石井竜也、カールスモーキー石井は多才なアーティストでありますが、言動が軽薄なため多くの評価を損なっているように感じます。まさに天才、何を唄っても素晴らしく、へたをすると本家喰いをしてしまっています。
List
1.グッド・バイ・マイ・ラブ
1974年 歌:アン・ルイス 作詞:なかにし礼 作曲:平尾昌晃
当初はグラビアアイドルやアイドル歌謡を中心に活動していたアン・ルイスですが、1974年にこの曲がヒットしました。後日幾多の歌手がカバーしましたが、オリジナルには間奏部分に英語のセリフがありました。
2.シルエット・ロマンス
1981年 歌:大橋純子 作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお
サンリオのイメージソングとしてスタートしたものの発売当初の売れ行きは低調でしたが、翌1982年に入ってじわじわと売れ始め、5月24日付のオリコンで最高位の7位を記録し、その後もロングヒットを続けました。
3.異邦人
1979年 歌・作詞・作曲:久保田早紀
今はなき、三洋電機のカラーテレビ「くっきりタテ7」のイメージソングとして起用された。後に同社の太陽光発電システムのCMにも再使用されています。
4.みずいろの雨
この曲は、八神が東京・原宿の歩道橋で不意に曲想を得て作曲することになりましたが、同年に3枚目のシングルとしてリリースしたところ、有線放送やラジオ番組を中心に八神のリクエスト回数が増え始め、オリコンチャートの順位も上がっていきました。
5.人形の家
この曲のヒットで、弘田三枝子は2年ぶりに「第20回NHK紅白歌合戦」への出場を果たしました。
6.京都幕情
1970年 歌:渚ゆう子 作詞:林春生 作曲:ザ・ベンチャーズ
外国人による作曲ではありますが、和情緒溢れる雰囲気で大ヒットとなり、渚ゆう子は、この曲で第22回NHK紅白歌合戦に初出場しました。
7.悲しい色やね
上田正樹の楽曲のディレクターを務めていた関屋薫は、洒落たメロディと関西弁の歌詞、そして上田のハスキーな歌声が合うと感じそうです。
8.いとしのエリー
1979年 歌:サザンオールスターズ 作詞・作曲:桑田佳祐
この曲のタイトルの由来について、桑田本人がラジオ番組でこの件に触れ、諸説あるものの当時のインタビュー等で適当に語ったものだと話し、真相は「エリー」という言葉の響きの良さから決めたものだと明かしています。
9.バスストップ
平浩二のデビュー3年目にして初の大ヒットとなり代表曲となりました。オリコンヒットチャート最高順位第11位、オリコンセールスは22.4万枚、累計売り上げ枚数80万枚を超えています。
10.川の流れのように
1989年1月11日に日本コロムビアより発売されましたが、同年6月24日、美空ひばりは52歳で死去し、結果的にこの曲は遺作となりました。没後にシングル盤は売上を伸ばし、150万枚を売り上げるミリオンセラーとなり、1964年の「柔」に次ぐヒット曲となりました。