この映画『ビリギャル』は、監督土井裕泰による、主演有村架純、共演伊藤淳史他での、2015年の感動青春逆転ドラマです。
目次
1.紹介
本作は、65万部を突破したノンフィクション「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」を映画化しました。
小4レベルの学力だったギャル高校生・さやかが、ひとりの塾講師との出会いをきっかけに驚くべき成長を遂げ、家族や周囲の人々を巻き込んで、タイトル通りに現役で慶応大学に合格するまでを描いています。
2016年の第39回日本アカデミー賞において、優秀主演女優賞に有村架純、優秀助演男優賞に伊藤淳史、優秀助演女優賞に吉田羊がノミネートされています。
2.ストーリー
1)プロローグ
さやか(有村架純)は小学生の頃、周囲に馴染めず友達が出来ませんでした。心配していた母(吉田羊)は、ある中学校の制服を見て目を輝かせているさやかを見て、その私立高校に入学させることにましした。
その学校は中高一貫であったため、好きなことをして6年間楽しめばいいと言われたさやかは中学・高校と全く勉強せず、学年ビリの生徒となっていき、また、中学・高校でついに友達ができたさやかは、友達と遊ぶことに夢中になっていました。
2)一念発起
高校2年となったある日、さやかの鞄の中から煙草が見つかり停学処分になってしまいます。心配した母親はさやかに塾に通う様に勧めます。とりあえず入塾テストを受けに行ったさやかが出会ったのは、坪田(伊藤淳史)という先生でした。
坪田先生は、全問不正解ながら、ユニークな回答をしたさやかに感じるところがあったのか、大きな目標を持つべきだと言い、半ば強引に慶応義塾大学を目指すことに決めてしまいました。
学校に復帰したさやかは、クラス担任(安田顕)からクズ呼ばわりされた悔しさで慶応を目指すと宣言します。クラス担任は、さやかが受かれば裸になって逆立ちで校庭を歩くと言いました。
そのやり取りがきっかけで、さやかは本気で慶応を目指し勉強することに決めるのでした。
3)本気の母親とさやか
本気になったさやかは小学4年生のドリルからやり直します。友達と遊んでいる間でもドリルを続け着実に学力をのばしていきました。
更に、論文問題が苦手なさやかは本を沢山読むようにと指導されます。言われたことを素直に受け止めて実行し、着々と学力を伸ばしていきました。
さやかの父(田中哲司)は昔から、さやかの弟(大内田悠平)を甲子園に行かせようと熱血指導をしていました。そのため娘のさやかが慶応を受験すると行っていても興味を持たず、受かるわけがないと一蹴するだけでした。
また、さやかの学校の担任は坪田を訪れて、さやかが学校の授業そっちのけで受験勉強をするため、変な期待をさせない様に坪田に釘をさしてきたのでした。
しかし、坪田はさやかの可能性を信じていると話し、それを聞いていたさやかは更にがんばろうと決めるのでした。
そんな中、坪田がさやかの母親を呼び出しました。スタートが遅すぎたため、このままでは慶応合格に間に合わないというのです。
そのために塾を週6日コースに変更するよう勧めました。常にさやかを応援していた母親は、積み立てたお金をおろし、親戚に借金して塾の費用を準備し、足りない分は夜に働いて補てんすることにしました。
母の気持ちに応えようと、受験勉強を頑張っているさやかの姿を見ていた友達は、受験が終わるまでさやかと遊ばないことを決心します。さやかはその応援にも応えるべく、髪を切り、ださい服を着て遊びたい気持ちを抑えることに努めました。
受験勉強に夢中になるあまり、学校の授業は寝ていることが増え、そのため母親が学校に呼び出されます。母親は、さやかが夜遅くまで塾で勉強し、塾から帰ってからも寝ないで勉強しているので許してほしいと伝え、根負けした担任は、せめて目立たない様に寝てくれと話しました。
4)模試判定に挫折感
母親の応援のおかげもあり、偏差値30だったさやかが、英語は偏差値60まで伸びていきました。しかし、模試判定はなかなか合格圏内にとどかず焦り始めます。
家庭では弟が野球をやめたいと言い出し、父と喧嘩していました。頑張っても周りに追いつけず、出来もしない夢を追いかけたくないと言うのです。そして、姉のさやかにも、受かるわけがない慶応受験なんて止めればいいと言いました。
模試では何度もE判定を受け、合格圏内のB判定にならりません。本当に受かるのか自信が持てなくなったさやかは、坪田先生に慶応を諦めたいと言い出しました。
落ち込んでいるさやかに、母はやめてもいいと言います。さやかは、坪田が慶応義塾を見に行ってみたらどうかという話を思い出し、母と慶応に向かいました。そこで活き活きと生活する学生達を見て、やはり慶応に入りたいと奮い立ち、もう一度頑張ってみようと心に決めました。
5)受験の成否
さやかの模試はC判定まで上がっていました。さやかは文学部と総合政策学部を受けることにしていましたが、総合政策学部は記念受験であり本命は文学部でした。
滑り止めで受ける大学の受験当日がやってきましたが、あいにくの大雪で交通機関が止まっています。しかし、驚くことに父親がさやかを送っていくと言い出しました。
今まで興味を持たなかった娘のことを見直し、自分が間違っていたと認めたのでした。父親は受験会場に向かう娘の後ろ姿に声援を送りました。そして、さやかはその大学に合格しました。
そして、本命の慶応義塾大学・文学部の受験日がやってきます。しかし、受験会場で坪田から譲られた必勝缶コーヒーを一気飲みしたのが原因で腹痛が起こり、試験中に何度もトイレに駆け込んでしまい試験に集中できずに終わりました。
翌日は、総合政策学部での試験でした。配点比率が高いと言われている論文が始まった時、坪田先生から言われたアドバイスを思い出して集中し、同時に坪田先生が応援し信じてくれた言葉も思い出していました。
慶応義塾大学・文学部の結果発表の日、結果は不合格でした。坪田に電話で報告した後、母親や友人に励まされ1日を過ごしました。しかし、翌日の総合政策学部の発表では見事に合格していました。
さやかは真っ先に塾に行き報告し、応援していた周囲の人達も涙を流して喜びました。
6)エピローグ
一緒にがんばってきた坪田先生は、さやかに手紙を送りました。その手紙には、1年間頑張り続けたさやかの姿はとても輝いていて眩しかったと書いていました。
かって、通学道の堤防から眺めていた、別の世界へのあこがれであった新幹線で、今は旅立の新幹線となった車窓から、その堤防の道で坪田先生が大きく手を振っているのが見えました。
3.四方山話
1)大ヒットの陰に
映画プロデューサーの功績を称える「第35回藤本賞」の授賞式が2016年6月17日、都内のホテルで行われ『ビリギャル』の那須田淳、進藤淳一両氏が同賞を受賞しました。
本作は、興収28億4000万円の大ヒットで、那須田は、「合格するのが分かっている話を誰が見るんだという話もあったが、ヒットさせる自信はあった。悩みは尽きず、心が揺らぐこともあったが、若い人をターゲットにするということは最後までぶれなかった」と感慨に浸っています。
2)実録「ビリギャル」
①原作
「坪田塾」の坪田信貴によるノンフィクション作品で、モデルとなった女性、小林さやかの高校時代のエピソードを描いていて、投稿サイト「STORYS.JP」で話題を呼びました。
若い世代から支持され口コミで広まった結果、2013年にKADOKAWAより書籍化されることになり、2015年に、『いま、会いにゆきます』などの土井裕泰がメガホン、有村架純の主演で映画化されました。
②本当の「さやか」
主人公さやかは、名古屋で椙山女学園、金城学院と並び「SSK」と称される名門校・愛知淑徳中学校に入学しますが、家庭の不和などが原因で非行に走ります。
愛知淑徳中学校は偏差値60前後で、そう聞くととても"おちこぼれ"とは思えませが、入学後、遊びに多くの時間を費やしたビリギャルの偏差値は、個別指導学習会に入塾した時点で30以下にまで下がっていました。
坪田は著書の中で、「端的に言うと学年ビリ」と評して、"小学校4年生レベルの学力"という判定を下しています。
本人曰く、一番荒れたのは中学3年生のときで、タバコ、男女交際といった素行不良で無期停学を繰り返したとNIKKEI STYLEのインタビューで語っています。
③勝因
夏期講習が終わる頃には、塾へ通う頻度が週3から週4日になり、勉強時間が増えると同時に、本人の得意分野もより明確になってきます。
坪田は小論文に重要な読解力や論理的思考力、それを形にする文章力を高く評価し、慶応文学部の問題とビリギャルの相性の良さを分析しました。
実は文学部の受験科目は外国語と小論文、歴史科目ですが、配点が大きいのは前2つで、合格した総合政策学部は英語または数学と小論文のみでした。
慶応の英語は長文読解問題がメインなので、小論文のセンスも活かされ、文学部の過去問は9割取れていたそうです。
早い段階でセンター試験を捨て、受験科目が少ない入学試験に的を絞ったこと、必須の英語と得意な小論文の能力を伸ばしたことが最大の勝因でした。
④こんな意見も
ビリギャルの起こした奇跡、それを共に成し遂げた一人の塾講師に世間は喝采し、「東進ハイスクール」の現役講師・林修も意見を求められ、林の冠番組『林先生が驚く初耳学』の2016年6月5日放送にて、
「あの話について僕はコメントしたくない」「僕はハッキリ言ってまったく感動していません」と言いました。
と言うのも、林が受け持った生徒で「ビリギャル」に近い例はあったそうで、先述のように、慶応SFC(湘南藤沢キャンパス)の受験科目は英語と小論文だけで、「徹底的に対策をすれば生徒数人のうちひとりは合格可能」というのが、林の見解でした。
4.まとめ
さやかは小学生の時点で、中高一貫の進学校に合格するレベルでしたし、決して遅くない高校2年生の夏から受験勉強を開始しています。
母親の理解と応援、坪田との出会い、得意分野を見極めて対策をしていった結果、慶応義塾大学総合政策学部に合格したので、見方によっては「意外性の少ない」奇跡だったのかもしれません。
受験技術、難関攻略法、冷遇への反発・意趣返しではなく、家族の愛情・信頼や教育方針・姿勢の問題でした。