテレビ放映の前に音楽賞の発表があり、宇崎が、『遠雷』で音楽賞にノミネートされた元ザ・スパイダースのギタリストの井上堯之と並んで座っていたら、プレゼンターが井上堯之の「タカユキ」を読めませんでした。
音楽賞の後に最優秀助演男優賞の発表があり、これにもノミネートされていた宇崎が、グルッと一巡して再び席に付こうとしたら、岡田茂日本アカデミー賞実行委員長から、「お前、また出てきたんかい!」と言われたといいます。
宇崎は「いままでの映画界を支えて来た人たちの偉さは認めるが、心が貧しすぎる」などと吐露しています。
4)高倉健について
2014年、高倉健の訃報に接して、本作の脚本を書いた倉本聰が残しています。
「駅 STATION」(1956年)のときは、とても印象深い思い出があります。健さんからはヨーロッパのおみやげなどいろんなものを頂戴したのですが、あの人はお返しを拒否するんです。あげることは好きでも、もらうことは嫌いという人でした。何とかお返しできないかと考え、彼の誕生日に「駅」の台本にリボンをつけて差し上げた。「読ませていただきます」と感激してくれて、何日か後に「ぜひやりましょう」と言ってくれた。富良野の小さな小屋の暖炉の前で、何時間もじっくり会話を交わした記憶があります。
あれだけ本気に映画に向かわれる方は、そうはいないと思います。1本の作品に向き合ったら、それ以外は何もしない。かけ持ちなんてしないで、何年かに1本ですからね。
SankeiBiz 2014.11.23
4.まとめ
北の女たち、事件と絡みながら一人の警官の生き様を描いています。いしだあゆみはちょっぴりで残念です。烏丸せつこは足りない人でお気の毒でした。そして大トリは倍賞千恵子の登場です。
本作の彼女は、どうしたことか、なんとイケイケではありませんか。これも残念ながら健さんに、言わせました。
「樺太まで聞こえるかと思ったぜ」