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映画『花よりもなほ』是枝裕和監督のハートフル・コメディタッチの時代劇です?!

 

この映画『花よりもなほ』は、監督是枝裕和、主演岡田准一で、2006年6月3日に公開の時代劇映画です。

目次

 

1.紹介

意外ですが、是枝監督の初時代劇で、もともと時代劇好きで、早稲田大学の卒論は時代劇の脚本論だったそうです。その後、テレビ制作会社に入ってドキュメンタリーの世界へ入り、劇映画を作る前にまず、生身の人間を知ることの大切さを知ったといいます。

そして長編5作目で辿り着いた時代劇で、寄り道は無駄ではなかったのではなく、長屋の個性的な人間が多数登場するこの人情喜劇において、1人も埋もれてしまうことなく、キャラクターが生きています。

仇討ちのために江戸に来たはずの岡田准一の宗左衛門でしたが、ひょうひょうと生きる古田新太の貞四郎、何度も切腹を試みるが死にきれない香川照之の次郎左衛門、そして、宮沢りえの美人未亡人らと出会い、心境に変化が現れます。決して裕福ではないが、明るく、前向きに、逞しく生きる住人たちが息づいています。

これだけ上手い役者を揃えたのはズルいとも言えなくもないのですが、時代劇という新しい試みに挑んだ志と共に、曲者揃いの俳優のバランスを巧みにとったのは監督の手腕を評価したいものです。

 



2.ストーリー

元禄15年、徳川5代将軍綱吉の治世。巷では、赤穂浪士切腹させられた主君、浅野内匠頭の仇を討つかどうかが大きな関心ごととなっていました。

信州松本から江戸に出てきた若者、青木宗左衛門(岡田准一)が貧乏長屋に腰を据えて、2年が経とうとしています。宗左は剣術師範だった父を斬り、江戸へ逃亡した金沢十兵衛(浅野忠信)を捜して町を回りますが、一向に見つけられません。

仇討ちが上手くいけば百両は報奨金がもらえますが、今では里からの仕送りも途絶えがちになっています。しかも宗左は剣の腕はからっきしで、長屋の遊び人・そで吉(加瀬亮)にこてんぱんに負かされました。

宗左の向かいには美しい未亡人・おさえ(宮沢りえ)とその息子・進之助(田中祥平)が住んでおり、宗左はおさえにほのかな恋心を抱いていました。

一方長屋には、浅野内匠頭の仇を討とうとする赤穂の侍も潜んでいて、治療院の看板を掲げた首領格・小野寺十内(原田芳雄)のもとに患者を装って集まる男たちは、いっこうに仇を討とうとしない宗左は吉良側の間者ではないかと疑いました。小野寺は同士の寺坂吉右衛門寺島進)を宗左に紹介し、探りを入れさせます。

実は、宗左は金沢を見つけていたのでした。しかしながら、刀を捨てて人足となって、妻子と静かに暮らす金沢の姿を見て以来、そして毎日を楽天的に過ごす長屋の住人たちと交わるうちに、仇討ちを果たすことが本当に武士の道なのか宗左の中に迷いが生じ始めました。そんな折り、おさえもまた亡き夫の仇をもつ身であることを知ってしまいます。

暮れも押しつまったある日、長屋の大家の伊勢勘(國村隼)は住人たちに、建て替えのため年が明けたら立ち退くよう宣言します。彼らの困る姿を見て、宗左はある決意をしました。それは、住人たちの協力を得て仇討ち成功の大芝居を打ち、藩から報奨金をくすねようというのでした。

果たして計画は大成功。ちょうどその晩、赤穂浪士が吉良邸へ討ち入りを決行し、小野寺をはじめ仇討ちを果たした浪士は全員切腹しました。ただ一人、宗左と親しくなったことで仇討ちの虚しさを感じた寺坂だけは討ち入りに参加せず、郷里へ帰りました。

長屋の住人が討ち入り騒ぎに沸く中、宗左とおさえは晴れやかな顔で桜を見上げるのでした。


3.四方山話

1)お笑い芸人キャスト

貧乏長屋の住人に扮し和やんだ空気をかもしだしていました。

上島竜平、ダチョウ倶楽部太田プロダクション
木村祐一吉本興業
千原せいじ千原兄弟吉本興業

平和な時代の珍しい敵討ちにおたおたする奉行所役人として
トミーズ雅、トミーズ、吉本興業

法事で帰省した時の親戚のうるさい叔父
南方英二、(チャンバラトリオ)、吉本興業


2)敵討ち・仇討ちとは

仇討ちは、その血族意識から起こった風俗として、中世の武士階級の台頭以来、広く見られるようになり、江戸幕府によって法制化されるに至ってその形式が完成されました。

江戸時代において殺人事件の加害者は、原則として公権力(幕府・藩)が処罰することとなっていましたが、加害者が行方不明になり、公権力がこれを処罰できない場合には、被害者の関係者に処罰を委託する形式をとることで、仇討ちが認められたわけです。

敵討の範囲は、父母や兄等の尊属が殺害された場合に限られていて、卑属(妻子や弟・妹を含む)に対するものは基本的に認められず、主君に対するものなど、血縁関係のない者について行われることは少なかったようです。

士分の場合は主君の免状を受け、さらに、他国へわたる場合には奉行所への届出が必要で、町奉行所の敵討帳に記載され、謄本を受け取ります。

無許可の敵討の例もありましたが、現地の役人が調査し、敵討であると認められなければ殺人として罰せられました。また、敵討を果たした者に対して、討たれた側の関係者がさらに復讐をする重敵討は禁止されていました。


3)この一節

木村祐一の孫三郎の印象的な台詞があって、「桜の花が散るのは、来年また咲くのを知っているかかじゃねぇか」というような台詞で、終盤に宮沢りえのおさえにも言わせています。人間の命は一度しかなく、その命を大切に生きることを伝えようとしてくれている台詞で、この作品のテーマを象徴しているようではありませんか。


4)衣装

とにかく、ぼろぼろ、汚い、のです。衣装担当は黒澤明の長女でもある黒澤和子で、他に、『雨あがる』(2000年)、『阿弥陀堂だより』(2002年)、『たそがれ清兵衛』(2002年)『座頭市』(2003年)『隠し剣 鬼の爪』(2004年)と、超一流のキャリアです。これらの作品群でもこんな調子なので、江戸時代の庶民の生活とはこんなものなのでしょうか。
しかしながら、本作の舞台は元禄時代の江戸です。なんぼ何でもという気もしないでもありませんが、そんなものなのでしょう。

それはともかく、観ていて本当に楽しい映像や芝居、そして物語が続いていく作品で、視覚的には衣装や小道具など細部にわたって魅せてくれ楽しませてくれます。徹底して作りこんでいるので観ていて楽しいし、何より世界観を感じることが出来ました。


4.まとめ

是枝監督は、前作『誰も知らない』の後だったので明るい映画を撮りたかったそうですが、人間を捕らえる視線の優しさや、この映画を見た後に感じる温かさは、是枝監督の長年の人物観察で辿り着いた末の人間賛歌なのでしょう。